—出アフリカ|東アジア定着とアメリカ到達(アイスフリー回廊)—
アイスフリー回廊(IFC)は、ロッキー山脈東側でローレンタイド氷床とコーディレラ氷床のあいだにできた内陸の道です。氷が退いた直後は寒く資源が乏しく、人が移動するには早すぎました。植物・動物が戻り、生態学的に通れる(可用化)のは終末更新世の後半(~13.5–12ka)です。
30秒要点
- 物理的開口 ≠ 可用化:氷が割れて道が見えても、食料や薪が戻るまで人には厳しい。
- 時期:~13.5–12kaに植生・動物が回復(可用化)。
- クロヴィス期との関係:~13.05–12.75kaのクロヴィスは、IFC後半の可用期と重なる。
- 沿岸との役割分担:より早い~16–14.5kaの南方到達(例:モンテ・ヴェルデ)は、沿岸ルートの方が説明しやすい。
対応マップ
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本論
1)「可用化の閾値」とは
人が長距離移動できるには、①歩ける地形に加え、②食料・燃料・獣道など生態学的資源が必要です。アイスフリー回廊(IFC)では、氷が割れた後もしばらくは氷河性の砂礫・氷湖が多く、植物→草食動物→狩猟資源の順に段階的に回復しました。
実際の地名で言えば、北側の Peace River 低地から南側の Athabasca 谷へ抜ける谷筋が、氷床間の“通り道”として想定されます。本文の地図では、この通り道が通る範囲を「アイスフリー回廊帯(IFC帯)」として示しています。
2)何でわかるの?(古DNAと古環境)
カナダ西部の湖沼堆積物から得られた植物・動物の古DNA(eDNA)と花粉・地形復元により、~13.5–12kaの間にハイマツやバッファローベリー(人の食糧にもなる)が入り、ビソンなど大型動物が通行できる環境が整ったことが示されます。
これらの指標(古DNA・花粉)は、Peace River 低地〜Athabasca 谷に沿うラインでの植生回復 → 大型動物(ビソン等)通行 → 人の往来という順序と整合します。
3)クロヴィス期との重なり
クロヴィス文化の年代は、放射性炭素を補正した値で約 13,050〜12,750 年前(cal BP)、西暦に直すとおよそ紀元前 11,100〜10,800 年です。ちょうどアイスフリー回廊(IFC)が“生態学的に通れるようになってきた時期”と重なります。だから、クロヴィス期の一部の移動や北上・往来はIFCで説明できると考えられます。
いっぽう、約 14,500 年前に南米で確認されるモンテ・ヴェルデのような「もっと早い到達」は、IFCだけでは説明しにくく、海沿いの“沿岸回廊”が関わったと見るのが自然です。
根拠と限界
- 根拠:IFC域の古DNA・花粉が示す植生回復、ビソン古DNAの回廊通行の時系列、クロヴィス年代との整合。
- 限界:IFCの局所差(谷ごとに回復速度が違う)、考古遺跡の少なさ。沿岸早期遺跡は海没バイアスで比較が難しい。
- 補足:IFCは初到達の必須ルートではなく、終末更新世後半の往来・拡散に重要だったとみるのが妥当。
確度(A/B/C)
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- A 公的・一次級で直接確認(一次が複数一致でもA)
- B 複数一次情報からの強い推定(反論や未確定部分あり)
- C 仮説寄り(一次が乏しい/矛盾/作業仮説段階)
- IFCの生態学的可用化が~13.5–12kaに進行:B(古DNA・花粉・地形の複数一次研究が整合)
- クロヴィス年代(~13,050–12,750 cal BP):A(多数遺跡の較正年代で確立)
- 初到達は沿岸先行、IFCは後続:B(IFC可用期と前-クロヴィス証拠の時差が一致)