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善花公主(ソンファ姫)は実在した?『花郎』から『薯童謠』へ、新羅の姫と百済王の因縁

ドラマ『薯童謠(ソドンヨ)』で、百済の王子チャンと恋に落ちる新羅の姫ソンファ。

「敵国どうしの恋なんて、本当にあったの?」と気になった方へ。

この記事では、善花公主が実在したのかを、伝説と発掘の両方から見ていきます。あわせて、なぜ百済と新羅が「宿敵」になったのかを、『花郎』から『階伯』までドラマのリレーでたどります。

🕓 更新日:2026年9月20日

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善花公主は実在した?先に結論をまとめます

実在? 13世紀の歴史書『三国遺事』にだけ登場します。公式の歴史書『三国史記』には名前がありません。

武王の妃は? 2009年、弥勒寺の塔から「王妃は百済の貴族・沙宅(さたく)氏の娘」と書かれた金の板が見つかりました。

新羅の姫は? 真平王の娘として記録に残るのは、善徳女王と天明公主の2人です。

時代は? 7世紀のはじめ。日本は推古天皇と聖徳太子のころ、飛鳥時代です。

ただし「いなかった」と断定もできない、というのが今の状況です。その理由も、あとで紹介します。

百済の聖王は、日本に仏教を伝えた王

百済の聖王は、ドラマ『帝王の娘スベクヒャン』でミョンノン太子として登場する人物です。

日本とも深い関係にあった王です。『日本書紀』では「聖明王」と呼ばれ、仏像や経典を倭に贈った、日本に仏教を伝えた王として登場します。

高句麗や新羅と戦うために、百済は倭の兵の力を必要としていました。仏教や学者を送ることは、倭を味方につけるための「外交のおみやげ」でもあったのです。

聖王の息子:第27代 威徳王(扶余昌)

『花郎』では、若き百済の太子:昌王子として、『薯童謠』では、チャン(武王)の老いた父として登場しています。

『花郎』の時代:はじめは仲間だった聖王と真興王

『花郎(ファラン)』(2016〜2017年 KBS 全20話)は、パク・ソジュン主演の青春時代劇です。パク・ヒョンシクが演じるジディの正体は、新羅の第24代・真興王。そして百済の太子・扶余昌(プヨ・チャン)が、昌王子の名で憎まれ役として登場します。

昌王子の父・聖王と真興王は、同盟の仲間だった

当時、いちばん強かったのは北の高句麗です。百済と新羅は「羅済同盟」を組み、力を合わせて高句麗に立ち向かっていました。

551年、百済と新羅は一緒に高句麗を攻め、漢江(ハンガン)流域を取り戻します。下流を百済が、上流を新羅が分け合いました。百済にとって漢江の下流は、76年前(475年)に高句麗に奪われた、もとの都のあった土地です。

さらに553年には、百済の王女が真興王のもとに嫁いでいます。ここまでは、本当に仲の良い同盟でした。

553年の裏切り、554年に聖王が戦死

553年、新羅は百済が取り戻したばかりの漢江下流を奪ってしまいます。

たとえるなら、共同で買った土地を半分ずつ分けた直後に、相手の半分まで柵で囲ってしまったようなもの。しかも嫁入りと同じ年です。

怒った百済は554年、伽耶や倭の兵とともに新羅へ攻め込みます。先頭に立ったのは昌王子でした。息子を心配した聖王が、わずかな兵で陣中見舞いに向かったところを新羅軍に待ち伏せされ、管山城(かんざんじょう)の戦いで命を落とします。倭の兵は、窮地の昌王子の脱出を助けたと『日本書紀』は記しています。

『日本書紀』は、別の伝えとして、新羅が聖王の首を王宮の建物の階段の下に埋め、残りの遺骨を百済に返したと記しています。階段の下ですから、毎日だれかに踏まれる場所。王にとってこれ以上ない屈辱だった、と受け取られてきました。

ここから百済が滅びるまで、約100年の因縁が始まります。

『花郎』の時代は551年〜554年ごろ

551年、新羅は元号を「開国」に改めていて、真興王が母の摂政を離れて自分で政治を始めた年と見られています。ドラマの結末も、ジディが本当の王として立つ場面です。

最終回で、百済の昌王子が管山城に攻めてきたことに触れられるので、554年の直前まで話が進んでいる感じですね。

ドラマは新羅の花郎たちが主人公なので、百済の昌王子は「攻めてくる敵」として描かれます。でも百済側から見ると、話はまったく逆でした。

ドラマとのちがい
『花郎』では百済の昌王子が悪役ですが、史実では550年にも新羅が、百済と高句麗が戦っている隙に城を奪っています。約束を破ったのはむしろ新羅側です。百済の聖王や昌王子が激怒するのは当然の歴史的背景でした。
また「花郎」という組織が記録に登場するのは576年なので、ドラマは花郎の誕生を25年ほど早めて描いていることになります。

次のドラマへのバトン
『薯童謠』の第1話では、新羅に埋められた聖王の首を取り戻す場面が描かれます。『花郎』の結末が、そのまま『薯童謠』の始まりにつながっているんです。

『薯童謠』ってどんなドラマ?

ここからがこの記事のメインです。

『薯童謠(ソドンヨ)』(2005〜2006年 SBS 全55話)は、『宮廷女官チャングムの誓い』『トンイ』のイ・ビョンフン監督の作品です。

主人公チャンをチョ・ヒョンジェ、新羅の姫ソンファをイ・ボヨンが演じています。

あらすじ
百済の王子に生まれながら、自分の出生を知らずに平民として育ったチャン。技術者のもとで学ぶうちに新羅へ渡り、そこで新羅の姫ソンファと運命の恋に落ちます。国と身分の違いに引き裂かれながら、チャンは百済の王・武王への道を歩んでいきます。

見どころ

  • 王子なのに「技術者」として育つ、ほかの時代劇にない主人公
  • 敵国の姫が、身分を失ってもチャンを支え続ける一途な恋
  • チャングムを思わせる、知恵と工夫で困難を乗り越える展開

善花公主は実在した?伝説と史実を分けて見る

伝説:芋掘りの少年が、歌ひとつで新羅の姫を手に入れた

『三国遺事』に載る話は、ドラマよりずっと大胆です。

百済に、山芋を掘って暮らす少年がいました。あだ名は「薯童(ソドン)」、芋掘りの子という意味です。

新羅の姫・善花公主が美しいと聞いた薯童は、新羅の都へ行き、子どもたちに芋を配って、こんな歌を広めます。

善花公主さまは、こっそりお嫁に行って、夜ごと薯童さまのもとへ通っている

根も葉もない噂の歌です。でも都じゅうに広まり、怒った真平王は姫を追放してしまいます。そこへ現れた薯童と姫は結ばれ、薯童はのちに百済の王・武王になった、というお話です。

この歌が『薯童謠』。韓国に残る、もっとも古い歌のひとつとされています。

2009年の大発見:弥勒寺の塔から出てきた「王妃は沙宅氏の娘」

伝説では、武王と善花公主の願いで建てられたのが、百済最大の寺・弥勒寺(みろくじ)です。

2009年、その弥勒寺の石塔を解体修理していたところ、塔の中から金の板に刻まれた記録が見つかりました。書かれていたのは、「百済の王后は、佐平・沙宅積徳(さたくせきとく)の娘」。

己亥年、つまり639年に、この王妃が舎利(仏さまの骨)を納めたとあります。

伝説では「善花公主が建てた寺」のはずが、実物の記録には「百済の貴族の娘」と書いてあった。韓国では、大きなニュースになりました。

それでも「いなかった」とは言い切れない理由

では善花公主は、完全な作り話なのでしょうか。そう決めつけるのも早いのです。

手がかり考えられること
武王の在位は600〜641年と長い若いころの妃が善花公主で、晩年の妃が沙宅氏だった可能性
金の板が見つかったのは、3つある塔のうちの西の塔寺の別の部分は、別の王妃が願主だった可能性
『三国遺事』は13世紀の記録伝説が長い年月の中でふくらんだ可能性

「沙宅氏の王妃がいた」ことは確かになりました。でも「善花公主がいなかった」ことまでは証明されていません。白黒つかない、グレーのままというのが正直なところです。

「新羅の姫」はだれ?真平王の三姉妹

伝説では、善花公主は真平王の三女。上の2人の姉は、どちらも歴史に大きな名を残しています。

名前その後どの記録に出てくる?
長女徳曼(トンマン)新羅初の女王・善徳女王『三国史記』『三国遺事』
次女天明(チョンミョン)公主金春秋(のちの武烈王)の母『三国史記』『三国遺事』
三女善花(ソンファ)公主百済の武王の妃『三国遺事』の伝説だけ

表にすると、善花公主だけが「伝説にしか出てこない」ことがよくわかります。

もし実在していたら、善徳女王の妹が百済の王妃。そして次の百済王・義慈王は、善徳女王の甥(おい)になります。新羅と百済が戦っていた時代だけに、ドラマが放っておけない設定ですね。

ひ孫どうしに因縁

『薯童謠』の恋が「禁断」なのは、国が敵どうしだからだけではありません。家系をたどると、554年の因縁に行きつきます。

ドラマの『薯童謠』では、チャンは威徳王(昌王子)の息子という設定なので、聖王の孫で、「おじいさんを殺された王子」と「その敵のひ孫の姫」という関係に作り替えられています。

史書の系譜では、武王は恵王の子・法王の息子なので、聖王のひ孫。善花公主も、真興王のひ孫にあたります。

百済側新羅側
因縁の世代聖王(554年に戦死)真興王(聖王を討った側)
子昌王子(威徳王)、恵王銅輪太子
孫法王真平王
ひ孫武王(チャン)善花公主

いつの時代?そのころ日本は飛鳥時代

年百済・新羅日本
538百済が泗沘(サビ)に都を移す仏教が伝わる(538年説)
553新羅が漢江下流を奪う。百済王女が真興王に嫁ぐ―
554管山城の戦いで聖王が戦死倭の兵も百済側で戦う
562大伽耶が滅び、伽耶が消える―
592―推古天皇が即位
600百済で武王が即位最初の遣隋使
632新羅で善徳女王が即位―
639弥勒寺の塔に舎利を納める(沙宅氏の王妃)百済大寺の建立がはじまる
641百済で義慈王が即位―
642百済が新羅の城を40あまり奪う―
645―乙巳の変(大化の改新のはじまり)
660百済が滅亡―
663―白村江の戦いで大敗

639年に注目です。百済で弥勒寺の塔に舎利が納められた同じ年に、日本では舒明天皇が「百済大寺」の建立を始めています。名前からして、百済の影響がはっきり見える寺です。

その後の続き:『善徳女王』『階伯』

『善徳女王』── 善花公主の「お姉さん」の物語

どんなドラマ?
2009年 MBC 全62話。イ・ヨウォン演じるトンマンが、宮廷を支配する美しき権力者ミシル(コ・ヒョンジョン)と戦いながら、新羅初の女王になるまでを描きます。

史実のポイント
632年、トンマンは善徳女王として即位します。ところが642年、百済の義慈王に城を次々と奪われ、新羅は大ピンチに。この危機が、金春秋を唐との同盟へと走らせます。

史実とのちがい
ドラマでは、トンマンと天明公主が双子として生まれた設定ですが、記録にそうした話はありません。

日本との接点
善徳女王の少し前、日本では推古天皇が東アジアで先に女帝として即位しています。7世紀の東アジアは、女性の君主が並んだ時代でした。

『階伯』── 百済の最後を守った将軍

どんなドラマ?
2011年 MBC 全36話。イ・ソジン演じる将軍・階伯と、百済最後の王・義慈王の物語です。

史実のポイント
660年、唐の大軍と新羅軍が百済に攻め込みます。階伯はわずか5,000の兵で、金庾信率いる5万の新羅軍を黄山伐(ファンサンボル)で迎え撃ち、戦死しました。直後に都は落ち、百済は滅亡します。

リレーのポイント
このドラマには、武王の妃として新羅王家出身のソンファと、サテク(沙宅)妃の両方が登場します。『三国遺事』の伝説と、2009年の発見を、両方とも物語に取り込んでいるんです。『薯童謠』から見てきた人には、思わずニヤリとする設定です。

日本との接点
百済が滅んだ3年後、倭は百済を再興するために大軍を送り、663年の白村江の戦いで大敗します。聖王の時代から続いた百済と倭の結びつきが、ここで幕を閉じます。

次の時代へ:勝った新羅は、その後どうなった?

黄山伐で階伯を破った新羅の将軍・金庾信。実は、キム・スロの国・金官伽耶の王のひ孫です。そして金庾信の妹を妻に迎え、唐との同盟をまとめあげたのが金春秋でした。

この2人を主人公に、同じ戦いを新羅の側から描いたのが、ドラマ『大王の夢』です。

新羅はこのあと高句麗もたおし、676年に朝鮮半島をひとつにまとめます。ところが、勝ち残ったはずのその新羅も、約260年後には自分から国を譲って消えていきます。

勝者の新羅は、なぜ滅んだのか。 物語は、新羅の最後の300年へ進みます。


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最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍵