現生人類(Homo sapiens)がアフリカからユーラシアへ広がった「出アフリカ」の起源と最初の拡散波を、北ルート(レバント経由)と南ルート(アラビア沿岸〜インド洋縁)の骨子で整理します。レバントには約19–12万年前の早期痕跡があり、その後、約7–6万年前ごろに主流となる拡散波が起こったとみられます
30秒要点
- 早期痕跡(レバント):イスラエルのミスリヤ、スフール/カフゼの化石が「出アフリカの試行」を示す(約19–12万年前)。
- 最初の大規模拡散:遺伝学(mtDNA L3系統)は~7万年前ごろの拡大を支持し、これが非アフリカ集団の祖先波と整合。
- 2つの骨子ルート:北=ナイル/シナイ〜レバント、南=バブ・エル・マンデブ〜アラビア沿岸〜南アジア。アラビア半島の中石器時代技術が南回りの可能性を補強。
起源と最初の波
1)アフリカ起源と「早期の外出」
現生人類はアフリカで進化し、その一部が更新世中期〜後期にレバントへ到達しました。レバントのミスリヤ洞窟の上顎骨(約19–17万年前)や、スフール/カフゼ(約12–9万年前)の化石は、アフリカ外で確認される最古級の痕跡です。ただし、これらの集団はその後途絶した可能性があり、「試行的な拡散」と解釈されます。
2)約7–6万年前の「最初の(主流の)拡散波」
多数の現代人集団に共通する母系系統(mtDNA)のL3と、その娘系統M・Nの分岐年代は、~7万年前前後に集中します。これはアフリカ内での人口拡大とアフリカ外への定着的拡散が同じ時期に起きたことを示唆し、考古記録と整合します。したがって、「最初の大規模で持続的な拡散波」はこの時期に位置づけられます。
3)ルートの骨子:北と南
- 北ルート(ナイル〜シナイ〜レバント経由)
ナイル上流からシナイ半島を通ってレバントへ。レバントはネアンデルタールと現生人類が交替的・重層的に居住した地域で、環境変動に応じた「出入り」が繰り返されたと考えられます。後の上部旧石器段階には“新しい文化様式”が広がり、ヨーロッパ・西アジア方面への足がかりになりました。 - 南ルート(紅海沿岸〜アラビア〜インド洋縁)
バブ・エル・マンデブ海峡を介し、アラビア半島の沿岸/内陸オアシスをつなぎつつ、南アジア〜東南アジア方面へ到達したとする仮説です。アラビアからはアフリカ中石器文化に連なる技術(レヴァロワなど)やアセンブリが報告され、“インド洋岸づたい”の移動を支持します。
根拠と限界
- 化石・考古:レバントの早期化石(ミスリヤ、スフール/カフゼ)が「早期外出」を裏づける一方、継続定着かどうかには議論が残ります。
- 遺伝学:mtDNA L3・M・Nの分岐年代集中は~7万年前の拡散波を支持。ただし分子時計は手法依存で誤差幅があり、補正前提の解釈が必要です。
- アラビアの証拠:オマーン/中央アラビアの中石器(MIS5)は南回りの地理・技術の下地を示すが、人骨の直接証拠は希少で、年代的に連続追跡は限定的。
- UP化の指標:G1期に各地でブレード/ブレードレット量産+象徴行動が可視化。到達後の定着とネットワーク拡大を示す補完証拠として南ルート仮説と整合。ただし地域差・間接推定に留まる地域あり。
確度(A/B/C)
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- A 公的・一次級で直接確認(一次が複数一致でもA)
- B 複数一次情報からの強い推定(反論や未確定部分あり)
- C 仮説寄り(一次が乏しい/矛盾/作業仮説段階)
- アフリカ起源そのもの:A(多面的な一次級証拠で強固)
- ~7–6万年前の主流拡散波:B(遺伝学と考古の複数整合、ただし時期幅あり)
- 南ルートの連続性(紅海→アラビア→南アジア):B–C(複数地点の技術連関は示唆的だが、人骨連続の直接証拠は不足)
- レバント早期外出の持続定着性:C(早期痕跡は確かだが、後続人口への寄与は限定的か不明)
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