韓国の歴史ドラマを見ていると、「新羅」「百済」「高句麗」「唐」など、たくさんの国が登場します。今回は、ドラマの背景にある東アジアの歴史の流れを整理しました。
「三国時代」
朝鮮半島には、かつて次の国々が存在していました。
- 高句麗(こうくり)
- 百済(くだら)
- 新羅(しらぎ)
- 伽耶(かや)
このうち伽耶は6世紀に新羅によって滅ぼされ、
残った
高句麗・百済・新羅の三国が争った時代を
「三国時代」と呼びます。
そして、この三国の争いには中国の大国「唐」が深く関わります。
新羅と唐が組んで百済を滅ぼす
新羅が唐と手を組み、 660年、百済は滅亡しました。
百済は日本と深い関係がありました。
そのため日本(倭国)は、
百済救済のため大軍を送ります。
しかし、663年、「白村江の戦い」で大敗。
日本は「このままでは危ない」と考え、国家体制の整備を急ぐことになります。
📚もっと知りたい方へ
ここまでを舞台にした韓国ドラマの背景や日本との関係を、5分で読める解説記事にまとめています。
次に滅びたのは高句麗
百済を滅ぼしたあと、
新羅と唐の連合軍は高句麗を攻めます。
668年、高句麗は滅亡、三国時代は終わりを迎えました。
新羅による統一は、日本にとって「最高ランクの技術者と知識層」を大量に採用できる「最後の渡来人ラッシュ」でした。
奈良時代(710年〜794年)の華やかな文化(正倉院や大仏など)に繋がったかも。
新羅 vs 唐 の戦い
高句麗を滅ぼしたあと、唐は「朝鮮半島をそのまま中国の支配下にしよう」考えます。
新羅にとって 今度は、唐が敵です。
新羅は唐の支配を嫌い、戦争になります(670-676年)。
新羅は唐を追い出すことに成功、676年に朝鮮半島を統一、こうして誕生したのが統一新羅(676年〜935年)です。
唐が西の方(チベットなど)で別の反乱に直面し、半島に全力を注げなくなったというラッキーもありました。
ドラマ『大王の夢』のクライマックスシーン:
「三韓一統」するという春秋(武烈王)との誓いを守り、唐との戦場に立つキム・ユシンの場面です。
新羅が体を張ったおかげで、日本は「白村江のトラウマ」から立ち直る時間を貰えたともいえます。
日本が唐に攻められなかったのは、新羅が防波堤になったからかもしれません。
高句麗の人々が作った国「渤海」
668年に高句麗が滅びた後、遺民たちは唐の地方へ強制移住させられていました。
698年、大祚榮(テジョヨン)が遺民と靺鞨(まつかつ)族を率いて脱出。現在の満州付近で渤海(ぼっかい)を建国しました。
ドラマ「大祚榮」は、渤海を建国する大祚榮の生涯を描いたドラマです。
渤海は日本と非常に関係が良く、200年間にわたり、30回以上も日本へ使節(渤海使)を送りました。
日本の貴族たちは
渤海から届く毛皮などを好んで使っていたと言われています。
当時の日本のメインルート(瀬戸内海)を通らずに、日本海を渡り秋田や石川(能登)などに上陸したそうです。
正倉院の宝物には「新羅製」も多いですが、日本と友好的なのは渤海でした。
ビジネスは新羅、友情は渤海というイメージかもしれません。
海のネットワークを作った人物
この時代、海の交易を支配した人物がいました。
新羅の張保皐(チャン・ボゴ)です。
彼は巨大な海上ネットワークを築き、 中国・朝鮮・日本を結ぶ貿易を支配しました。
ドラマ『海神』は、チャン・ボゴの人生を描くアクション時代劇です。
平安時代の僧・円仁(えんにん)は、唐での修行を終えて帰国する際、彼の船団の助けを借りた記録が残っています。
統一新羅の衰退
新羅を支えた身分制度「骨品制」は、実力があっても身分が低ければ出世できないため、国を縛りました。
- 王位に就ける資格を持つ「真骨」の間では、継承争いが勃発。
わずか150年の間に20人もの王が入れ替わり、暗殺やクーデターが日常茶飯事。 - 権力争いに明け暮れている間に、地方では力を持つ「豪族」が現れます。
- 農民反乱:財政難で、強引に税を取り立てようとして、耐えかねた農民が爆発。
9世紀の終わり頃になると、統一新羅の支配力は急速に弱まりました。
後三国時代の始まり
統一新羅が弱体化すると、各地の勢力が独立を始め、再び、朝鮮半島には三つの国が並び立つことになります。
- 新羅
- 後百済
- 後高句麗
この時代は後三国時代と呼ばれます。
892年、新羅の軍人甄萱(けんけん)が 南西部で勢力を拡大し、後百済を建国。
901年、新羅の王族とされる弓裔(きゅうえい)が 北部で、後高句麗を建国。
その後、国号を
- 904年:摩震(ましん)
- 911年:泰封(たいほう)
と変えました。
弓裔は次第に暴君となり、支持を失います。
王建(ワンゴン)の登場
弓裔の部下に、
王建(ワンゴン)という有力な武将がいました。
王建の家系(松岳:現在の開城)は、海上貿易を営む豪族でした。
918年、弓裔を倒し、高麗(こうらい)を建国しました。
高麗による朝鮮半島の再統一
王建の高麗は勢力を広げ、後三国を次々と統一しました。
- 935年 新羅が降伏
新羅の最後の王、敬順王は自主的に降伏。王建は手厚く迎え、自分の娘を嫁がせ高い地位を与えた。 - 936年 後百済を滅ぼす
後百済の創業者・甄萱が、長男によって追放される事件が発生。激怒した甄萱は、王建(高麗)に亡命し、先頭に立てて後百済へ攻め込んだ。
こうして朝鮮半島は再び統一されました。
ちなみに、「コリア(Korea)」という国名は、高麗が由来になっているそうです。
ドラマ『太祖王建』は現在、動画配信サービスでもなかなかお目にかかれないレア作品です。
日本と中国
高麗が誕生し、北の渤海が滅亡した10世紀前半
その後、中国全土がバラバラに分裂する「五代十国時代」という大混乱期に突入。
この混乱により、
- 朝鮮半島では、中国の干渉を受けずに高麗による統一が進んだ。
- 北の契丹(キタイ)が勢力を伸ばし、926年に渤海を滅ぼした。
ともいえます。
日本では、894年に菅原道真の提案で遣唐使を廃止、東アジアの政治から距離を置き、日本独自の「国風文化」が花開きました。
高麗が半島を統一した頃(935年〜)には、平将門や藤原純友による反乱が起こっています。「武士(武)の時代」への予兆、貴族が武士を雇って守ってもらう時代の到来です。
