【特集】朝鮮半島:三韓と郡県、鉄と海のネットワーク

西暦100–300年の朝鮮半島は、「三韓(馬韓・弁韓・辰韓)」の小国家群が沿岸港—内陸中継—海峡渡海をつないで動く時期。北では中国の郡県(楽浪/帯方〔204年設置〕)が行政ハブを担い、南では弁韓=伽耶圏の鉄が北部九州へ安定供給。海上の節点(対馬・壱岐・那の津)と、漢江中流の水運核が結びつき、「文書(使節・冊封)×物流(鉄・玉・ガラス)×軍事(高句麗・魏の交錯)」が一体で回りました。

235年以降の中国側再編(魏→西晋)にも接続しつつ、辰韓の「斯盧(サロ)」は内陸中枢を固め、のちの新羅へ収れん。馬韓の有力小国群+漢江水運核はのちの百済へまとまり、弁韓=伽耶諸国は鉄の供給核として機能(のち多くが新羅に編入)しました。

特集の層構造

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個別ノート

⤴︎ 公孫氏(グループノート)

帯方郡はなぜ生まれた?

204年、楽浪南部を切り出して帯方郡を新設し、韓・倭への沿岸中継を制度化=三韓・倭ルートの“海の窓口”を遼東(公孫氏)が握る。

年表

この特集の主要人物

⤴︎ 公孫淵(人物ノート)

公孫淵:魏呉二股の破綻

238年、「燕王」自称後に司馬懿により滅亡し、帯方の魏直轄化と海路の安定化が進む。

⤴︎ 司馬懿(人物ノート)

司馬懿:公孫氏を討って帯方を直轄化

238年、遼東で公孫淵を討ち(襄平陥落)、遼東—楽浪・帯方—三韓—倭の海上ネットワーク再編の前提を整える。

⤴︎ 卑弥呼(人物ノート)

卑弥呼:帯方経由で魏に遣使

239年に帯方経由で魏より印綬・下賜を受け冊封に編入、248年頃の女王交替後も対外ルートは継続。

⤴︎ 東川王(人物ノート)

東川王:丸都城放棄と再建

244年、魏軍に丸都城を破られて東方退避、のち復旧に着手するも北東縁秩序が大きく揺らぐ。

対応マップ

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この特集のピンの色: #3949AB / #2E88D1

初期表示レイヤー:03, 04, 05 / 版:v202501027

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参考資料