57年(建武中元二年)、倭の奴国が後漢に朝貢し、使者は「大夫」と自称。光武帝が印綬を賜与し、外部からの首長権威の承認が記録された。
107年(永初元年)、倭国王・帥升らが朝貢し、生口160人を献上。継続的な使節往来と、複数国を束ねる指導力の存在がうかがえる。
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