張騫は、前2世紀の長安と西域で活動した対外情報を拓いた使者・官僚。初出使(前138年)で月氏・烏孫・大宛の実情を把握し、帰還報告で良馬・同盟・ルートの現実性を提示。漢の対匈奴・河西政策を具体化させた。
クイック情報
| 活動期 | 前138-119年/生涯 不詳?- 前114年 |
| 役割 | 西域使節(対外情報を長安にもたらす官人) |
| 主な拠点 | 長安/大宛(フェルガナ)/烏孫/月氏 |
| 特記事項 | 実在確実・報告内容は漢史料に詳細 |
ミニ年表
| 前138年 | 初出使、西域へ向かう途上で匈奴に拘留。 |
| 前126年 | 長安に帰還、月氏・烏孫・大宛の情勢を詳報。 |
| 前121年 | 再出使で大宛・烏孫方面の連絡を強化。 |
| 前119年 | 帰国後、政策・補給・交易の具体化に寄与。 |
事績(特集へのリンク)
西域情報で方針転換
張騫は前138年に出発し前126年に帰還。西域の勢力図・道筋・物産の一次情報を宮廷にもたらし、同盟先と交易ルートの選択肢を広げた。これが郡県・関門・屯田を束ねる“回廊化”の判断を後押しし、情報面から国境を“通せる帯”にする下地を作った。
