「漢委奴国王」金印は何を示す?

ー 【特集】鉄と水田の拡大、クニの萌芽 ー

57年、後漢は倭の奴国の使者に金印を授けた(『後漢書』倭伝)。授与そのものは確実で、印の発見地点は志賀島(金印出土地)。一方、授与の具体的な往還ルートや奴国の範囲は概略再現にとどまります。本ノートは、楽浪郡治(平壌付近)への海上往還の現実味を、対馬・壱岐・釜山湾などの節点と季節風航海の条件から整理します。

金印と史料:何が「確実」に言えるか

後漢(57年)が倭の「奴国」の首長を“王”として正式に冊封し、倭が朝貢・互市を通じて漢の国際秩序に組み込まれていたことを示す確実な証拠です。

一方、印文「漢委奴國王」の解釈や「奴国」の行政範囲は、史料が断片的です。

往還の骨子:博多湾—壱岐—対馬—釜山湾—楽浪

地図の「奴国—楽浪 往還ルート(57年)」は、志賀島・金印出土地から壱岐(寄泊)→対馬(寄泊)→釜山湾(寄港域)→楽浪郡治(平壌付近)へ続く沿岸分割航走の概略線です。季節風と潮汐に依存するため直線ではなく「寄泊点」を刻むのが現実的

節点の役割

  • 壱岐(寄泊):短距離の分割航走で風待ち・補給。
  • 対馬(寄泊):日本海横断の中継で視程・潮流の窓を活用。
  • 釜山湾(寄港域):半島南岸の寄港・再集積の場。
  • 楽浪郡治(平壌付近):冊封・互市の制度窓口(陸上路網と接続)。

何が地理で裏づくか

いずれの節点も「島伝い/湾内/河口」による安全域を持ち、視程・風向・潮汐の条件が航走の分割を合理化します。

対応マップ

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初期表示レイヤー:01, 03, 04, 05, 10 / 版:v202501004

確度(A/B/C)

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  • A 公的・一次級で直接確認(一次が複数一致でもA)
  • B 複数一次情報からの強い推定(反論や未確定部分あり)
  • C 仮説寄り(一次が乏しい/矛盾/作業仮説段階)
  • A:57年の授与そのもの(『後漢書』の記事+実物の金印)。
  • B:往還の概略ルート(壱岐・対馬・釜山湾・楽浪郡治(平壌付近)を結ぶ分割航走)。
  • C:奴国の行政範囲の細部、寄泊地点の個別候補(湾内のどこか等)。