『旧唐書』は、五代十国時代の後晋で劉昫らが編纂した全200巻の唐王朝正史であり、唐の成立(618年)から滅亡(907年)までの政治・制度・人物・周辺諸国を、帝紀・志・列伝から成る紀伝体でまとめた「初代の唐書」である。
基本情報
| 対象年代 | 唐高祖・李淵が即位して唐が成立した武徳元年(618年)から、唐哀帝の時代に朱全忠によって禅譲させられ王朝が滅ぶ天祐4年(907年)まで、およそ3世紀にわたる唐一代の歴史である。 |
| 成立時期 | 940年代半ば(おおむね945年前後)に全体が完成したとされる。 当初の書名は単に『唐書』であったが、その後、北宋で欧陽脩らが新たな唐正史『新唐書』を編纂したため、区別のためこちらを『旧唐書』と呼ぶようになった。 |
| 編者 | 総裁・主編は後晋の文臣劉昫(りゅうきょく, 887–946)とされ、張昭遠・賈緯・趙瑩など複数の史官グループが参加している。 「資料の距離が近い」「唐人の記録に基づく素朴な史書」という評価と、「編纂が急ぎで誤りも残る」という批判の両方があり、のちの『新唐書』による書き直しの背景にもなっている。 |
体裁・構成
| 帝紀(本紀) | 唐高祖から哀帝まで歴代皇帝の事績を年代順に記した部分。 |
| 志 | 礼・楽・天文・暦法・五行・地理・選挙・官制・食貨など、制度や文化をテーマ別にまとめたモノグラフ群。 |
| 列伝 | 皇族・功臣・文人・学者・道釈(道教・仏教)・宦官・藩鎮・周辺諸国など、多様な人物と異民族・外国の伝記を収める。 |
該当巻の例
『旧唐書』東夷伝 倭国・日本国条 🇯🇵
『旧唐書』東夷伝では、高麗・百済・新羅と並んで倭国条と日本国条を別立てで収めつつ、「日本国は倭国の別種なり。その国は日の辺にあるので日本と名づける」「倭国を併合し、国号を倭から日本に改めた」といった説明を添えており、倭の大王が「日本」という新しい国号で自らを称し始めた動きを、唐側がどのように理解しようとしたかを示す(中国側の名称切り替えの解釈メモ)。
よくある誤解と注意
- 『旧唐書』は『新唐書』に完全に取って代わられた“古い版”なので、研究価値は低い
→ 正しくは、旧唐書と新唐書はそれぞれ別時代の編纂であり、資料の取り方・叙述方針が異なるため、唐史研究では両方を並べて比較利用するのが基本である。旧唐書は唐滅亡から比較的近い時期に編纂されており、原史料に近い情報を伝えるケースも多い。 - 東夷伝で倭国と日本国が別条になっているので、まったく無関係な二国家だと考えてよい
→ 条は別立てだが、本文では「日本国は倭国の別種なり。その国は日の辺にあるので日本と名づける」「倭国を併合し、国号を倭から日本に改めた」といった説明が付されており、日本国を倭国となんらかの継承関係・改名関係にあるものとして理解しようとしている。ここから「完全に別の国」と断定するのは行き過ぎで、文言の解釈と他史料との比較が必要になる。 - 中国正史だから、倭・日本に関する記事は日本書紀より完全に客観的で矛盾がない
→ 旧唐書は唐側の外交記録・報告に基づくが、それ自体も断片的な情報を後世の史官が再構成したものであり、年次や表現が『新唐書』や『日本書紀』と食い違う箇所も多い。とくに倭国・日本国の区別や名称変更の経緯については、当時の唐側の理解(うわさレベルの説を含む)を整理したものであって、「事実そのもの」とイコールではない点に注意が必要である。
