第6代孝安天皇ゆかりの「室(葛城)」を、社・碑と地名の連続から概観します。室秋津島宮の伝承地/玉手丘上陵/「秋津島」の語を、参拝メモつきで手短に。
凡例①:管理・制度のラベル
- 治定陵 宮内庁が治定した陵墓域(陵墓のみ)
- 陵墓参考地 皇室関係の可能性が高く宮内庁が保護管理する地点(陵墓のみ)
- 史跡 / 特別史跡 文化庁の指定(宮跡・古墳・城跡など)
- 伝承地 法的指定ではない地域伝承の地点(碑・社の由緒など)
凡例②:根拠レベル(本サイトの評価メモ)
- 伝承地(傍証少) 伝承・碑はあるが付随情報が少ない
- 伝承地(傍証多数) 地名・祭祀・古墳・古道・水利が重なる
- 比定有力 遺構+年代整合+文献照合が揃う
- 学術確度高 発掘報告・文化財指定・整備まで進む
まずは要点
- 宮名は日本書紀「室秋津島宮」/古事記「葛城室之秋津島宮」。
伝承地は御所市・室の八幡神社境内に碑。 - 陵は宮内庁治定の玉手丘上陵(御所市玉手)。
本ページでは被葬者を断定せず「伝承の場」として参照します。 - 「秋津島」は日本の異名だが、もとは大和の一地域(葛城周辺)を指したとする説もある。
室秋津島宮(伝承地)
『日本書紀』は「室秋津島宮」、『古事記』は「葛城室之秋津島宮」。伝承地は御所市室の八幡神社で、境内に「室秋津島宮阯」と刻む石碑が建てられている(近代の建立とみられる伝承標識)。
本ノートでは、地名・祭祀の連続性に着目し、「場」の持続として位置づけます。
※本ノートは場所(景観)の連続性に着目し、人物比定には立ち入りません。
現地の目印(伝承地) | 奈良県御所市室1322・八幡神社(宮山古墳・後円部麓に鎮座/境内に宮址碑あり) |
周辺のポイント | ●宮山古墳(背後の丘陵=神域感) ●玉手丘上陵(孝安天皇の治定陵)—伝承する“場”としての参照に留める。 ●宮山(みややま)周辺の社 → 「周辺の社」を参照 |
※宮山古墳(通称:室宮山古墳)
玉手丘上陵(治定陵)
宮内庁は奈良県御所市玉手の丘陵上を孝安天皇「玉手丘上陵(たまてのおかのえのみささぎ)」に治定しています。 拝所からの拝観のみ可。陵域(玉垣)内は立入禁止です。
現地の目印(治定陵) | 奈良県御所市玉手675・宮内庁の陵標識/玉垣/参道・拝所。 |
周辺のポイント | ●室(八幡神社の宮址碑=宮の伝承地)・宮山古墳(=室宮山古墳) ●掖上の国見伝承(秋津島語源の話)→ 「秋津島語源の話」を参照 ※書紀表記:腋上 ●周辺の社・国見神社 → 「周辺の社」を参照 |
※ 本ページでは、陵は治定陵として尊重しつつ、 場所の連続性(地名・祭祀・古墳分布)を読む観測点として参照します(人物・被葬者の直接証明ではありません)。
着眼パターン:祭祀景観+地名の連続性
※ 本節は個人的な観察メモです(逐次更新)。
室八幡神社の境内に「室秋津島宮阯」碑が残る点に注目します。ここでは、宮山という神域・社の存立・周辺の遺構と地名の連続という三つの手がかりから、場(景観)の持続を読み取ります。さらに、古墳分布/古道(谷口)/低地利用(水利)との重なりを観察します。
*「室秋津島宮阯」碑は、近代の伝承標識で、公的史跡指定の対象ではない。
フィールドメモ
社・碑 | 八幡神社の宮址碑/祭神・縁起の確認 |
地名 | 「室」「玉手」など古層地名の反復 |
遺跡 | 近隣の前期〜中期古墳・集落の点在 |
古道・谷口 | 丘陵縁の小峠・道筋(古道の通過点) |
水 | 谷筋の小河川や溜池の痕跡(低地利用) |
伝承地(傍証多数)
室周辺は現時点で宮址の直接証拠は未確認ですが、社碑・地名・古墳分布・古道・水利など傍証の重なりがあるため、この評価で扱います。評価は暫定。新資料が出れば更新。
周辺の社(祭祀景観の手がかり)
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室八幡神社(室1322)
宮山古墳の後円部麓に鎮座。境内に「室秋津島宮阯」碑(伝承標識)。
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鴨都波神社(御所市宮前町)
葛城の鴨社中核。水辺・稲作と結び付く祭祀。
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鴨山口神社(櫛羅)
葛城山麓の山口社(式内社)。古道の谷口に位置。
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国見神社(掖上)
神武紀の「腋上の嗛間丘」ゆかりと伝承。周辺の地名伝承と併せて参照。
※いずれも宮址の直接証拠ではありません。祭祀の「場」と地名の連続性をみるための参照点です
語『秋津島』の読みと用法(あきつ/あきづ)
「秋津島(秋津洲)」は日本の異名として知られますが、大和(葛城周辺)を指す地名が起源とみる見解があり、のちに日本全体の雅称へと拡張したとも考えられています。
※宮名「室秋津島宮」は、国号としての雅称だけでなく、地名(葛城・室の秋津系地名)を反映した呼称と読む立場もあるため、両説を記します。
- 見解A:地名→国号(語史)
葛城(御所・室周辺)の地名「秋津」を起点に、大和 → 日本の雅称へ意味が拡張したとする見解(確説ではない)。 - 見解B:編纂の遡及(テキスト)
奈良時代に一般化していた雅称「秋津島」を、神武の国見など古い場面へ“時間的に”さかのぼらせて当てはめたとみる説(編集上の処理)。
秋津島(あきつしま)の由来と広がり
※ 読みは史料により あきづ/あきつ と揺れます(言葉の意味は同じ)。
- 起源伝承(日本書紀・神武紀):腋上(わきがみ)の嗛間丘(ほほまのおか)での国見で「蜻蛉(あきつ:トンボ)が交尾する姿のようだ」と言った話が、秋津洲/秋津島の語源とされる。
※書紀本文で腋上、現行地名は掖上 - もう一つの由来(古事記・雄略記):吉野の阿岐豆野(あきづの)で、虻を蜻蛉が食べた歌から国を蜻蛉島(あきづしま)と称した説話。
- 用法の定着:奈良時代、『記・紀』では国号的、『万葉集』では「大和」に掛かる枕詞として頻出。
参拝・アクセス(要点)
- 玉手丘上陵:拝所からの拝観のみ可。陵域(玉垣)内は立入禁止。
- 室八幡神社:境内に「室秋津島宮阯」碑(伝承標識)。
- 周辺:坂・狭い路地あり。歩きやすい靴推奨。

目的地(コピペ用)
室八幡神社(室秋津島宮阯 碑)/ 〒639-2277 奈良県御所市室1322
玉手丘上陵(孝安天皇・治定陵)/ 〒639-2247 奈良県御所市玉手675
鴨都波神社 / 〒639-2271 奈良県御所市宮前町513
鴨山口神社 / 〒639-2312 奈良県御所市櫛羅2428
国見神社(掖上)/ 〒639-2246 奈良県御所市原谷276
※ 住所は目安です。現地表記・公式案内と照合のうえご利用ください。
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参考リンク(一次情報・公的情報)
参考リンク
玉手丘上陵(孝安天皇)
宮山古墳(=室宮山古墳)
掖上(腋上)の国見伝承/秋津島