参照用ページ(史料のまとめ)

🕓 更新日:2025年5月27日

個人的な備忘録として、調べながら書いているブログです
書き足し、修正、アップデートを重ねています

目次
  1. 上宮記
  2. 新撰姓氏録
  3. 古語拾遺
  4. 先代旧事本紀
  5. 日本書紀以外の国史(続日本紀など)

上宮記

『上宮記』は、日本最古級の歴史書の1つ
→「用字法」や「天皇号の未使用」などから『古事記』『日本書紀』よりも早く成立
→ 記紀の記述とは異なる視点を含む
→ 記紀には登場しない人物名や別系統の系譜
・・・ただし、「記紀編纂後に作られたものではないか」という批判も根強く、成立時期については諸説分かれる(推古朝〜8世紀初頭説まで)
→ 現在は全文が失われており『釈日本紀』や『聖徳太子平氏伝雑勘文』などに逸文(後世の文献に引用)として残るのみ
→ 内容は聖徳太子とその一族の系譜
・・・特に✅『釈日本紀』巻十三に引用された「継体天皇の出自」ついては、「記紀の空白を埋めるために創作された」「記紀とは異なる皇統譜を記していた」など継体天皇の出自を批判する材料に
→ 聖徳太子著作の伝承があるが
・・・実際には聖徳太子の著作ではなく、後代の仮託とされる
→ 成立の背景
・・・聖徳太子や山背大兄王を称揚する目的の「上宮王家系の史書」とする説
・・・蘇我氏の正当性を強調した『天皇記』を下敷きに改作したとする説など

✅『釈日本紀』とは?
→ 鎌倉時代の学者・卜部兼方が書いた、『日本書紀』全30巻に対する注釈書
→ 多くの古代文献からの引用を含む
→ 『上宮記』の逸文もここに残されている

新撰姓氏録

『新撰姓氏録』は、平安初期にまとめられた氏族リストで、古代豪族の由来や分類を知る重要な資料
皇族系・神代系・渡来系に分かれており、日本の古代氏族構造を読み解くヒントがつまっている

平安時代初期の815年に、嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑
・・・主に京と畿内に住む1182氏族の出自や由来を記録
・・・各氏族は、「皇別」「神別」「諸蕃」の3つに分類を、さらに細かく分類
・・・全30巻構成(現存するのは抄録と逸文のみで、本文は失われている)
・・・内容には一部矛盾や誤記もあり

古代氏族・家格の研究に欠かせない史料

皇別
天皇の子孫とされる氏族
335氏橘、清原、源など
神別
神代の神々の子孫とされる氏族
404氏中臣、忌部、物部など
諸蕃
渡来系の氏族
326氏秦、大蔵、漢氏など
不明・分類外
どこにも属さない氏族
117氏

神別の内訳

天神天神(高天原系)からの子孫藤原氏、大中臣氏など
(246氏)
天孫 ニニギの子孫(三代以内)尾張氏、出雲氏、隼人系など
(128氏)
地祇土着神の子孫安曇氏、弓削氏など
(30氏)

古語拾遺

『古語拾遺』は、平安時代の神道資料(全1巻)

著者:斎部広成(いんべのひろなり)
→ 忌部氏(神祭りを担当する古代氏族)の代表
→ 朝廷の祭祀制度から外されがちだった忌部氏の役割や功績を正しく伝えるために記した

成立年:807年
一部の写本には「大同元年(806年)」とあるが、これは誤り
理由は、本文に「大同元年8月10日の天皇の裁定」をすでに「終わった出来事」として書いている
→ つまりその後に書かれたのが明らか
→ ポイント:『古語拾遺』は「✅中臣・忌部の祭祀争い」に決着がついた後に書かれた

✅中臣・忌部の祭祀争いについて
もともと、祭祀は「忌部氏」と「中臣氏」で役割を分担していた(忌部=祭具/中臣=祝詞)
→ 645年:大化の改新で中臣鎌足が台頭
→ 律令制度が整うと、祭祀の中心的な役職も中臣氏が独占するようになる
→ 806年:忌部氏に対する勝訴判決が出ている
→ 807年:『古語拾遺』を提出

目的:「祭祀のルール作成に向けた報告書」説が有力
→ 同時に、忌部氏の正統性もアピールしていて一石二鳥

内容
▲序文:記紀では神事の本質や古い伝承が失われていると批判し、斎部氏の立場から本来の神祭りの伝統を伝えると宣言
▲ 神話と祖神の活躍:天地創造から天岩戸、天孫降臨までの神話を描き、特に斎部氏の祖・天太玉命の功績を強調
▲ 神武天皇以降の儀礼:初代天皇の即位以降、祭器・神事・大嘗祭などにおける斎部氏の関わりを記述
▲ 古い祭祀の欠落(11項目):省かれた本来の神事(斎部氏の任務)を具体的に列挙し、復活を訴える
▲ 農耕神・御歳神の教訓話:収穫祭で神への礼を欠いた子が祟りを受ける話で、神事の慎重さと敬意の重要性を伝える
▲跋(あとがき):古伝の記録を残す意義を語り、斎部氏の祭祀の正統性を後世に訴える

先代旧事本紀

『先代旧事本紀』は、日本の神代から推古天皇の時代までの歴史をまとめた書物(全10巻)
古代の神話や天皇の系譜、氏族の由来などを記録した歴史書の一つ
→ 仏教受容の政争で没落した物部氏が、自家の祭祀・系譜を残すために『先代旧事本紀』で自家記事を厚くした可能性が高い

序文では「620年に聖徳太子と蘇我馬子が推古天皇の命で編纂した」と書かれている
→ これは後世の創作とされている
→ 理由:本文との時代差/平安時代の文体

成立時期
平安時代初期(807年〜868年ごろ)に書かれたと推定
→『古語拾遺(807年成立)』の内容を引用
→『令集解(868年成立)』に引用されている
→ 9世紀には朝廷の公式講義で『日本書紀』を読む習慣が盛んで、関連副読本が数多く作られた

編者は未詳
→ 物部系の人物(興原敏久説など)が記紀を下敷きに「物部・尾張の家伝」を合本した便覧書という見方が主流

本文の大部分は『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』を下敷きにしている
→ 一部に『記紀』にも『古語拾遺』にも見えない 独自記事が混ざる
→ 特に
▲ 第五巻「天孫本紀」:尾張氏・物部氏の系図あり
▲ 第十巻「国造本紀」:全国の古い豪族の系譜を記録(のちの国造制度の資料)

江戸時代に偽書扱いされ評価が下がるが
→ 現代の見方は、序文は確かに偽作だが、本文の一部は古く貴重な資料
→「天孫本紀」「国造本紀」は氏族研究に重要

『先代旧事本紀』では、高倉下(尾張氏の祖)と宇摩志麻遅(物部氏の祖)を同父異母兄弟にしている

饒速日命
├ 天香語山命=高倉下→尾張氏
└ 宇摩志麻遅命   →物部氏

尾張氏:熱田社で草薙剣を守る
物部氏:石上社で布都御魂を守る

9世紀前半に草薙剣を奉斎する熱田社(尾張氏)が急速に朝廷直轄の官社へ上がる時期と一致

日本書紀以外の国史(続日本紀など)

720年 日本書紀 神代〜持統天皇(697年)
797年 続日本紀文武〜桓武天皇(697〜791年)
840年 日本後紀桓武〜淳和天皇(792〜833年)
869年 続日本後紀仁明天皇(833〜850年)
879年 文徳実録文徳天皇(850〜858年)
901年 日本三代実録清和・陽成・光孝天皇(858〜887年)

→ 📌901年『日本三代実録』を最後に、朝廷による正史の編纂は途絶える
・・・その後は、公家や僧侶が書き残した「日記」や「記録帳」が、手がかりとる
・・・ 例)応仁の乱のころ『看聞御記』『大乗院寺社雑事記』などが貴重な記録