ー 【特集】秦から漢へ「原シルクロード」|国境はどう回廊になった? ー
張騫(ちょうけん)は、西の国々の様子・道のつながり・物産の情報を宮廷にもたらし、政策の選択肢を広げた使節です。これは軍の進み方だけでなく、市場や関門の運用を考える材料にもなりました。つまり、情報の回路ができたから、回廊(帯)をどう通すかが見えるようになったのです。
前138年(出発)/前126年(帰還)
何を“つないだ”のか(宮廷 ←→ 西域の情報)
- 勢力図:どの勢力がどこにいて、だれと結びやすいか。
- 路の条件:オアシスの位置、通れる季節、危険な区間。
- 物産と需要:何を持っていけば価値になるか(馬・絹・穀物など)。
どう効いたのか(政策の選び方が増える)
- 同盟の組み方:誰と手を組むと効果的かを判断しやすくなる。
- 通行の設計:どこを関門にし、どこを幹線にするかの根拠が強まる。
- 市場と贈与:互市の場所・品目を調整しやすくなる。
回廊への接続
- 西への出入口は、敦煌の玉門関(Yumenguan)と陽関(Yangguan)が担う。
- 四郡の拠点を線で結んだ「河西幹線(武威→張掖→酒泉→敦煌)」を通すとき、張騫の情報は「どの順で、どれくらいの荷(人・物)を流せるか」を判断する材料になった。
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確度(A/B/C)
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- A 公的・一次級で直接確認(一次が複数一致でもA)
- B 複数一次情報からの強い推定(反論や未確定部分あり)
- C 仮説寄り(一次が乏しい/矛盾/作業仮説段階)
- A:張騫の派遣と報告(前138/前126)で、西域の情報が宮廷に共有されたこと。
- B:その情報が関門・幹線・市場の設計に実務的に寄与したという見方(機能的説明)。
- B:具体の経路細部や各オアシスの優先順位(資料により幅がある)。
