ー日本列島への到来|氷期末のルート(南ルート)ー
後期更新世〜氷期末、琉球弧(与那国—石垣—宮古—沖縄—奄美—トカラ—屋久島)は 島嶼が連なる「踏み石」の帯でした。沖縄・先島では約3.2〜2.0万年前の人骨が複数地点で確認され、 島伝いの到来を示します。なお、本稿の破線は概念接続のガイドであり、 当時の陸域や連続航路を断定するものではありません。
30秒要点
- 確実な人骨:山下町洞穴(那覇)≈3.2万年前/白保竿根田原洞穴(石垣)≈2.7万年前/港川(沖縄南部)≈2.0万年前
- 移動像:深い海峡(例:慶良間トラフ)により陸橋は生じず、水上移動+短距離ホップが前提
- 環境窓:海面・風系・沿岸資源(潮間帯・汽水)が節点(島・谷口)を一時的に使いやすくする
- 線は概念:地図の長い直線は論旨上の接続(航路確定や陸域化を意味しない)
対応マップ
このノートのピンは
#FEEB4F:レイヤーは03
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です
本論
1)直接証拠:沖縄・先島の人骨群
山下町第一洞穴(那覇)では約3.2万年前(幼児骨)、 白保竿根田原洞穴(石垣)では約2.7万年前の全身骨格を含む多数の人骨、 港川フィッシャー(沖縄南部)では約2.0万年前の骨格群が報告されています。 これらは島伝いの定着を直接に裏づける一次資料です。
2)どう渡ったのか:島嶼ホップのモデル
琉球弧は深い海峡(例:慶良間ギャップの閾深 ≈1100m)により陸橋化せず、 短距離ホップ+季節の風や潮を活かした水上移動が前提となります。 破線の南ルート(概念接続)は、与那国→石垣→宮古→沖縄→奄美→トカラ→屋久島→九州の節点を 論旨上つないだガイド線です(史実の連続航路・直線横断を意味しません)。
3)「環境窓」の読み方:堆積・微化石・年代
海面上昇のステップや沿岸堆積(砂⇄泥の互層)・微化石群集の入れ替わり、 さらに14Cの較正とΔR補正を組み合わせることで、 節点が使いやすくなる時期を絞ります。南ルートの検証は、 ①遺跡分布(人骨) ②沿岸コア ③相対海面(RSL)復元の三点照合で進めます。
4)導かれる時期の要点
琉球弧では3.2–2.0万年前に人の到来が確実(A)。14.6–14.3千年前の急上昇期と8–6千年前の高海面成熟期に、入江や礁湖が発達=沿岸資源が濃くなる(B)。ただし、九州側への広域拡散の規模は未確定(C)で、深い海峡ゆえ常に舟行が前提(A)である。
確度A/B/C
※このサイトでは、資料の信頼度(A / B / C)を簡単なラベルで示します。
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- A 公的・一次級で直接確認(一次が複数一致でもA)
- B 複数一次情報からの強い推定(反論や未確定部分あり)
- C 仮説寄り(一次が乏しい/矛盾/作業仮説段階)
- A:沖縄・先島における後期更新世の人骨の存在と直接年代(山下・白保・港川)。
- B:RSL枠組みと「環境窓」の読み取り手法、節点(島嶼)ホップの妥当性。
- C:地図上の直線=実際の連続航路・当時の陸域という解釈、九州側への広域流入の規模推定。