※このサイトでは、叙述の性格(NS-1〜4)を簡単なラベルで示します。
詳しくは 凡例:確度メーター(NS/A–C)へ →
- NS-1 実録寄り — 同時代一次史料や天文記録と高い整合
- NS-2 照合可 — 外部資料との照合がおおむね可能(部分的に議論)
- NS-3 伝承中心 — 外部照合は限定的(伝承優勢・史実要素あり)
- NS-4 神話層 — 神話・寓話層
26–29 継体〜欽明|体制再編と仏教受容
NS-1 〜2 伝承を含むが、外交記事・制度・宗教受容など検証しやすい話材が増える層。
天皇別に
第26代 継体天皇(けいたい)
武烈で王統が途切れ、遠い系譜をたどって継体が擁立されます(“応神系に接続する”物語)。継体は淀川水系に沿って 樟葉宮→ 筒城宮 → 弟国宮 へと宮を移し、のちに大和の磐余玉穂宮いわれたまほのみやへ。交通の要衝を押さえながら、中枢へ段階的に近づいていく動きでした。
中央では大伴金村が継体〜宣化期を主導。西では筑紫君磐井の反乱を物部麁鹿火(もののべのあらかひ)が鎮圧し(527–528)、九州の海上ルートを再掌握。王権は広域ネットワークの“糸”を握り直していきます。
第27・28代(安閑 → 宣化)
継体の皇子が続けて即位し、短い治世が続きます。地方の大きな力と王権のせめぎ合いが露出。中央では蘇我や物部らが存在感を増し、のちの対立の伏線が張られていきます。
第29代 欽明天皇(きんめい)
継体の皇子が即位。大伴金村の失脚を経て、蘇我稲目が台頭します。欽明のころ、仏像や経典が海を渡って到来(公伝年は538説/552説)。受容はすぐ全国化ではなく、都の政治と宗教の関係がまず変わり、稲目が受け入れ、物部尾輿が反対——揺れながらも、寺院・工芸・医薬・暦法、文字・制度が選び取られていく流れが始まります。
NS-1 〜2 外部関係・制度・宗教受容でクロスチェックしやすい層。年代は相対を基本に、要所で絶対年を補助。
3行まとめ
- 体制再編:継体の擁立=王統の再接続。氏族バランスの組み替えが進む。
- 外交と軍事:朝鮮半島情勢と連動。地方有力者とのせめぎ合い(筑紫の反乱)も露出。
- 仏教受容:欽明期に仏像・経典到来。受容は段階的で、氏族間で賛否が分かれる。
相対年表(ざっくり目安)
- 6世紀前半:継体による体制の立て直し。都の遷動と氏族バランスの再調整。
- 6世紀中葉:筑紫の反乱(磐井の乱)/中央で蘇我・物部らの台頭。
- 6世紀中葉〜後葉:欽明期の仏教受容(538説/552説)。寺院・工芸・医薬・暦法・文書実務が中枢で可視化。
史料の窓(クロスチェック)
- 仏教公伝:百済から仏像・経典がもたらされた記事。
→ 公伝年は538説/552説が併存(いずれも有力史料に根拠)。年そのものより、受容の段階性と政治との接続を押さえる。 - 筑紫の反乱(磐井の乱):西方の在地勢力と王権の摩擦を示す国内記事。
→ 中央―地方の力の再調整という文脈で理解。 - 制度化の萌芽:氏姓(うじ・かばね)、屯倉・部民制など。
→ 仏教受容や外交と並走して、管理・祭祀・工芸が専門化していく。
よくある誤解とチェック
- 継体=断絶の王? → △ 断絶後の再接続として理解(系譜は後世の整理要素も含む)。
- 仏教は一気に全国化? → × 中枢から段階的。氏族間で賛否分かれ、受容と反発が併走。
- 公伝年は538か552のどちらかだけ? → × 史料により差。両説の併存や根拠史料をセットで。