アクスム王国は、 1〜10世紀頃のエチオピア北部・エリトリアと紅海沿岸にかけて活動した、 海陸交易で栄えたキリスト教王国・帝国である。 ローマ帝国・ササン朝とならぶ後期古代の大国の1つとみなされ、 内陸高原の都アクスムと紅海港アドゥリスを軸に、アフリカ内陸と地中海・インド洋を結んだ。
クイック情報
| 活動期 | 1世紀頃〜10世紀頃(とくに3〜7世紀に最盛期) |
| 分類 | 王国(世襲王権)・帝国的国家・キリスト教王国 |
| 勢力圏 | エチオピア北部・エリトリア・紅海西岸の一部、時期によってはアラビア半島南部(イエメン高地など) |
| 終局 | 7〜10世紀にかけて交易衰退・内陸移行・周辺勢力の進出が進み、10世紀頃までに王国としてのアクスムは崩壊したとみなされる。 |
| 影響 | エチオピア正教会の形成、ゲエズ語文献文化、紅海・インド洋交易網におけるアフリカ側ハブとしての役割など、後世のエチオピア王国・宗教・文字文化に大きな連続性を残した。 |
| 特記事項 | 3世紀頃、預言者マニが世界秩序を論じる中で、アクスムをローマ・ペルシア・中国と並ぶ「世界四大国」の一つに数えたと伝えられる。 また、紅海港アドゥリスに刻まれたアドゥリス碑文は、無名のアクスム王がエチオピア高原やナイル上流域、紅海対岸の遠征と征服をギリシア語で誇示した戦勝碑文であり、アクスム王国が紅海世界に広く影響力を及ぼしていたことを示す重要な一次史料となっている。 |
ミニ年表
| 1〜3世紀頃 | アクスム王国が北エチオピア・エリトリア高原で成立。内陸の都アクスムと紅海港アドゥリスを通じて、象牙・動物製品などをローマ帝国・インド方面へ輸出する交易国家として頭角を現す(『エリュトゥラー海案内記』などに言及)。 |
| 3世紀 | アクスムは紅海世界の有力勢力となり、南アラビア(イエメン)にも軍事・政治的に関与する。 |
| 4世紀前半 | 王エザナがキリスト教に改宗し、キリスト教が国教化。貨幣や碑文の意匠が多神教からキリスト教的シンボルへ切り替わり、王国は地中海世界のキリスト教権力と文化的に接続する。 |
| 5〜6世紀前半 | 最盛期。アクスムはナイル上流(クシュ)や紅海対岸のヒムヤル王国に軍事介入し、一時的に南アラビアを支配。紅海・アラビア海の交易路における主要プレーヤーとなる。 |
| 7〜8世紀 | ペルシアとイスラーム勢力の紅海・エジプト・イエメン進出により、アクスムの海上交易は縮小。貨幣鋳造も停止し、王国の重心は内陸へ後退していく。 |
| 10世紀頃 | 伝承上の女王グディトによる攻撃など、複合的な内外要因でアクスムは政治的中心として崩壊し、後続王朝(ザグウェ朝など)の時代へ移行したとされる。 |
事績(特集へのリンク)
アクスム王国(紅海口を押さえたキリスト教帝国)
西暦300〜500年ごろ、アクスム王国はアドゥリス港を通じて紅海南口の出口側を押さえ、マラバールやセイロンとローマ東方世界を結ぶ「西端ハブ」として機能した。胡椒や香料など軽く高価な貨物の通行に対し、課税と保護・倉庫・法的保障を提供する枠を担った。
