継体天皇(けいたいてんのう)は、5〜6世紀の日本列島(主に近江・越前・大和地域)で活動した天皇であり、ヤマト王権の王統が揺らいだのちに地方有力勢力から迎えられて即位し、王権の立て直しと古墳時代後期〜終末期への転換点を象徴する君主とされる。
クイック情報
| 別名・異表記 | 第26代天皇 / 男大迹王(おおどのおおきみ) |
| 活動期 | 5世紀後半〜6世紀前半(古墳時代後期)/生涯:生年は不詳〜531年に没したと伝えられる。 |
| 役割 | 揺らいだヤマト王権の王統を地方有力勢力からの擁立によって再編し、巨大前方後円墳のピークを過ぎた「古墳終末期」の起点に位置づけられる天皇。 |
| 主な拠点 | 若い頃は越前・近江周辺を活動基盤とし、即位後は河内国樟葉宮・山城国筒城宮・近江国弟国宮などを経て、大和の宮へ政治の軸を移したとされる。 |
| 特記事項 | 血統上は応神天皇の子孫とされるが、ヤマト王権中枢から見れば「外部」から迎えられた王であり、地方豪族との関係や王権の連続性をめぐって、歴史学上さまざまな議論がある。 |
ミニ年表
| 5世紀後半 | 越前・近江方面に拠点を持つ男大迹王として活動し、地方の有力な王の一人であったとみられる。 |
| 507年ごろ | 前代の武烈天皇に直系の後継がいない状況のなかで、応神天皇の子孫とされる血筋から選ばれ、男大迹王がヤマト王権の大王として迎えられ、継体天皇として即位する。 |
| 6世紀初頭 | 河内国樟葉宮・山城国筒城宮・近江国弟国宮など畿内周辺の諸宮を転々としながら王権の基盤固めを進める。 |
| 6世紀前半 | 大和への宮の移転とともに、畿内の豪族勢力とのバランスを調整しつつ、大王家としての地位を安定させる。 (大和移転は伝えられるが、具体的な過程は不明) |
| 531年 | 継体天皇が没したとされる。在位期間は20年以上におよび、その後の欽明朝・用明朝・推古朝へ続く王権構造の基礎を残した。 (没年は通説、在位年数の細部には異説もある) |
事績(特集へのリンク)
継体天皇:地方王から迎えられた「立て直し」の大王
継体天皇は、ヤマト王権の王位が途絶えかけたときに越前系の男大迹王として地方から迎えられたとされる大王であり、巨大古墳のピークを過ぎた5〜6世紀の段階で、地方勢力を取り込みつつ王権を立て直した存在として、古墳終末期の起点を象徴している。
