草原(中央アジア) 通史

3行まとめ

  • 草原核(モンゴル高原・カザフ草原)とオアシス(ソグド・トランスオクシアナ)の結節が東西回廊を動かす。
  • 匈奴→突厥→ウイグル→キプチャク→モンゴル→ティムール→カザフ・ウズベク等の連鎖が長期構造。
  • 18〜19世紀の清・ロシアの編入と「グレート・ゲーム」を経て、ソ連期→1991年の独立・資源開発・新シルクロードへ。

ミニ年表(ざっくり)

前3〜前1世紀匈奴連合/月氏移動→クシャーナ前史/ソグド商人の萌芽
6〜8世紀突厥可汗国(552–)→第二突厥(682–)→ウイグル(744–840)→キルギス
10〜12世紀カラハン朝/カラ・キタイ(西遼1124–1218)/キプチャク台頭
13〜14世紀モンゴル帝国(1206–)→金帳汗国・チャガタイ・イルハン/ティムール(1370–1405)
15〜18世紀カザフ・ハン国(1465–)/ウズベク(シャイバーニー)/オイラト・ジュンガル(17–18世紀)
18〜19世紀清のジュンガル征討(1755–59)/ロシア帝国の草原併合・トランス・カスピ鉄道
1917–91ソ連期(SSR編成・定住化)/外蒙古は1924モンゴル人民共和国→1990民主化
1991〜中央アジア5国独立(KAZ/KGZ/TJK/TKM/UZB)・資源と回廊の再編

草原(中央アジア)通史を俯瞰

草原(中央アジア)を時系列で読む

前3〜前1世紀、匈奴がモンゴル高原に連合を築き、月氏の移動は後のクシャーナにつながる。6世紀に突厥可汗国(552–)がテュルク系の最初の広域政権を樹立し、7世紀末に第二突厥(682–)、続いてウイグル可汗国(744–840)が成立、840年にキルギスが高原を制した。西方ではソグド商人が草原・オアシス・海域を結び、10〜12世紀にはカラハン朝やカラ・キタイ(西遼1124–1218)、キプチャクが台頭する。1206年、モンゴル帝国が誕生し、チャガタイ・金帳・イルハンに展開、交易・軍事・疫病の大循環を生んだ。14世紀末、ティムール(1370–1405)がサマルカンドを都に再統合を試み、その後カザフ・ハン国(1465–)やウズベク(シャイバーニー朝、16世紀)が草原とオアシスを分割統治する。17〜18世紀にはオイラト=ジュンガルが強勢となるが、清が1755–59年に征討し天山南北路を編入。18〜19世紀、ロシア帝国がカザフ草原とブハラ・ヒヴァ・コーカンドを保護国化・併合し、「グレート・ゲーム」の中で鉄道と要塞網が整う。1917年以降はソ連体制下でSSRが編成され、定住化・集団化と境界画定が進む。外蒙古は1921革命を経て1924モンゴル人民共和国、1990年に民主化。1991年、中央アジア5国が独立し、石油・天然ガス・鉱物と回廊(パイプライン・鉄道・道路)が再編され、21世紀のユーラシア物流と安全保障の要となっている。

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