司馬懿(仲達)は、三国時代の中国(東アジア)で活動した魏の政治家・軍略家・摂政。対蜀戦線の統御と遼東遠征(238)を成功させ、249年の高平陵政変で政権の実権を掌握し、のちの晋建国(司馬炎)への地ならしをした。
クイック情報
| 別名・異表記 | 司馬懿/仲達/司馬仲達 |
| 活動期 | 2世紀末〜3世紀前半(後漢末〜三国魏)/生涯 179–251 |
| 役割 | 魏の中枢運営・対蜀戦線の統御・遼東平定・摂政(実権掌握と体制安定化) |
| 主な拠点 | 許(許昌)/洛陽/遼東戦域(襄平)ほか |
| 特記事項 | 実在確実。司馬氏の政権基盤を整備し、孫の司馬炎(武帝)が晋を建てる素地に。 |
ミニ年表
| 179年 | 河内温県に生まれる(字:仲達)。 |
| 208年頃 | 曹操に出仕(当初の召しを辞退後、登用に応じる)。 |
| 220–226年 | 魏の成立期に中枢で台頭、対蜀戦線の司令に関与。 |
| 231・234年 | 諸葛亮の北伐に対応(上庸・渭水方面、持久・補給で対処)。 |
| 238年 | 遼東遠征で公孫淵を討つ。 |
| 249年 | 高平陵政変で曹爽一派を排除、実権掌握。 |
| 251年 | 洛陽で薨ず。子の司馬師・司馬昭へ権力継承。 |
事績(特集へのリンク)
司馬懿:公孫氏を討って帯方を直轄化
238年、遼東で公孫淵を討ち(襄平陥落)、遼東—楽浪・帯方—三韓—倭の海上ネットワーク再編の前提を整える。
参考資料
『三国志』魏書(明帝紀・公孫氏列伝)/ 『晋書』巻一「宣帝紀」
