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『帝王の娘スベクヒャン』は実話?チンムは実在?あらすじ・時代と史実のちがい

ドラマ『帝王の娘スベクヒャン』を見て、「スベクヒャンって本当にいた王女なの?」「チンムは実在した人?」と気になった方へ。

この記事では、登場人物のだれが実在して、だれがドラマの創作なのかを、表でひと目でわかるように整理しました。

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スベクヒャンは実話?先に結論をまとめます

実話? ドラマのストーリーはフィクションです。ただし、父の武寧王は墓が見つかっていて、実在が確定しています。

スベクヒャンは実在? 名前のルーツは、日本の歴史書に出てくる手白香皇女(たしらかのひめみこ)です。ドラマでは百済の王女にしています。

チンムは実在? 歴史書に名前はなく、ドラマの創作の人物です。

武寧王の娘は? 歴史書に名前が残る娘は見当たりません。

時代は? 6世紀のはじめ。日本は継体天皇のころ、古墳時代の後期です。

あらすじと登場人物|実在した人・しなかった人

2013〜2014年に韓国のMBCで放送された帯ドラマで、1話30分ほど、全108話です。日本では、2026年秋にBSフジでも放送されました(全72話の構成)。

あらすじ
百済の武寧王が即位前に愛した女性との間に生まれた娘、ソルラン。自分が王の娘だと知らずに育ちます。ところが、父親違いの妹ソルヒがその秘密を知り、姉になりすまして王女「スベクヒャン」の座を奪ってしまいます。ソルランは百済の密偵組織「ピムン」に入り、国のために戦っていきます。

登場人物はだれが実在?

役名俳優ドラマでは実在?
ソルラン(スベクヒャン)ソ・ヒョンジン武寧王の娘。主人公× 名前のルーツは日本の手白香皇女
ソルヒソウソルランの異父妹。王女になりすます× ドラマの創作
ミョンノンチョ・ヒョンジェ百済の太子○ のちの聖王
チンムチョン・テス前の王・東城王の息子とされる王子× ドラマの創作
武寧王(ユン)イ・ジェリョン百済の王。ソルランの父○ 墓が見つかっている

見どころ

  • 王女の座をめぐる、父親違いの姉妹の入れ替わり
  • 密偵組織ピムンの一員として活躍する、行動派のヒロイン
  • 太子ミョンノン(のちの聖王)との身分違いの恋

リレーの小ネタ
ミョンノン役のチョ・ヒョンジェは、『薯童謠(ソドンヨ)』で主人公チャン(武王)も演じています。史実では、武王は聖王のひ孫。同じ俳優が、ひいおじいさんとひ孫を演じていることになります。

スベクヒャンは実在した?名前のルーツは日本の皇女

手白香皇女ってだれ?

『日本書紀』に登場する、6世紀はじめの皇女です。

父第24代・仁賢天皇
夫第26代・継体天皇(皇后になる)
息子第29代・欽明天皇

「スベクヒャン」は、「手白香」を韓国語で読んだ名前です。

なぜ「百済の王女」になった?

日本の歴史書に日本の皇族として書かれた手白香を、百済・武寧王の王女として描いたため、このドラマは放送前から韓国で「歴史歪曲では?」と批判されました。

そこで制作側は、ドラマのホームページで主人公の漢字を「手白香」ではなく「守百香」と表記しました。「百済を守る香り」という意味を込めて、日本の歴史書の人物とは別人ですよ、という形にしたわけです。

ドラマの中でも、スベクヒャンは「百済を守る花」の名前として出てきます。

チンムは実在した?

ドラマのチンム

ドラマのチンムは、暗殺された前の王・東城王のただ一人の息子として育ちます。太子の座を失い、自分の代わりに太子になったミョンノンを恨み、父を殺したのは武寧王だと信じています。

ところが実は、20年以上前に武寧王が、赤ん坊のチンムとミョンノンを入れ替えていた。チンムこそ、武寧王の本当の息子だった——というのが、ドラマの大きな仕掛けです。

史実では?

チンムという王子は、歴史書には出てきません。入れ替わりの話も含めて、ドラマの創作です。

ただし、武寧王に聖王以外の息子がいたことは記録に残っています。『日本書紀』には、513年に「百済の太子・淳陀(じゅんだ)」が亡くなった、という記事があります。

ちなみに、平安時代の初めにまとめられた『続日本紀』には、桓武天皇の母・高野新笠(たかののにいがさ)が、この淳陀太子の子孫だと書かれています。ただし、淳陀から高野新笠までは200年以上の開きがあり、この系譜を疑う研究者もいます。

「チンムは架空。でも、記録に名前が残る『もう一人の息子』はいた」。ドラマの入れ替わり劇は、こうした記録のすき間から生まれたのかもしれません。

父・武寧王は実在した:1971年、墓から名前が出てきた

1971年、韓国・公州(コンジュ)の古墳群で排水工事をしていたところ、偶然、手つかずの王の墓が見つかりました。盗掘にあっていない百済の王墓は極めて珍しく、朝鮮半島の考古学で最大級の発見と言われています。

墓の中には、王の名前を刻んだ石板(墓誌)がありました。

寧東大将軍百済斯麻王、年六十二歳、癸卯年(523年)五月……崩

「百済の斯麻(しま)王が、数え62歳、523年に亡くなった」という内容です。これで、この墓の主が武寧王だと確定しました。

この「斯麻」という名前は、『日本書紀』で日本の島で生まれたとされる百済の王子「嶋君(しまのきみ)」と重なります。さらに王の棺は、日本にしか自生しないコウヤマキでできていました。

武寧王が日本で生まれた理由は、こちらで詳しく書きました。

百済の武寧王はなぜ日本で生まれたのか|5世紀、倭と百済の100年佐賀県の唐津から、船で20分。加唐島(かからしま)という小さな島があります。 周囲12キロ、人口100人ほど。特別な観光地ではありません。ところがこの島に、韓国…
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ドラマと史実のちがい

ドラマ史実
スベクヒャン武寧王の娘(百済の王女)日本の手白香皇女がルーツ。武寧王の娘として名前が残る記録はない
チンム東城王の息子として育った、武寧王の実の息子記録に名前はない。ドラマの創作
武寧王の名前ユン墓誌では「斯麻」。「隆(ユン)」は中国の歴史書での名前
武寧王と東城王いとこ『三国史記』では東城王の子、『日本書紀』では昆支の子で東城王の異母兄など、記録によって違う
ミョンノン(聖王)本当は東城王の子で、武寧王の子として育てられた武寧王の子。入れ替わりはドラマの創作
聖王の兄弟武寧王の一人息子として登場『日本書紀』には、武寧王の時代に「百済の太子・淳陀」が亡くなったという記事がある

武寧王の出生は、韓国と日本の記録で食い違いがあり、今も議論が続いています。ドラマはその「わからなさ」を、入れ替わりや秘密の物語にうまく使っているとも言えます。

スベクヒャンは何時代?年表で見る百済と日本

年百済日本
461〜462武寧王が生まれる(日本の加唐島)雄略天皇の時代
475高句麗に都・漢城を落とされ、熊津(公州)へ移る―
501東城王が暗殺され、武寧王が即位―
507―継体天皇が即位。手白香皇女が皇后に
523武寧王が亡くなり、聖王(ミョンノン)が即位―
538聖王が泗沘(扶余)へ都を移す仏教が伝わる(538年説)

ドラマ『帝王の娘スベクヒャン』の時代は、日本でいえば古墳時代の後期、継体天皇のころです。

次の時代へ:ミョンノン太子は、のちの聖王

ドラマでスベクヒャンと惹かれ合う太子ミョンノンは、武寧王のあとを継いで、百済の第26代・聖王になります。

聖王は日本に仏教を伝え、そして新羅の真興王との同盟と裏切りのなかで、554年に戦死します。
その真興王の若き日、ジディとして登場するのがドラマ『花郎』です。

このドラマ、どこで観る?

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最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍵