ー 【特集】鉄と水田の拡大、クニの萌芽 ー
弥生の水田稲作は、北部九州を起点におおむね西→東へ広がりました。G9(紀元前100年〜西暦100年)では、西日本はすでに定着と拡大の段階、東方は地域差を伴いながら普及が進行中という姿です。
その広がりは、一気に巨大な水路を引くのではなく、小さな流域ごとに谷口の取水→扇状地縁の配水→平野の水田パッチ→河口の排水をつなぐ“灌漑の小景観”の積み重ねでした。
まず地図の見方(小流域モデル)
地図「小流域・水利連結(谷口→扇状地縁→平野パッチ→河口)」は、次のような“だいたいの流れ”を示します。
① 「谷口の取水(概念域)」で山の水を取り入れる → ② 「扇状地縁の配水分岐(概念域)」で枝分かれ → ③ 「棚田帯(山裾)(概念域)」や平野のパッチで水をためて使う → ④ 「河口低地(内海への出口)(概念域)」に余分な水を逃がす。
関連遺跡
小流域モデル(谷口→扇状地縁→平野パッチ→河口)を現地で想像しやすい、代表的な遺跡を挙げます。
- 菜畑遺跡(佐賀・唐津):最古級の水田跡。畦や水路の痕跡がわかりやすい。
- 板付遺跡(福岡市):環濠集落+水田の復元展示で、用排水と集落配置の関係を把握しやすい。
- 登呂遺跡(静岡市):住居・倉庫・水田がセットで学べる“教科書的”現地教材。
- 池上・曽根遺跡(大阪・和泉/泉大津):大規模集落と水利施設のスケール感。周辺の低地と結びつけて読む。
- 唐古・鍵遺跡(奈良・田原本):集落本体の基点。水田は周辺低地の“想定・復元”として提示(地点特定は抑制)。
- 垂柳遺跡(青森・田舎館村):北限側の水田。小流域モデルがどこまで通用するかを考えるヒント。
仕組み
- 水を入れる:谷が開ける所(谷口)なら、流れを横取りしやすい。
- 水を分ける:扇状地の縁は傾きがゆるく、用水を枝分かれさせやすい。
- ためて使う:畦(あぜ)と段差(棚田)で水位をちょっとずつ調整。
- 逃がす:最後は河口低地へ排水。大雨のときは低地が遊水の役も担う。
どう広がった?
安全そうな場所から小さく始めて、うまくいけば隣にもう1区画……という具合にパッチをつなげるイメージです。「一大プロジェクト」ではなく、村の労力で届く範囲を増設→連結し、結果として流域全体が“ネットワーク化”していきます。
何が変わった?(生活の変化)
- 収量が安定:ためて流す仕組みで、干ばつ・洪水の振れ幅を小さくできる。
- 仕事の分担:取水・配水・排水で季節の役割が増え、共同作業が当たり前に。
- 村の配置:用水線や低地の形に沿って集落の置き方が変わる(道・倉・祭祀の位置も調整)。
対応マップ
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確度(A/B/C)
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- A 公的・一次級で直接確認(一次が複数一致でもA)
- B 複数一次情報からの強い推定(反論や未確定部分あり)
- C 仮説寄り(一次が乏しい/矛盾/作業仮説段階)
- A:畦・用排水路・水田痕の存在=灌漑がおこなわれていた事実。
- B:谷口→扇状地縁→平野→河口という“小流域の連結”モデル。
- C:各流域での特定の取水口・分水点など地点レベルの特定。
