飛鳥時代|仏教受容と改革、律令への助走

狭義:592–710年 (推古即位〜平城京遷都)
広義:538/593–710年 (仏教公伝〈年は538/552説〉または推古政権開始〜平城京遷都)

30秒要点

  • 時期:6世紀末〜710年(平城京)。弥生末〜古墳後期を受け、奈良時代へつながる転換期。
  • 政治・制度:推古朝の聖徳太子(摂政)による冠位十二階十七条憲法大化の改新(645)/ 壬申の乱(672)/天武・持統朝を経て大宝律令(701)。
  • 外交・対外:遣隋使(607〜)・遣唐使開始(630)/白村江の戦(663)と防人・水城などの防衛。
  • 社会・経済都城制の本格化(藤原京)/律令国家の基盤整備(戸籍・計帳・班田収授への準備)。
  • 文化:飛鳥文化(初期仏教文化)→白鳳文化へ。法隆寺・飛鳥寺・四天王寺ほか。
  • 史料:改新の詔大宝律令/木簡・富本銭高松塚古墳壁画キトラ古墳など。

ミニ年表(ざっくり)

6世紀半ば仏教伝来(年は 538説/552説 の両説あり)。
587丁未の乱(物部守屋を討つ)→ 仏教受容が前進・蘇我氏が主導。
592–593推古天皇即位/聖徳太子が摂政に。
603/604冠位十二階 / 十七条憲法。
607遣隋使(小野妹子)/法隆寺創建。
645乙巳の変→大化の改新、646:改新の詔。
663白村江の戦で敗北→水城・大野城整備、防人配備。
672壬申の乱(天武天皇の即位)。
689飛鳥浄御原令施行、694:藤原京遷都。
701大宝律令、710:平城京(奈良時代へ)。

飛鳥時代を俯瞰

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仏教が本格的に受け入れられると、飛鳥の地に寺院が並び、政治も新しい秩序を求め動き出す。推古朝、聖徳太子冠位十二階で人材登用の枠組みを整え、十七条憲法で官人の規範を示した。やがて大化の改新が始まり、 土地と人民を国家のもとに再編する方針が掲げられる。

対外では遣隋使遣唐使で最新制度を学び、白村江の戦の敗北を機に防衛体制も強化された。 壬申の乱を経て天武・持統朝が律令国家づくりを進め、碁盤目の都藤原京が築かれる。 そして大宝律令が整い、国家の仕組みは奈良の平城京へと引き継がれていく。

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