【5分解説】『帝王の娘スベクヒャン』の裏側|日本と百済の関係は?

近肖古王以降、日本と百済は親密な関係だった。

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『スベクヒャン』へと続く百済の興亡史

~黄金時代から国家存亡の危機、そして再建へ~

1
4世紀後半:近肖古王(クンチョコワン)の時代

黄金時代と「七支刀」

日本の石上神宮に伝わる国宝。百済が最も輝いていた時代
高度な製鉄技術を誇る百済から、同盟関係にあった倭へ贈られたこの剣は、両国の結びつきを象徴する品。

2
5世紀後半:高句麗の南下と首都陥落

475年、国家存亡の危機

4世紀末、高句麗(広開土大王~長寿王)の猛攻を受け、首都・漢城が陥落。蓋鹵王は処刑され、百済は国家存亡の危機に。

3
5世紀末:東城王(トンソンワン)の帰還(再建へ)

日本からの「バックアップ」

絶望的な状況で王位を継いだのは、当時日本にいた東城王。日本から帰国し、混乱する百済を立て直すために奮闘します。
漢城陥落後、百済は熊津(現在の公州)へ遷都しています。

6世紀初頭:武寧王(ムニョンワン)の時代

ドラマ『スベクヒャン』のお父さん

東城王の後を継ぎ、百済を再び強国へと押し上げたのが日本(加唐島)で生まれた武寧王です。

考古学と日本書紀が一致した「武寧王の証拠」

『日本書紀』には、 百済の王子・昆支が日本へ向かう途中、 筑紫の各羅嶋(かからしま)で 王子が生まれ、
島で生まれた、その子を嶋君(しまのきみ:後の武寧王)と名付けたことが記されています。

1971年、 韓国で発見された武寧王陵の墓誌には 王の名前が 「斯麻(シマ)」 と刻まれていました。

日本書紀の内容(王子の名前)と考古学の発見が一致した、 歴史ロマンあふれる瞬間です。

百済とヤマト王権

ここで注目の人物が、

中国の歴史書に登場する「倭の五王」の「武」が確実視される 第21代 雄略天皇です。

  • 武寧王に嶋君(しまのきみ)と名付けて百済に送り返した。
  • 東城王の帰国を支援した。

百済と深い関係を持つ人物です。

しかし日本国内では、 王位争いで親族を次々と殺したと伝えられ 「大悪天皇」 とも呼ばれています。

この雄略天皇の孫娘がスベクヒャンのモデルとも言われる 手白香皇女(たしらかのひめみこ)です。

ヤマト王権の直系が途絶えた際、血縁の薄い、地方出身の第26代 継体天皇が即位。
彼女が皇后となりました。雄略天皇の血統を引く皇女を皇后に迎えることで、 継体天皇は正統な天皇として認められたと考えられます。

ドラマの作者は、国を支えた「女性」のイメージを、継体・武寧が国を再建する歴史のシンクロから着想したのかもしれませんね。

次の時代へ(新羅との同盟が次の悲劇)

百済を再興した東城王は、高句麗に対抗するため、新羅の王族と結婚し「タッグ(羅済同盟)」を組んでいました。

その後、武寧王を経て、息子の 聖明王(スペクヒャンのミョンノン太子)の時代へと進みます。

聖明王は日本とさらに深い関係を築き、第29代・欽明天皇の時代には日本に 仏教を伝えました。

欽明天皇は、「地方から来た実力者」である継体天皇と、「直系の血筋」を持つ手白香皇女(雄略天皇の孫)の間に生まれたサラブレットです。

余談ですが、第26代継体天皇から第29代欽明天皇にかけて(6世紀前半)の皇位継承については、日本の古代史最大のミステリーの一つでもあるんです…興味深ですよね!! 日本も百済同様に後継者争い中だったのかもしれません。

聖明王の悲劇は突然訪れます。
そしてここから、百済と新羅の激しい戦いが始まります。

この続きは、次の記事で…


📜 韓国ドラマで読み解く「東アジア史」シリーズ
【4世紀】伽耶と空白の時代を読み解く鍵? 関連:鉄の王キム・スロ、近肖古王、広開土大王
【三国時代】新羅・百済の100年因縁と日本への影響 関連:花郎(ファラン)、薯童謠(ソドンヨ)、善徳女王
【統一〜高麗】激動の時代|三国の終わりから新国家の誕生へ 関連:大王の夢、大祚榮(テジョヨン)、海神、太祖王建

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