匈奴は、前3世紀末から2世紀にかけて、モンゴル高原を中心に広がった遊牧連合体。漢王朝との抗争と和親を繰り返しながら、東アジアの草原ルートを結び、交易・婚姻・軍事を通じて「国境を越える秩序」を形成した。
- 成立〜拡大(前3〜前2世紀):冒頓単于のもとで匈奴が台頭(前209年ごろ)。
→ 日本:縄文晩期〜弥生初頭(弥生移行のタイミングにかかる) - 前漢と対立・和親・抗争の盛期(前2〜前1世紀):漢—匈奴関係が最も活発。
→ 日本:弥生中期(教科書的には弥生の真ん中あたり) - 後漢期〜分裂・西遷(1〜2世紀):南匈奴の服属・北匈奴の西走など。
→ 日本:弥生後期 - その後(3世紀以降):匈奴の名を持つ諸勢力や周辺遊牧勢力の変遷。
→ 日本:古墳時代初頭へ(弥生→古墳の境はおおむね3世紀中頃)
クイック情報
| 活動期 | 前209 〜 1世紀後半(±50) |
| 分類 | 遊牧連合 |
| 勢力圏 | モンゴル高原南縁/オルドス/河西回廊 |
| 終局 | 分裂(南北匈奴) |
| 影響 | 鮮卑・突厥への継承・連鎖 |
| 特記事項 | 単于家=攣鞮氏、和親(婚姻外交)を制度化 |
ミニ年表
| 前209頃 | 冒頓単于、匈奴を統一し中央集権的連合を形成 |
| 前200 | 白登山の戦いで漢高祖を包囲、和親政策の契機となる |
| 前133〜前119 | 漢の反撃(衛青・霍去病)、河西回廊の掌握 |
| 前53 | 呼韓邪単于、漢と講和し宮廷へ朝見(和親完成) |
| 1世紀中葉 | 南北匈奴に分裂、西域・中原の覇権移行期へ |
事績(特集へのリンク)
北縁圧で回廊揺らす
匈奴は漠北の遊牧連合で、機動力を生かして河西北縁に圧力をかけた。漢は和親(前198年)でいったん緊張を下げ、必要なときは軍事で抑えつつ、郡治や玉門・陽関を整えて国境を“通れる帯”へと変えていった。
