源頼朝と同じ頃、高麗では何が起きていた?

1192年、源頼朝が征夷大将軍に任命され、日本に鎌倉幕府が誕生します。ではそのとき、お隣の高麗では何が起きていたでしょうか?

実はすでに22年前から、軍人が政治を支配する「武臣政権」が始まっていたんです。日本の武家政権と、ほぼぴったり重なる高麗中期の100年。ドラマ『武神』『王は愛する』でたどりながら、「元寇が李成桂を生んだ」という驚きの歴史まで見ていきましょう。

📺 この時代を描く2つのドラマ

武神
武臣政権の時代
王は愛する
忠宣王の時代

第1章 100年続いた軍事独裁「武臣政権」

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高麗では、科挙制度に武科(武人を登用する試験)がありませんでした。導入時期は異なりますが、200年以上にわたって武人には出世の道がほとんど閉ざされていたのです。

その結果、朝廷では「文臣が上、武臣が下」という差別が固定化。武臣のトップである上将軍や大将軍ですら、若い文官から馬鹿にされる扱いでした。このフラストレーションが、ついに1170年に爆発します。

💥 1170年「武臣の乱」のきっかけ

第18代・毅宗(ウィジョン)は、文臣・宦官ばかり優遇し、武臣を酷使していました。そして、逸話として語り継がれるある事件が──

💡 伝わる逸話:普賢院への行幸の際、若い文官が老将軍の頬を打った(あるいは髭を焼いた)と伝えられています。武臣たちの怒りは頂点に達し、クーデターが勃発。多数の文臣が殺害され、王は廃位されました。

こうして始まった武臣政権は、以後100年続くことになります。実権を握ったのは、王ではなく軍人。この時代を描いたのが2012年放送の『武神』です。

📺 ドラマ『武神』(2012年・MBC)

主人公はキム・ジュン奴隷の身分から武臣政権のトップへ登り詰めた実在の人物です。モンゴル(元)の侵攻から国を守るため、王と朝廷ごと江華島へ移り、40年にわたって抗戦した「ド根性」の物語。海に囲まれた江華島は騎馬民族モンゴルが攻めにくく、この戦略で高麗は粘り続けました。


第2章 「生き残り」を選んだ王たちの苦悩

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40年間の江華島での抗戦は、国土を荒廃させました。民は飢え、田畑は踏み荒らされ、もはや限界。そんな中、王たちはある決断を迫られます。

「モンゴルと戦い続けるか、それとも膝を屈して生き残るか」

第24代・元宗(ウォンジョン)が選んだのは、後者でした。

第24代 元宗(在位1259〜1274)

モンゴルに降伏し、その強大な力を借りて国内の武臣政権を一掃。1270年、100年続いた軍事独裁にピリオドを打ちました。「王権をモンゴルの手を借りてでも取り戻す」という、苦渋の選択です。

第25代 忠烈王(在位1274〜1308)

元宗の息子。モンゴル皇帝クビライの娘を正妻に迎え、高麗は「元の婿の国」となります。この結婚で、王族は代々モンゴルの皇女と結婚する義務を負い、王の名前には「」の字がつくようになりました(前回記事「高麗末期編」参照)。

💰 重い代償:忠烈王の即位と同じ1274年、高麗は日本遠征(元寇)の軍船と兵士を提供させられます。まさに婿の国の義務でした。


第3章 ドラマ『王は愛する』ワン・ウォンの意外な素顔

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2017年のドラマ『王は愛する』でイム・シワンが演じた第26代・ワン・ウォン(忠宣王)。繊細で愛に悩む王子として描かれる彼の、史実をご紹介します。

📺 ドラマの彼

繊細で、愛に悩む美しい王子。身分違いの恋に揺れ、友情と愛の狭間で苦しむロマンティックな主人公。

📜 史実の彼(忠宣王)

北京で元の皇帝指名争いに関与した「国際派インサイダー」。母はクビライの孫娘、つまり彼自身がモンゴル皇族の血を引く人物でした。高麗の王でありながら、大半の時間を北京で過ごし、元の宮廷政治の中枢で暗躍した、当時としては破格にグローバルな存在です。

🏔️ チベット流刑の真相

忠宣王は晩年、チベットに流刑されます。一見すると悲劇ですが──実はこれ、「国を追われた」のではなく「世界の中心(元の首都・北京)でのパワーゲームに敗れた結果」でした。

高麗の王が、モンゴル帝国の権力闘争に参加して敗れ、その結果チベットへ。これは当時の朝鮮半島の人物としてはありえないほどスケールの大きい物語です。


第4章 歴史の皮肉 ─ 元寇が李成桂を誕生させた?

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この記事のいちばんの「へぇ〜!」ポイントです。日本を攻めた元寇が、めぐりめぐって朝鮮王朝を生むことになるんです。

🔄 因縁のサイクル

① 元寇の準備(1274年・1281年)

日本攻めの拠点「合浦(現在の馬山)」で、高麗の民は涙を流しながら軍船を作らされました。

② 高麗の荒廃

二度にわたる遠征で兵士と物資を吸い尽くされ、沿岸部の防衛は手薄に。

③ 前期倭寇の襲来

手薄になった沿岸を、日本から「前期倭寇」が襲撃。高麗の民は再び苦しみます。

④ 英雄・李成桂の登場

もはや高麗政府では手に負えない強すぎる倭寇を倒せるのは、最強の武将・李成桂(イ・ソンゲ)だけでした。倭寇討伐で得た絶大な人気と実績が、やがて彼を朝鮮王朝の初代王へと押し上げていくのです。

日本を攻めさせられた経験が、高麗を荒廃させ、倭寇を招き、そして高麗自体を滅ぼす英雄を生んだ──歴史の皮肉としか言いようがない因果の連鎖ですね。


第5章 鎌倉幕府と武臣政権、驚きの同時代年表

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さて、冒頭でお話しした「日本の武家政権と重なる」という話。実際に並べてみると、その一致に驚かされます。

🇯🇵 日本 🇰🇷 高麗
1170年 平氏政権の全盛期 武臣の乱、武臣政権スタート
1185年 壇ノ浦の戦い、平氏滅亡 武臣政権、体制固めの時期
1192年 源頼朝、征夷大将軍に 武臣政権(明宗の時代)
1232年 御成敗式目制定(北条泰時) 江華島へ遷都、対モンゴル抗戦開始
1270年 鎌倉幕府(執権北条氏) 武臣政権崩壊、元宗モンゴル降伏
1274年 文永の役(元寇) 高麗の軍船で日本遠征に参加
1281年 弘安の役(元寇) 再び遠征に駆り出される
1333年 鎌倉幕府滅亡 元の支配下、前期倭寇の襲撃始まる
1392年 南北朝合一(室町時代) 高麗滅亡、李成桂が朝鮮建国

こうして並べてみると、武家が台頭した時期も、モンゴル(元)の脅威にさらされた時期も、驚くほど同時進行だったことがわかります。日韓の歴史が、お互いをほとんど知らないまま、同じリズムで動いていたのですね。


まとめ 2つのドラマでたどる高麗中期

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📺『武神』(2012年)

武臣政権の時代/奴隷から頂点へ登り詰めたキム・ジュン/江華島40年の抗戦

📺『王は愛する』(2017年)

忠宣王(ワン・ウォン)の時代/モンゴル皇族の血を引く国際派/北京での権力闘争

源頼朝と同じ頃、高麗では100年の軍人政治が始まり、やがてモンゴルに膝を屈し、そして元寇という歴史の皮肉を経て、新しい王朝・朝鮮の誕生へと向かっていきました。

次にドラマを観るとき、日本の鎌倉時代と重ねて想像してみてください。あの同じ時代に、海の向こうでもまた、人々が必死に生きていた──そう思うと、物語がもっと立体的に見えてくるはずです🌿

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
おつかれさまでした 🍵

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