ー 【特集】朝鮮半島:三韓と郡県、鉄と海のネットワーク ー
1〜3世紀、弁韓→伽耶圏は朝鮮半島随一の鉄生産と加工の中核で、対馬海峡の段階的中継を経て北部九州へ継続的に供給されました。伽耶の大規模墳墓群(例:金海・大成洞)は武器・工具などの鉄製副葬でその生産力を示し、北部九州の弥生~古墳初頭は輸入鉄(素材・製品)を取り込みつつ内製化を進めます。
世界遺産「加耶古墳群」の学術資料、伽耶概説論文、そして日本側の弥生考古・航路研究が、伽耶→対馬・壱岐→那の津(博多)という海上ネットワーク像と整合します。
生産地:弁韓→伽耶の鉄ワークショップ群
伽耶(加羅)圏では、鉄の産出・製錬・再加工を担う拠点が各地に展開し、首長墓からは大量の鉄器(武器・工具・甲冑)が出土します。とくに金海市の大成洞古墳群は「早期伽耶」の中心を示す代表例で、甲冑や多様な鉄製品が確認されます(系譜・分布も整理済み)。世界遺産の審査資料も、伽耶諸勢力が交易財を内外に流通させた事実を強調しています。地図では節点名「金海—伽耶中核(代表点)」を基準点に置きました。
受け手:北部九州(弥生後期〜古墳初頭)の取り込み
日本列島の鉄利用は弥生期に大半が輸入起源として始まり、後期には北部九州を中核に内製化(鍛冶)と併行して展開します。技術・素材の出自は朝鮮半島由来が濃厚で、北部九州の大集落や墳墓群(例:吉野ヶ里ほか)を含む対外交易ネットワークの考古資料から裏付けられます。
ルート:対馬海峡の段階的中継と“那の津”への着地
航路は、漢籍記事と島嶼考古から段階的中継が再構できます。すなわち南岸港群→対馬→壱岐→北部九州の順で、対馬・壱岐には継続的な交流痕跡が蓄積。地図の「帯方→南岸港群→対馬海峡→北部九州(往還路・概略)」のラインは、この段階輸送の骨格を可視化します。最終の受け口は、北部九州の外港「博多(那の津・代表点)」で表現しており、実際の港湾は時期ごとの変遷を含みますが、玄界灘の外洋面と内湾の結節という機能像は安定的です。
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- B 複数一次情報からの強い推定(反論や未確定部分あり)
- C 仮説寄り(一次が乏しい/矛盾/作業仮説段階)
- A:伽耶諸勢力の鉄文化(大量の鉄製副葬)と交易の実在、及び弥生日本の初期鉄器の輸入起源(のち内製化)。
- B:対馬・壱岐を介した段階的中継ルートと、北部九州の外港(那の津圏)への着地。
- C:具体的な流通量・品目比率・政体間分業の推定(素材/再加工品/完成品の比)。
