「韓国時代劇は好きだけど、100話超えの長編は正直ハードルが高い……」 そんな風に思ったことはありませんか?実は私もその一人。話題の『大祚榮』や『大王の夢』など、長編シリーズに挑戦したものの、あまりのボリュームと複雑な人間関係に、途中で挫折してしまいました。
『太祖王建』は現在、動画配信サービスでもなかなかお目にかかれないレア作品。でも、これらのドラマが描いている「7世紀〜10世紀の東アジア」は、面白い時代なんです。
今回は、ドラマのストーリーを追うのではなく、その舞台となった「歴史の裏側」を整理してみました。これを知るだけで、断片的に見たシーンが一本の線でつながるはずです。
時代背景の全体像:4つのドラマがつなぐタイムライン
まずは、これらのドラマがどの順番で、どんな時代を描いているのかを整理
| 大王の夢 | 7世紀中盤。 三国統一の悲願。新羅・百済・高句麗が激突する時代。 |
| 大祚榮 | 7世紀末。 高句麗滅亡後、北の大地に「渤海(ぼっかい)」を建国。 |
| 海神(ヘシン) | 9世紀。 新羅が安定した頃。海上交易王チャン・ボゴの活躍。 |
| 太祖王建 | 10世紀初頭。 崩壊する新羅。そして新しい国「高麗」の誕生へ。 |
この300年間は、朝鮮半島が「バラバラの状態」から「一つ(新羅)」になり、また「バラバラ(後三国)」になってから「新しい一つ(高麗)」へ作り直される、まさにスクラップ&ビルドの時代です。
7世紀(大王の夢)のゴテゴテした重厚な鎧から、10世紀(太祖王建)の洗練された官服への変化を「デザインの変遷」を見ると面白いです。
日本(倭国・大和朝廷)との密接すぎる関係
ドラマの中では詳しく語られませんが、この時代の裏側には常に「日本」の影がありました。
- ①『大王の夢』と白村江の戦い
新羅と唐の連合軍によって百済が滅ぼされた時、日本は百済を助けるために大軍を送りました(白村江の戦い)。結果は大敗。この敗北があったからこそ、日本は「今のままじゃマズい!」と国家体制を急いで整えることになったのです。 - ②『大祚榮』と親友の国「渤海」
高句麗の遺民が建てた「渤海」は、日本にとって非常に仲の良いパートナーでした。ドラマの主人公・テジョヨンが苦労して建てたこの国は、その後200年以上も日本と貿易を続け、日本の貴族たちは渤海から届く虎の毛皮やテンの皮を愛用していました。 - ③『海神』と日本の高僧
主人公チャン・ボゴが作った海上ネットワークは、当時の日本の知識人にとっても命綱でした。有名な僧・円仁(えんにん)が唐から帰国する際、チャン・ボゴの船団の助けを借りたという記録が残っています。
激動の東アジア「興亡のクロニクル」
7世紀:巨大帝国「唐」の出現と、三国統一の代償
| 歴史の動き | 唐(中国)と組んだ新羅が、百済と高句麗を滅ぼします。 |
| 新羅の動き | 三国を統一しましたが、北側には高句麗の遺民が「渤海」を建国したため、朝鮮半島全体を支配できたわけではありませんでした。 |
| 日本との関わり | 百済を助けようとして「白村江の戦い」で大敗。日本は「唐が攻めてくるかも!」とパニックになり、急いで大宰府や城を築いて国家体制を固めました(これが律令国家への道です)。 |
| 対応ドラマ | 『大王の夢』『大祚榮』 |
8〜9世紀:新羅の「骨品制(こっぴんせい)」と綻び
| 新羅の弱体化 | 新羅には「骨品制」という厳しい身分制度がありました。これが原因で、才能があっても家柄が悪いと出世できない不満が溜まり、中央では王位継承争いが泥沼化します。 |
| 海上王の出現 | 中央が混乱する中、海の守り(海賊退治)と貿易で力をつけたのがチャン・ボゴです。 |
| 日本との関わり | 唐の勢いが衰え、日本は「遣唐使」を廃止(菅原道真)。日本独自の「国風文化」が花開く準備が始まります。 |
| 対応ドラマ | 『海神』 |
10世紀初頭:スクラップ&ビルドの「後三国時代」
| 新羅の終焉 | 地方で徴税に苦しむ農民たちが反乱を起こし、新羅はコントロールを失います。 |
| 後三国の乱立 | 新羅を憎む勢力が「後百済」を建国。 高句麗の再興を掲げる勢力が「後高句麗」を建国。 |
| 高麗の誕生 | 後高句麗の将軍だった王建(ワン・ゴン)が、人望を背景に「高麗」を建国。最終的に後百済を破り、新羅を平和的に吸収して再統一を果たします。 |
| 渤海の滅亡 | 同じ頃、北の「渤海」は契丹(キタイ)によって滅ぼされます。渤海の王子たちは高麗へと亡命し、高麗は「高句麗の継承者」としての自負を強めます。 |
| 対応ドラマ | 『太祖王建』 |
日本と中国:巨大帝国の崩壊と「武」の時代の予兆
高麗が誕生し、北の渤海が滅亡した10世紀前半、周辺諸国もまた、これまでの「古い形」が壊れる大きな転換期を迎えていました。
- 中国(唐の滅亡と五代十国時代): 東アジアの秩序の中心だった巨大帝国「唐」が907年に滅亡します。その後、中国全土がバラバラに分裂する「五代十国時代」という大混乱期に突入しました。この混乱があったからこそ、北の契丹(キタイ)が勢力を伸ばして渤海を滅ぼし、逆に朝鮮半島では中国の干渉を受けずに高麗による統一が進んだのです。
- 日本(国風文化と武士の台頭): 日本では菅原道真の提案で遣唐使が廃止(894年)され、日本独自の「国風文化」が花開いていました。しかし政治に目を向けると、貴族中心の政治に地方の不満が爆発し、高麗が半島を統一した頃(935年〜)には、平将門や藤原純友による大規模な反乱が起こっています。
朝鮮半島で「高麗」という新しい秩序が生まれたのと時を同じくして、中国では帝国が崩壊し、日本では「武士」という新しい階級が歴史の表舞台に現れ始めていました。東アジア全体が、まさに「古い皮を脱ぎ捨てる」ような激動の時代だったと言えます。
三国時代の覇権争いの中心地であり、数々のドラマの舞台ともなった「忠州」。
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