海域ネット(インド洋・地中海・太平洋)通史

3行まとめ

  • 季節風・潮流・海峡(マラッカ/ホルムズ/バーブ・エル・マンデブ/ボスポラス)が回廊を形成、港市と商人ディアスポラが結節。
  • 古代の地中海・インド洋交流→中世のイスラーム海商と宋〜元の海上ネット→近世の欧商参入と環太平洋結節(マニラ航路)。
  • 近代は蒸気船・運河・電信・保険、現代はコンテナ・UNCLOS・EEZで再編される。

ミニ年表(ざっくり)

前1千〜後1世紀地中海(フェニキア・ギリシア・ローマ)/インド洋(ローマ–インド交易)
7〜10世紀イスラーム拡大—紅海・ペルシア湾・インド洋の結節強化
11〜14世紀宋〜元の海上ネット/市舶司/東南アジア港市の繁栄
1498ヴァスコ・ダ・ガマのインド到達→欧商参入(VOC1602/EIC1600)
1565–1815マニラ=アカプルコ航路(太平洋横断・銀と絹)
1869スエズ運河開通/1914:パナマ運河開通/1956:コンテナ化の始動
1982UNCLOS採択→EEZ体制/21世紀:メガ港湾・グローバル航路

海域ネット通史を俯瞰

海域ネットを時系列で読む

古代の地中海ではフェニキアとギリシアが航海術と植民でネットワークを拡げ、ローマ時代に海上輸送と保険・契約が整う。インド洋ではローマとインドの往来が季節風(モンスーン)に支えられ、紅海・ペルシア湾の港市が中継した。7世紀以降、イスラーム世界の拡大でアラビア海—ベンガル湾—東南アジアが結び直され、ムスリム商人・グジャラート商人・華人が香辛料・綿布・陶磁・砂糖を運ぶ。東アジアでは宋〜元に市舶司が整備され、泉州・広州・寧波などの港市が繁栄、13世紀のユーラシア連結も海上ルートを後押しした。1498年のダ・ガマ以後、ポルトガル・スペインに続きオランダVOC(1602)・英EIC(1600)が参入し、砦・通商権・同盟で既存ネットに割り込む。1565–1815年のマニラ=アカプルコ航路はメキシコ銀とアジア産品(絹・磁器)を直結し、地中海—インド洋—太平洋—大西洋が一体化する。19世紀には蒸気船・冷蔵・保険・海底電信・灯台制度が整い、1869年スエズ、1914年パナマの両運河が航程を短縮。20世紀後半のコンテナ化(1956〜)は港湾・造船・サプライチェーンを再編し、UNCLOS(1982)に基づくEEZが海洋秩序の枠組みを与えた。今日の焦点は、海峡の安全保障、環境・漁業・難破油対策、港湾ハブ間競争、そして半導体・エネルギー・食料の海上物流である。

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