平安時代|摂関・院政と武士台頭、国風文化

狭義:794–1185年(平安京遷都〜源平合戦終結)
広義:794–1192年(平安京遷都〜源頼朝征夷大将軍)

30秒要点

  • 時期:794〜1185年(平安京〜壇ノ浦)。のち鎌倉へ。
  • 政治:前半は藤原氏の摂関政治(道長・頼通)、後半は院政(白河・鳥羽・後白河)と平氏政権へ。
  • 対外:遣唐使停止(894)。後期に日宋貿易(平清盛)が進む。
  • 社会・経済:寄進地系荘園の発達/受領・在庁官人/武士の成長(源氏・平氏)。
  • 文化:国風文化(かな・和歌・『源氏物語』『枕草子』)/浄土教の流行(『往生要集』、平等院鳳凰堂)。

ミニ年表(ざっくり)

794平安京遷都。
894遣唐使停止(菅原道真の建議)。
10〜11世紀摂関政治の全盛(道長・頼通)。国風文化が成熟。
1019刀伊の入寇(大宰府で撃退)。
1051–1062/1083–1087前九年・後三年の合戦。
1069延久の荘園整理令(後三条天皇)。
1086白河上皇の院政開始。
1156・1159保元・平治の乱→ 平清盛台頭。
1167清盛太政大臣/日宋貿易を推進。
1180–1185源平合戦、壇ノ浦で平氏滅亡→鎌倉へ。

平安時代を俯瞰

平安時代を時系列で読む

桓武天皇が平安京に都を移すと、貴族社会は安定と洗練を深め、やがて藤原氏の摂関政治が確立する。 かな文字が広まり、和歌や物語が花開く一方、地方では荘園が伸び、武士が力を蓄えていく。 894年、遣唐使を停止すると、中国文化は間接的に受け継がれ、やがて日本的な国風文化が成熟した。

11世紀後半、天皇が位を譲って政治を進める院政が始まり、寺社や貴族・武士の利害が交錯する。 12世紀、保元・平治の乱を経て平清盛が政権を握り、日宋貿易を進める。 しかし各地の武士は独自に台頭し、源平合戦の末に1185年壇ノ浦で平氏は滅び、時代は鎌倉へ移っていく。

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