ー 【特集】モンスーンが動かした香辛料ルート:インド洋ネットワーク ー
西暦300–500年では、紅海南口の通行・関税・補給の実権は対岸の二政権(アクスム/ヒムヤル)が分有し、アクスムはアドゥリスを外港として紅海側の受け皿を強化、ヒムヤルはアデン湾側の港市網を掌握した。
ただし一方的な「独占支配」像は言い過ぎで、季節風航海の出帆窓・越冬地運用と、港市の関税・護送の組合せで実務が回っていた、とまでが堅い結論である。
地形と関門(なぜここが“ボトルネック”なのか)
紅海南口(バブ・エル・マンデブ海峡)の狭さと沿岸内航
紅海南口は狭く潮流・風向の影響が大きい。外洋船はアラビア海の風帯を待ち、内航では補給点を刻む必要があった。
政権と港市(誰が何を“握った”のか)
アクスムは紅海側の受け皿、ヒムヤルは湾口〜外洋側の出帆窓という役割分担で、海峡の“ゲート機能”が実現していた。
アクスム:紅海側の受け皿・外港アドゥリス
アクスムは高原の都—外港アドゥリス—内陸路の三点セットで物流を受け止め、倉庫・関税・護送の体制を整えた。
ヒムヤル:アデン湾の中継・出帆窓の掌握
ヒムヤルはイエメン側の港市網(カナー等)を基盤に、湾口の寄港・補給・関税で実利を確保。アデン湾〜ソコトラ周辺は復路の東航に重要で、越冬・待機の運用が行われた。
航行の年中行動(制度が地形の上にのる)
季節風サイクル:夏=西航/冬=東航
夏の南西季節風でインド側から西航、冬の北東季節風でアラビア・紅海へ戻る(年一往復が基本)。復路では越冬・船団運用・保険(危険分散)が実務化した。
関税・護送・恩典
港市では入出港課徴・物品ごとの関税・安全通行の保証がセットで運用され、アクスム/ヒムヤル両側で実務が積み上がった。宗教コミュニティや商人ギルドは情報・信用の媒介として機能した。
なにが証拠か(考古・史料の要点)
アドゥリスの遺構・碑文
港湾・倉庫・碑文の集積は、紅海側の受け皿としての機能を裏づける。4–5世紀コイン流通・輸入陶器・ビーズなどの物証は、紅海—アデン—インド洋ネットワークへの確実な接続を示す。
ヒムヤル側の港市と湾口の実務
アデン湾口〜東部の寄港・補給・関税の痕跡は多く、ソコトラ周辺は越冬・待機の適地で、復路運用を補助した。
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- B 複数一次情報からの強い推定(反論や未確定部分あり)
- C 仮説寄り(一次が乏しい/矛盾/作業仮説段階)
- A:アクスムの外港アドゥリスが紅海交易の要衝であったこと(遺構・出土群・碑文で一次級に強固)。
- B:300–500年期の両岸分有モデル(アクスム=紅海側受け皿/ヒムヤル=湾口・外洋側)が機能していたこと(複数一次・考古整合)。
- C:同期間を通じた恒常的な単独独占の断定(政治軍事の変動があり、独占像は過大)。※6世紀のアクスムによるヒムヤル介入は本期外。
