【特集】モンスーンが動かした香辛料ルート:インド洋ネットワーク

3~5世紀のインド洋は、夏の南西季節風/冬の北東季節風が作る「年一往復」の律動に合わせて港市が呼吸する巨大ネットワークでした。

胡椒(マラバール)やシナモン(セイロン)など高付加価値の軽貨が、紅海の関門(バブ・エル・マンデブ)を押さえるアクスムとヒムヤル、ペルシア湾~イラン高原のササン朝とその沿岸海商、ガンジス~タミル圏とセイロンの内海交通を連結。

年中行動(出帆窓・越冬・護送)と関税・恩典・保護の制度が結びつき、宗教(仏教・キリスト教)と商人ギルドのネットワークが情報・信用を媒介しました。

特集の層構造

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個別ノート

年表

関連するグループノート

⤴︎ アクスム王国(グループノート)

アクスム王国(紅海口を押さえたキリスト教帝国)

西暦300〜500年ごろ、アクスム王国はアドゥリス港を通じて紅海南口の出口側を押さえ、マラバールやセイロンとローマ東方世界を結ぶ「西端ハブ」として機能した。胡椒や香料など軽く高価な貨物の通行に対し、課税と保護・倉庫・法的保障を提供する枠を担った。

⤴︎ ヒムヤル王国(グループノート)

ヒムヤル王国(紅海口を押さえた南アラビアの王国)

西暦300〜500年ごろ、ヒムヤル王国はアデン湾・紅海沿岸の港と高地王都を結ぶことで、フランキンセンスなど香料とインド洋の軽貨を地中海側へ送る「南アラビア側ハブ」となった。紅海南口をはさみアクスム王国と対置しつつ、関税収入と宗教政策が対外関係を左右した。

⤴︎ ササン朝(グループノート)

ササン朝(ペルシア湾口を押さえたイラン帝国)

3〜5世紀のササン朝は、ホルムズ海峡とペルシア湾岸を押さえ、マラバールやセイロンと結ぶインド洋交易を掌握しようとしたイラン帝国だった。湾口ゲートで通行と課税・保護をセット運用し、ササン商人とギルドのネットワークが「湾と湾」を接着する実務を担った。

⤴︎ グプタ朝(グループノート)

グプタ朝(インド洋交易を享受した古典期インド帝国)

西暦320〜500年ごろ、グプタ朝はガンジス流域と西インドの港市(グジャラート湾口など)を押さえ、胡椒や絹などの高付加価値品をインド洋航路で東ローマやペルシア湾方面へ送り出す側の「内陸〜湾岸ハブ」として機能した。

関連する人物ノート

⤴︎ エザナ王(人物ノート)

エザナ王:紅海側をキリスト教王権に変えたアクスム王

4世紀のエザナ王は、アクスム王国をキリスト教王権へ転換させつつ、紅海港アドゥリスを通じて胡椒や香料などインド洋の軽貨が出入りする「紅海側ハブ」を統治した。紅海口の通行と安全をキリスト教王権が管理することで、関税収入と宗教ネットワークの両方を結びつけた存在として位置づけられる。

⤴︎ 法顕(人物ノート)

法顕:ベンガル湾〜セイロン航路を記録した仏教巡礼僧

399〜414年ごろの法顕は、長安から陸路でインドに入り、ベンガル湾沿岸からセイロン島へ渡ったのち、海路で東アジアへ戻った仏教巡礼僧である。『仏国記』は、ガンジス〜タミル圏・セイロンを結ぶ「ベンガル湾の内海ルート」と、そこに張り付いた仏教僧院ネットワークの姿を伝えてくれる証言として位置づけられる。

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この特集のピンの色: #962963 / #C2315C

初期表示レイヤー:01, 03, 04, 05 / 版:v202501107

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参考資料