ー日本列島への到来|氷期末のルート(北ルート)ー
氷期末(~30–12 ka)、海面が今より低くなり、宗谷海峡は浅く(陸橋期の最終段も含む)、千島列島は島伝いに渡りやすくなりました。考古学的には黒曜石(白滝など)の流通とマイクロブレード技術の拡がりが、北からの移動を読み解く“目印”になります。
※本稿は先史時代の内容です。「蝦夷」は便宜的な地理ラベル(=北海道・樺太・千島の広域)
30秒要点
- 環境窓:最終氷期最盛期〜退氷期は低海面(~120 m低下)。宗谷海峡は陸橋〜浅海の段階を経て開水域化。千島は島伝い(深い海峡が多く全面陸橋はなし)。
- 技術指標:マイクロブレード(楔形芯など)がLGM〜後氷期初頭に広がる。黒曜石源(白滝など)の利用が顕著。
- ルート像:千島中部 → 樺太南端(クリリオン岬) → 宗谷(稚内) → 道北・道東。
対応マップ
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本論
1)地形・海面が開いた“北の窓”
地球規模の寒冷化で海面が大きく下がった時期(最終氷期最盛期)には、宗谷海峡の陸橋段階が続いたのち、海面上昇で浅海→開水域へと移りました。専門研究では宗谷・タタール・根室の各陸橋を想定し、北海道〜樺太〜ユーラシア北東部が半島状に連なる地形だったと復元されます。こうした“物理的につながる/距離が縮む”時期は、移動にとっての環境窓です。
2)千島は“島伝い”——全面陸橋ではない
千島列島の海峡は深い区間が多く、全面が陸続きだったわけではありません。したがって短距離の舟行や、場合によっては季節海氷の利用を含むステップ航行が現実的です。これは、千島が東アジア沿岸とベーリンジアを直結する“島の連鎖”であるという地理的性格にも合致します。
3)考古の“目印”:黒曜石とマイクロブレード
北海道の後期旧石器では、黒曜石器が圧倒的に多く、白滝・置戸・十勝三股・赤井川など原産地が多数知られます。マイクロブレード(楔形芯)はLGM〜後氷期初頭に広がり、北東アジア広域の技術トレンドと同期します。これらの指標は、北ルートが“資源(黒曜石)と技術(微細石器)”の伝播路でもあったことを示唆します。
根拠と限界
- 根拠:氷期の大きな海面低下(~120 m)と、宗谷陸橋の終期に関する地形・海洋学の研究。千島の深い海峡(全面陸橋化しにくい)という地理的制約。北海道の黒曜石原産地とマイクロブレードの広がり。
- 限界:海岸の多くは海没しており、沿岸キャンプなどは見つかりにくい。島伝いの具体的な舟行ルートや季節海氷利用は仮説段階で、地域ごとに解釈が揺れます。
確度(A/B/C)
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- A 公的・一次級で直接確認(一次が複数一致でもA)
- B 複数一次情報からの強い推定(反論や未確定部分あり)
- C 仮説寄り(一次が乏しい/矛盾/作業仮説段階)
- 宗谷海峡の浅海化〜陸橋段階の存在:B(複数研究の整合)。
- 千島は“島伝い”で全面陸橋ではない:B(海底地形の制約に基づく)。
- 黒曜石利用とマイクロブレード拡がり=北ルートの指標:B(考古資料の広域整合)。