室町時代〈前期〉|建武・南北朝から応仁へ

狭義(※本ページの主対象):1333/1336–1467年(建武・南北朝〜応仁の乱)
広義:1336–1573年(1467以降は「戦国」ページへ)

30秒要点

  • 時期:1333/1336–1467年(建武政権・南北朝〜応仁の乱)。以後は戦国期へ。
  • 政治:足利尊氏が室町幕府を樹立。建武式目(1336)/観応の擾乱(1350–52)を経て体制確立。半済令などで守護大名が台頭。
  • 統一:足利義満の下で南北朝合一(1392)。対明関係を整え勘合貿易(日明貿易)を推進。
  • 社会・経済:荘園公領制の運用継続、土倉・酒屋・座・問が発達。正長土一揆(1428)や嘉吉の徳政(1441)。
  • 文化:北山文化金閣)・五山文化(観阿弥・世阿弥)・水墨画(如拙・周文)。
  • 地域:鎌倉公方関東管領の対立(永享の乱享徳の乱)など、東国は不安定。

ミニ年表(ざっくり)

1333鎌倉幕府滅亡、建武の新政(後醍醐天皇)。
1336建武式目(足利尊氏)。1338:尊氏が征夷大将軍。
1350–1352観応の擾乱(幕府内の内訌)。1351:半済令(守護の荘園年貢一部徴収を容認)。
1391明徳の乱(山名氏の討伐)。
1392南北朝合一(義満)。
1401明と通交(のち勘合貿易)。1419:応永の外寇(朝鮮の対馬出兵)。
1428正長の土一揆(徳政要求)。
1438–1439永享の乱(鎌倉公方討伐)。1440:結城合戦。
1441嘉吉の乱(将軍義教横死)/嘉吉の徳政令。
1455–1483享徳の乱(関東の長期戦乱)。
1467応仁の乱勃発(以後、戦国期へ)。

室町時代〈前期〉を俯瞰

室町前期を時系列で読む

鎌倉幕府が倒れ、理想を掲げた建武政権は長く続かなかった。やがて足利尊氏が幕府を開き、 内訌の観応の擾乱をくぐり抜けて体制を整える。守護には半済が認められ、各地の守護大名が力を増していった。

三代義満は南北朝を統一し、金閣を映す北山の邸で新しい文化を育てる。明との通交で勘合貿易が動き出し、 都と港町では土倉・酒屋が活躍した。一方で負債に苦しむ人びとは徳政を求めて立ち上がり、 東国では鎌倉公方関東管領が争う。積み重なる不安はついに応仁の乱へと噴き出し、次の戦国の時代を呼び込むことになる。

同じシリーズの他の記事

同じシリーズ