第6代 孝安天皇(こうあん)/ 日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)

用語ガイド

ざっくりポイント(孝安天皇とは)日本書紀基準

  • 和風諡号 日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと
    古事記 大倭帯日子国押人命(おおやまとたらしひこくにおしひとのみこと)
  • C 伝承中心 欠史八代に含まれます。同時代史料は確認されておらず、在位年・享年は伝承的で、宮・陵墓の比定も後世伝承に依拠します。
  • 海路と中枢をつなぐ系譜。尾張氏(海人系の名門)と、和珥氏(大和の中央豪族〈海人/渡来関与説〉)が孝安天皇の系譜で接続。

孝安天皇の略年表

生誕孝昭天皇49年 / 紀元前427年推算
即位孝安天皇元年1月27日旧暦 / 紀元前393年推算
皇居室秋津島宮(むろのあきつしまのみや)/ 奈良県御所市伝承地
在位中事績の記録は少ない → 事績へ
崩御孝安天皇102年1月9日旧暦 / 紀元前291年推算
享年137歳 / 古事記123歳
陵墓玉手丘上陵(たまてのおかのえのみささぎ)/ 奈良県御所市治定陵

系譜(簡略)

孝昭天皇
世襲足媛(よそたらしひめ)
出生順位第二皇子
皇后押媛(おしひめ)

系譜の詳細

母は世襲足媛、皇后は姪の押媛(父=同母兄・天足彦国押人命)
叔父と姪の結婚で、和珥氏が王家の外戚として直結

5孝昭天皇
├─ 天足彦国押人命(和珥氏の祖)
│ └─ 押媛(6孝安天皇の皇后/7孝天皇霊の母)
└─ 6孝安天皇
└─ 7孝霊天皇

世襲足媛(よそたらしひめ)— 孝安天皇の母

  • 兄:瀛津世襲(おきつよそ)は尾張氏の祖と伝わる
  • 子:天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)は、皇后・押媛の父
    和珥氏らの始祖
  • 子:日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと:孝安天皇)

押媛(おしひめ)—孝安天皇の皇后

  • 父:天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)は、孝安天皇の同母兄
  • 子:大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと:第7代孝霊天皇)

天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)— 孝安天皇の兄

天足彦国押人命は「和珥氏」の祖とされる人物で、この代で王家と和珥が親族で直結(=外戚)

和珥氏(概要)

本拠は大和・山辺郡(現・奈良県天理市周辺)の中央豪族。成立由来は渡来系の鍛冶集団や海人ネットワーク関与など諸説(確定せず)。

のちに小野氏(文化系エリート氏族:小野妹子・小野篁など)や春日氏(神事基盤で藤原氏と結びつく)へ派生と伝わる。

尾張氏(解説)

伊勢湾沿岸~河口域を拠点とする海人系の名門。航海・交易・祭祀に関与し、古代の海上ルートで王権とも接続。

祖神はアメノホアカリ(天火明命)とする天孫系伝承が広く残る。

*アメノホアカリ(天火明命)は、物語上の活躍の記述が乏しく、系譜も資料によって異なります(ニニギの兄・子、ニギハヤヒ同一視など)。
尾張氏・海部氏・丹波氏の祖神とされますが、後付けとみる説もあります。

母・皇后に関する異伝

  • 母:渟名城津媛(ぬなきつひめ)→ 磯城縣主・葉江の娘 異伝
  • 母:大井媛(おおいひめ)→ 豊秋狹太媛の娘 異伝
  • 皇后:長媛 (ながひめ)→ 磯城縣主・葉江の娘 異伝
  • 皇后:五十坂媛 (いさかひめ)→十市縣主・五十坂彦の娘 異伝
磯城縣主(しきあがたぬし)

大和・磯城郡を治めた地方首長

初期天皇の后妃の出自として、磯城縣主が『異伝』にもたびたび現れます(=外戚ライン)

関連ノート

地域ノート(宮・陵)

事績

即位元年(太歲己丑年1月27日)

即位

即位2年10月

都を室(奈良県御所市)の秋津嶋宮(あきつしまのみや)に定める

即位26年2月

押媛(おしひめ)を皇后とする

即位76年1月

大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)を立太子

即位102年1月

崩御


🕓 更新日:2025年9月1日

※ 個人的な備忘録として、調べながら書いているブログで、書き足し、修正、アップデートを重ねています