環境|氷期末の海面低下と陸橋

ー日本列島への到来|氷期末のルート(氷期末の海面低下と陸橋)ー

最終氷期には海面が最大で約120 m低下し、北海道と樺太の間(宗谷海峡)は陸橋〜浅海の段階を経てつながりやすく、朝鮮半島と九州の間(朝鮮海峡=対馬海峡)は島伝いで渡渉距離が短縮しました。退氷とともに海面が上がり、こうした“環境窓”は順に閉じることになります。

30秒要点

  • どれだけ下がった?:最終氷期最盛期(LGM)で~120 m低下。
  • どこが開いた?:宗谷海峡=陸橋〜浅海、対馬・壱岐=島伝いの短距離渡渉(全面陸橋ではない)。
  • いつ閉じた?:退氷期(~19–12 ka)に順次再水没、海流(対馬暖流)も再開。
  • 読み解きのコツ:地形(浅海帯)×技術(マイクロブレード)×資源(黒曜石)をセットで見る。

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初期表示レイヤー:01, 03, 04, 05 / 版:v20250928

本論

1)LGMの海面低下と“露出した棚”

氷床が最大だったLGM(おおむね~26.5–19 ka)には、海面が~120 m下がり、大陸棚(浅い海底)が広く露出しました。日本周辺では旧海岸線が外側へ移動し、沿岸の距離が縮む・浅い海域が広がるといった変化が起きます

2)宗谷は「陸橋〜浅海」、対馬は「島伝い」

宗谷海峡は、LGM前後に陸橋〜浅海の段階を経たと考えられ、北海道〜樺太〜北東アジアが半島状に連続しました。一方、対馬海峡は深い区間もあり、全面陸橋にはなりにくいため、対馬・壱岐を足場とする短距離の渡渉が現実的です。

3)窓が閉じる:退氷と海流の再開

退氷で海面が上がるにつれ、露出していた棚は順に海に戻り、宗谷の陸橋段階は終わり、対馬ルートの渡渉距離も増加します。この頃に対馬暖流の流入も本格化し、沿岸の環境と資源(魚介・漂着資源)の分布が変わります。

4)ルートとの関係(まとめ)

北ルート(千島—樺太—北海道)は宗谷の陸橋〜浅海化で通りやすくなり、西ルート(朝鮮半島—対馬—壱岐—九州)は島伝いで渡渉が段階化されました。これらの環境要因は、マイクロブレードや黒曜石利用といった技術・資源の広がりと呼応します。

根拠と限界

  • 根拠:グローバルな海面低下曲線(LGMで~120 m)、地域の古地理復元(宗谷の陸橋段階、対馬の浅海域)。
  • 限界:沿岸の多くは海没しており、具体的なキャンプ跡は見つかりにくい。局地的な隆起・沈降や海流の再開時期には地域差がある。

確度(A/B/C)

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  • A 公的・一次級で直接確認(一次が複数一致でもA)
  • B 複数一次情報からの強い推定(反論や未確定部分あり)
  • C 仮説寄り(一次が乏しい/矛盾/作業仮説段階)
  • LGMで~120 mの海面低下:A(一次級の氷床・海面研究で強固)。
  • 宗谷の陸橋〜浅海段階の存在:B(複数復元が整合)。
  • 対馬は全面陸橋ではなく島伝い:B(海峡の水深・古地理に基づく)。

参考資料