弥生時代|稲作と金属器、クニのはじまり

歴史学的区分(教科書標準):紀元前4世紀ごろ 〜 3世紀中ごろ
考古学的区分(研究メモ):紀元前10〜前4世紀ごろ開始(北部九州起点) 〜 3世紀中ごろ
※重複帯: 3世紀中ごろ以降は古墳時代と重なる(地域差あり)

30秒要点

  • 時期:紀元前4世紀ごろ〜3世紀中ごろ(のち古墳時代へ)。地域差があり、後期は古墳と重なる。
  • 生活・生産:水田稲作の開始・定着/竪穴住居+高床倉庫の集落。
  • 技術:青銅器(銅鐸・銅矛・銅剣など=主に祭祀用)と鉄器(農具・武器=実用)が併存。
  • 社会:ムラ→クニの形成、環濠集落高地性集落、貧富・身分差の拡大。
  • 対外関係:漢委奴国王印(57年)魏志倭人伝にみえる卑弥呼邪馬台国(3世紀)。

ミニ年表(ざっくり)

前4世紀ごろ北部九州などで水田稲作開始(やがて各地へ拡大)。
前〜後1世紀環濠集落や墳丘墓が各地に出現、クニの形成が進む。
57年「漢委奴国王」金印(志賀島出土)。
2世紀後半倭国の乱(『魏志』)。
239年卑弥呼が魏に使い、「親魏倭王」の称号などを受ける。
3世紀中ごろ卑弥呼の後継(トヨと伝える)/のち古墳時代へ。

弥生時代を俯瞰

北部九州に始まった水田稲作は、各地へ広がり、集落には竪穴住居高床倉庫が並ぶようになる。 生産が安定すると、余剰をめぐって集落は防御を意識し、環濠や見張りの施設を備えた。 祭りの場では青銅器(近畿の銅鐸、北部九州の銅矛・銅剣など)が鳴り、畑や水田では鉄器の農具が働いた。

やがてムラはまとまり、いくつものクニが姿を見せる。57年には金印が伝わり、 3世紀には『魏志倭人伝』が卑弥呼邪馬台国の統合を伝える。 3世紀の後半、列島は古墳時代へと移り、地方の王墓が力を誇示する時代へ進んでいく。

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