天皇の名前「諡号」と「諱」とは?わかりやすく解説

諱(いみな)とは

「諱(いみな)」とは、天皇や貴族の生きているときの本名です。神聖な名前とされ、ふだんは口にしない習慣がありました。たとえば初代・神武天皇の本名は「神日本磐余彦(かむやまといわれひこ)」と記録されています。諱は個人に直接結びつく名前で、当時の社会においては非常に重い意味を持っていました。

諡号(しごう)とは

「諡号(しごう)」とは、天皇が亡くなったあとに贈られるおくり名です。現代でよく使われる「〇〇天皇」という形は、すべて諡号です。つまり「神武天皇」や「応神天皇」という呼び名も、当時からそう呼ばれていたわけではなく、後世になって付けられたものです。

いつから「〇〇天皇」と呼ばれるようになった?

『日本書紀』(720年完成)の時点では、まだ「〇〇天皇」という漢風諡号は存在していませんでした。
実際に体系的に諡号が付けられるようになったのは、奈良時代の760年ごろ。学者で皇族でもあった淡海三船(おうみのみふね)が、歴代天皇の諡号をまとめて定めたとされています。
そのため、神武天皇から持統天皇までの「〇〇天皇」という呼び名は、すべて後世に付けられた名前です。

和風諡号との違い

もうひとつ「和風諡号」があります。たとえば神武天皇の「神日本磐余彦天皇」のように、和語で表された長い形式です。確実に使われているのは持統天皇(703年没)以降で、それ以前の天皇については「諱」なのか「和風諡号」なのか、はっきりしない場合もあります。

👉 『古事記』『日本書紀』の本文では、天皇名は「和風諡号」で記されています。

まとめ

諱(いみな)生前の本名(普段は呼ばれない)
諡号(しごう)死後に贈られるおくり名(「〇〇天皇」形式)
▲『日本書紀』の時代にはまだ諡号はなく、760年ごろ淡海三船が付けた
▲ 和風諡号は長い和語形式で、持統天皇以降に確実に登場