公孫康は、後漢末〜三国期の中国・遼東で活動した地方政権の統治者(軍閥的州県運営者)。父・公孫度の基盤を継ぎ、遼東の安定化と南方の楽浪処理を進め、楽浪南部を分割して帯方郡を設けたことで知られる。
クイック情報
| 活動期 | 204〜220(後漢末〜三国前期)/生涯 生年不詳 〜 220 |
| 役割 | 遼東政権の継承・帯方郡の新設・北東縁秩序の調整 |
| 主な拠点 | 襄平(遼東郡治,現・遼寧省朝陽〜遼陽一帯の史的中心)/遼東沿海域 |
| 特記事項 | 実在確実。死後は弟・公孫恭、のちに子・公孫淵の時代へ継承 |
ミニ年表
| 204年 | 父・公孫度の死去にともない遼東の統治を継承。 |
| 204–205年頃 | 楽浪南部を分割し帯方郡を設置(行政再編)。 |
| 220–226年 | 魏の成立期に中枢で台頭、対蜀戦線の司令に関与。 |
| 207年 | 遼東へ逃れた袁尚・袁煕を誅殺し、首級を曹操へ送る。 |
| 208–210年頃 | 遼東域の防衛・交通統制を強化(海陸の要点整備)。 |
| 220年 | 没。後継は弟・公孫恭。 |
事績(特集へのリンク)
公孫康:帯方郡の新設
204–205年頃、楽浪南部を分割して帯方郡を新設し、韓・倭への沿岸中継を制度化。
参考資料
『三国志』魏書(公孫氏列伝)
