— 出アフリカの要所|湿潤期に開く「レバント回廊」の環境窓—
紅海~シナイを抜け、カルメル沿岸からレバノンへ続く細長い通路=「レバント回廊」。過去の湿潤期(環境窓)に通行性が高まり、初期の外出アフリカの試行と、約5.5万年前の本格波の双方がここを通過した可能性が指摘されます。
※主分類=西アジア、境界要素として北東アフリカ(シナイ)
30秒要点
- レバント回廊=シナイ→カルメル沿岸→レバノン(ベッカ渓谷)に伸びる細長い通路。
- 湿潤期(環境窓)に通れる:MIS5(~13–7万年前)とMIS3(~6–3万年前)の湿潤パルスが鍵。
- 早期の外出アフリカの“試行”候補:ミスリヤ(~19–17.7万年前)やスフール/カフゼ(~12–9万年前)。
- 約5.5万年前の“本格波”の通過候補:マノット頭蓋(~55ka)、クサール・アキルのIUP/EUP層序。
- 年代の揺れ・層序の再検討が続くため、結論はB(複数一次整合)だが細部はC寄りも混在
対応マップ
このノートのピンは
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回廊の骨格(どこを通る?)
地形的なボトルネックは3つ:① シナイ陸橋(スエズ~ティムサハ湖周辺の低地帯)、② カルメル山地の洞窟帯(沿岸と丘陵をつなぐ狭路)、③ ベッカ渓谷入口(レバノン山脈とアンチ・レバノンに挟まれた細長い内陸路)。 これらが乾燥期には遮られ、湿潤期には「点が線になる」——それが環境窓です。
いつ開いた?——環境窓のタイミング
1)早期の“試行”を示唆する窓(MIS5の湿潤)
カルメル地域のミスリヤ洞窟からは、Homo sapiensの上顎骨が~19–17.7万年前(U–Thほか)で報告され、 アフリカ外での非常に早い到達を示します。近傍のスフール/カフゼでも~12–9万年前の現生人類が知られ、 「湿潤な時期に北上→その後の乾燥化で後退」した可能性が議論されています。
2)約5.5万年前の“本格波”を示唆する窓(MIS3の湿潤パルス)
マノット洞窟(Manot 1頭蓋)は約55,000年前(U–Th)で、同地域にネアンデルタールが存続した時期と重なります。 その後の上部旧石器文化(アフマリアン/レヴァンティン・オーリニャシアン)を示すクサール・アキルの長大層序が、「レバント経由での拡散」を支持する重要証拠群です(年代・層序の再検討は継続)。
なぜ“環境窓”が鍵なの?(メカニズム)
レバント回廊は沿岸資源とオアシス連鎖に依存する「線」の移動路です。湿潤化のパルスでは植生と小動物群が増え、 渡渉点や湧水が繋がることで回廊の通行性が上がります。逆に乾燥化(砂漠化)が進むと「線」が切れ、行き来が途絶えやすくなります。 小哺乳類群集や堆積の研究は、こうした気候変動が人の到達時期と重なることを示しており、環境窓仮説を裏づけています。
根拠と限界
- 根拠:① 直接化石(Misliya, Skhul/Qafzeh, Manot)と年代学、② クサール・アキルのIUP/EUP層序と装飾貝放射年代、③ 気候・生態の指標。
- 限界:放射年代の前処理・校正差、U–Thの誤差幅、層序の欠落/再堆積、時系列の飛び(Skhul/QafzehとManotの間隙)など。Misliya年代は反論・再検討もある。
- 補足:回廊は唯一のルートではなく、紅海・バブ・エル・マンデブ沿岸経路(南回り)と相補的に開閉した可能性が高い。
確度(A/B/C)
※このサイトでは、資料の信頼度(A / B / C)を簡単なラベルで示します。
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- A 公的・一次級で直接確認(一次が複数一致でもA)
- B 複数一次情報からの強い推定(反論や未確定部分あり)
- C 仮説寄り(一次が乏しい/矛盾/作業仮説段階)
総合評価:B(複数の一次情報が整合)。
ただし、各地点の年代・層序の細部にはC(仮説寄り)要素が残ります(特に早期到達の解釈)。