隋書|隋王朝と南北朝末の東アジアをまとめた公式正史

唐代に編まれた隋王朝(581〜618年)の公式正史であり、帝紀・志・列伝から成る紀伝体で隋一代の政治・制度・人物・周辺諸国(東夷伝倭国伝を含む)をまとめると同時に、南北朝末から隋にかけての典章制度や文献情報を大きく保存している。

基本情報

対象年代581年(隋文帝の即位)から618年に至る隋王朝38年間
ただし「志」では、梁・陳・北斉・北周・隋の制度沿革を縦覧し、なかでも経籍志は後漢以降〜隋に至る文献・学問状況を広くカバー
成立時期唐太宗の命で、636年に帝紀5巻・列伝50巻が完成した。制度・地理・文献をまとめた志30巻を加え、656年に全85巻の現在の形が整えられた。
編者総裁・主編は、唐太宗に仕えた名臣・魏徵(ぎちょう, 580–643)である。
帝紀・列伝の編纂には、令狐徳棻・張孫無忌らが関わり、志の部分では長孫無忌・于志寧・李淳風などが各分野(礼・楽・天文・地理・経籍ほか)を分担した。

体裁・構成

帝紀(本紀)5巻隋文帝から隋恭帝まで歴代皇帝の事績を年代順に記した部分。
志30巻梁・陳・北斉・北周・隋の「五代」の制度沿革を一括して扱うため「五代史志」とも呼ばれる。
列伝50巻皇族・官僚・将軍・学者・異民族・周辺諸国などの伝記を収める部分。ここに「列伝第四十六 東夷」に続いて倭国(俀国)伝が含まれる。

該当巻の例

『隋書』東夷列伝 倭国伝 🇯🇵

倭国の位置・風俗・歴史を先行史書から要約しつつ、開皇20年(600)の朝貢や大業3年(607)の「日出づる処の天子…」国書事件など推古・聖徳太子期の遣隋使外交を具体的に記録した中国側の公式史料。

※なお、『隋書』倭国伝に見える開皇20年(600)の朝貢記事は、『日本書紀』推古紀には対応する記述がなく、中国側史料にのみ現れる初期接触として扱われている。

⤴︎ 【特集】倭国から日本国へ(国号・都城・律令:古墳後期〜飛鳥)

よくある誤解と注意

  • 「隋書倭国伝は、日本についての“隋人の実見報告”だけから成っている」
    → 正しくは、倭国伝の前半は『魏志倭人伝』など三国・南北朝期の古い記事を要約した部分があり、その上に隋代の朝貢・遣隋使記事が積み重ねられている。邪馬台国や倭の五王に関する記述は、隋の同時代観察ではなく、先行史書の要約として読む必要がある。
  • 「俀国(俀国伝)の『俀』は倭とは別の国名で、まったく別の国を指す」
    → 一般的な理解では、「俀」は「倭」の異体字であり、隋書内部でも煬帝紀では「倭国」、東夷列伝では「俀国」と表記が揺れていることから、引用元の違いによる表記差と考えられる。異説もあるが、多くの研究は「俀国=倭国」と前提して読んでいる。
  • 「中国正史だから、日本書紀より完全に信用できる“客観記録”である」
    → 『隋書』は唐代に編纂された官修史であり、隋の記録や外交文書をもとにしつつも、唐初の政治的視点・編集方針の影響を受けている。倭国伝の外交記事(国書の文言・使節の往復など)は、日本書紀推古紀の叙述と食い違う点も多いため、一方を絶対視するのではなく、双方を突き合わせて比較する姿勢が必要とされる。

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