第2代 綏靖天皇(すいぜい)/ 神渟名川耳天皇

目次
  1. はじめに
  2. 基本情報
  3. 系譜
  4. 事績

はじめに

天皇の系譜や事績について、基本的に『日本書紀』に書かれている内容をもとにまとめています
考古学の発見や他の歴史資料とちがう点は、できるだけ注釈をつけて紹介

▲👤天皇の名前
● 諱(いみな):天皇が生きているときの本名(神聖なのでふだん呼ばない)
● 諡号(しごう): 亡くなったあと付けるおくり名
→ 漢風諡号 :「○○天皇」形式(漢字2字+天皇)
・・・日本書紀が完成した720年に漢風諡号は無い
・・・💡760年ごろ淡海三船(おうみのみふね:皇族・学者)がまとめて付けた
→ 和風諡号 : 例「神日本磐余彦天皇」のような長い和語名
・・・和風諡号が記録に確実に現れるのは持統天皇(703年没)以降
・・・💡それ以前の天皇は、和風諡号か本名(諱)かはっきりしないことがある

▲ 📚「異伝」について
本文:皇后は〇〇の娘とする。
一書第一:△△の娘とする。
一書第二:□□の娘とする。

→ このように複数の別バージョンが書き添えられている
→ 豪族・土地の神・伝承にも気を配った結果(根回しの記録)

基本情報

在位期間前581年~前549年(享年84歳)
『古事記』45歳
皇居高丘宮(たかおかのみや:奈良県御所市)
桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ:奈良県橿原市)
和風諡号神渟名川耳天皇(かんぬなかわみみ)
→ 新潟県の「沼川」や越の国に関係?
神武天皇(第三皇子)
✅媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)
皇后✅五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと:叔母)

子どもの頃から勇ましく、成長すると見た目も立派で武芸にもすぐれた、優れた人物と表現されている

系譜

✅ 母:媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)
コトシロヌシ(事代主神)・母:玉櫛媛は三嶋溝橛耳神の娘)
・・・コトシロヌシは、大国主の子(出雲系の神様で国譲り神話のYESマン)
・・・『古事記』では、父は大物主
→ 母:玉櫛媛(たまくしひめ)は、三嶋溝橛耳神の娘
→ 兄:天日方奇日方命(あまのひがたくしひがたのみこと)
・・・天日方奇日方命の子:渟名底仲媛命(ぬなそこなかつひめ)は、第3代安寧天皇の皇后で、第4代懿徳天皇の母
→ 妹:五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと:第2代綏靖天皇の皇后)
→ 子:神八井耳命(かんやいみみのみこと:第2代綏靖天皇の兄)
・・・手研耳命(異母兄)を射る手が震えたことを恥じ、天皇にならず祭祀の道へ(多氏の祖)
→ 子:神渟名川耳尊(かんぬなかわみみのみこと:第2代綏靖天皇)

✅ 皇后:五十鈴依媛命(叔母にあたる)は、皇后の妹
→ 父:コトシロヌシ(事代主神)
→ 子:磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと:第3代安寧天皇)
📚「異伝」
▲磯城県主の娘の川派媛(かわまたひめ)
▲春日縣主大日諸の娘の絲織媛(いとおりひめ)

🔍 ひとこと:コトシロヌシ(事代主神)
大国主の息子で、天孫降臨の「国譲り交渉」に登場
▲コトシロヌシは釣り船の上で神託を聞き、すぐに承諾
▲タケミナカタ(建御名方:兄)は抵抗して撃退される
→ 結果 大国主は国譲りを受け入れ、天孫ニニギが降臨
ちなみに「えびす様」のルーツは、大国主命(大黒さん)の子であるコトシロヌシ(事代主神)か、イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)のことが多い

コトシロヌシ(事代主神) 
├ 媛蹈鞴五十鈴媛命(2綏靖の母)
├ 五十鈴依媛命 (3安寧の母)
└ 天日方奇日方命=鴨王
└渟名底仲媛命 (4安寧の母)

🔍 ひとこと:天日方奇日方命(あめのひかたくしひかたのみこと=鴨王)
出雲系の血筋が、皇室に外戚としてつながっている系譜上の要石で、実際の活躍記事はない
崇神天皇の時代、📚「異伝」で大神神社(三輪山)の神官(大田田根子)の母方の祖父として登場

🔍 ひとこと:磯城県主(しきあがたぬし)
磯城郡(現在の奈良県中部)を治めた地方豪族の首長
初期天皇の妃を多数輩出した「外戚」としてたびたび(📚「異伝」)に登場

事績

🌟 神武天皇の死後、手研耳命(たぎしみみのみこと:異母兄)が謀反を計画
・・・手研耳命は神武天皇の第1皇子(母は吾平津媛:神武東征前に日向国で娶った最初の妃)
→ 神渟名川耳尊(綏靖天皇)と神八井耳命は謀反を察知、神武天皇の葬儀中に弓矢を準備
→ 片丘(奈良県北葛城郡上牧町のあたり)の小屋に一人いた手研耳命を襲う
→ 神八井耳命は恐れて矢を放なかった
→ 綏靖天皇が代わって矢を放ち、兄を射殺
神八井耳命は自らを恥じ、綏靖天皇に皇位を譲り、神々を祀る役目になる(多氏の始祖

🔍 ひとこと:多氏(おおし)
大和国十市郡飫富郷(奈良県田原本町)を本拠とする日本最古の皇別氏族
「太」「大」「意富」「飯富」「於保」とも記される
太安万侶(『古事記』の編者)もこの一族

🌟 即位元年(太歲庚辰年1月8日):即位
都を葛城の高丘宮に定める

🌟 即位2年1月:五十鈴依媛(いすずよりひめのみこと)を皇后とした

🌟 即位4年4月:神八井耳命が死去し、畝傍山の北に葬られた

🌟 即位25年1月:皇子の磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)を立太子

🌟 即位33年5月:崩御、84歳

🕓 更新日:2025年7月16日

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