戦国時代〈室町後期〉|応仁の乱から幕府滅亡まで

1467–1573年(応仁の乱〜15代将軍・足利義昭が織田信長により京都追放=室町幕府滅亡)

30秒要点

  • 時期:1467–1568/1573年(応仁の乱信長入京/将軍義昭追放)。以後は安土桃山へ。
  • 政治:下克上の風潮の中、戦国大名が台頭。領国統治のため家臣団編成城下町整備・分国法(今川・武田・長宗我部など)を制定。
  • 社会・経済:農村の自立化と一揆(加賀一向一揆・山城国一揆など)、堺・博多など都市の自治。流通活発・の特権を制限する動き。
  • 対外:南蛮貿易の開始、鉄砲伝来(1543)キリスト教伝来(1549)
  • 文化:連歌・書院造の発展、茶の湯(村田珠光→武野紹鴎へ連なる)、南蛮文化の流入。

ミニ年表(ざっくり)

1467–1477応仁の乱(全国的内乱の発端)。
1485山城国一揆(国人・農民の自治)。
1488加賀一向一揆(本願寺門徒が守護を排除)。
1520年代以降各地で分国法(今川仮名目録・甲州法度次第・長宗我部家法など)。
1543鉄砲伝来(種子島)。
1549キリスト教伝来(ザビエル)。
1560桶狭間の戦い(今川義元敗死)。
1568織田信長入京(将軍擁立)。※1573:義昭追放で室町幕府が形式的に終焉。

戦国時代〈室町後期〉を俯瞰

戦国時代を時系列で読む

応仁の乱で中央の求心力が崩れると、諸国では武士団と在地勢力が結びつき、実力で国を治める戦国大名が現れた。 彼らは家臣団をまとめ、城下町を整え、領国運営の掟である分国法を定めて秩序を作る。 一方で、負担や支配に対して一揆がしばしば起こり、自治や徳政を求める声が広がった。

海の彼方からは新しい技術と宗教が届く。鉄砲は戦術を変え、キリスト教は各地に信者を生んだ。 商業都市の博多は活況を呈し、南蛮貿易が富をもたらす。やがて諸大名の抗争が収れんに向かい、 1568年、織田信長が入京して再編の時代が始まる――ここから先は安土桃山の章へ続く。

畿内の情勢(ざっくり)

細川政権の揺らぎ応仁後は細川家(政元→晴元)が主導も、家中分裂と将軍位の動揺で不安定化。
三好長慶の台頭摂河泉〜京を掌握し、幕府を凌ぐ実力政権に。家中は三好三人衆と松永久秀が角逐。
将軍家の危機永禄の変(1565)で義輝横死→義昭をめぐる上洛(1568)→1573滅亡。

関東の情勢(ざっくり)

後北条(伊豆→相模→関東)早雲ののち氏綱・氏康で版図拡大。1546 河越夜戦で関東管領方に大勝。
今川義元の下で東海を押さえるが、1560 桶狭間で失速。
武田信玄が信濃へ進出、川中島合戦(1553–64)で長尾(のち上杉謙信)と抗争。1562 甲相駿三国同盟で今川・北条と均衡。
関東管領・上杉上杉憲政が越後へ退き、長尾景虎に上杉姓・管領職を譲る(1561)
同盟崩壊1568、武田が駿河へ進出→今川衰退、関東勢力図が再編へ。

中部・東海の情勢(ざっくり)

織田1560桶狭間→1562清洲同盟→1567美濃攻略・岐阜改称。
松平 → 徳川1563–64三河一向一揆鎮圧→1566徳川改姓(織田と連携)。
斎藤1556道三討死→龍興期に弱体化→1567稲葉山落城。

山陰・中国の情勢(ざっくり)

山陰山名=応仁の大勢力→(16世紀)漸減/ 尼子=経久で台頭→1566 月山富田落城で没落。
中国大内=1551 大寧寺の変→1557 滅亡/ 毛利=1555 厳島で躍進→1566 月山富田落城で中国覇権。

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