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新羅はなぜ滅亡した?統一から高麗への降伏まで|『大王の夢』『太祖王建』の史実

高句麗と百済をたおし、朝鮮半島をひとつにまとめた新羅。

でもその新羅も、最後は高麗に国を譲って消えていきます。勝ち残った国が、なぜ滅んだのでしょうか。

この記事では、統一から滅亡までの新羅の300年を、4本の韓国ドラマを順番にたどりながら見ていきます。

🕓 更新日:2026年9月20日

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新羅はなぜ滅亡した?先に結論をまとめます

理由は? 生まれで出世が決まる身分制度(骨品制)で人材が詰まり、王の座をめぐる争いで中央が弱り、地方の豪族と農民の反乱で国がバラバラになりました。

最後は? 935年、最後の王・敬順王(けいじゅんおう)が、戦わずに高麗へ国を譲りました。

何年続いた? 伝承の建国(紀元前57年)から約1000年。三国統一(676年)からは約260年です。

そのころ日本は? 飛鳥時代の終わりから、平安時代の中ごろまでです。

ひとことで言えば、外の敵に負けたのではなく、内側から崩れた国でした。

この記事で紹介するドラマ

ドラマ放送時代主人公新羅の300年での役割
大王の夢2012〜2013年 KBS 全70話7世紀金春秋(武烈王)新羅が頂点へ
大祚榮2006〜2007年 KBS 全134話7世紀末渤海を建てた大祚榮北にライバルが生まれる
海神2004〜2005年 KBS 全51話9世紀海の商人・張保皐地方の力が強まるきしみ
太祖王建2000〜2002年 KBS 全200話10世紀高麗を建てた王建新羅の最期

4本とも、主演はチェ・スジョン
「時代劇の王様」と呼ばれる俳優チェ・スジョンが、4本すべてで主人公を演じています。
しかも『大王の夢』では新羅の統一を目指す金春秋を、『太祖王建』では新羅を終わらせる王建を演じています。同じ俳優が、新羅の始まりと終わりの両方に立ち会っているのです。

『大王の夢』:新羅が三国を統一するまで

どんなドラマ?
新羅の金春秋と、名将・金庾信(キム・ユシン)の2人を中心に、善徳女王の時代から三国統一までを描く大河ドラマです。

史実のポイント
百済に追い詰められた新羅を救うため、金春秋は外交に走ります。648年に唐と同盟を結び、654年に王(武烈王)になりました。

年出来事
660唐と新羅の連合軍が百済を滅ぼす
661武烈王が亡くなり、息子の文武王が即位
668唐と新羅の連合軍が高句麗を滅ぼす
670〜676半島を支配しようとした唐と戦い、追い出す
676新羅が朝鮮半島を統一

ドラマとのちがい
ドラマは金春秋の死後の話が駆け足で、統一の最後の山場である唐との戦争は、ほとんど描かれていません。

日本との接点
『日本書紀』によると、647年、金春秋は新羅の使いとして日本にも来ています。百済と深く結びついていた日本を、なんとか味方につけられないかと探りに来たのかもしれません。

『大祚榮』:高句麗の人々が建てた北の国・渤海

どんなドラマ?
高句麗が滅びたあと、唐に連れて行かれた高句麗の人々を率いて故郷へ戻り、新しい国を建てた大祚榮(テジョヨン)の物語です。

史実のポイント
698年、大祚榮は現在の中国東北部で国を建てました。これがのちの渤海(ぼっかい)です。新羅が半島の南を治める一方で、北には高句麗の後継を名乗る国がそびえることになりました。

ドラマとのちがい
ドラマでは高句麗の将軍として描かれますが、大祚榮の出身は、中国の歴史書でも「高句麗の一族」と「靺鞨(まつかつ)の人」と書き方が分かれていて、決着していません。

日本との接点
渤海は、727年から919年までの間に34回も日本へ使いを送っています。はじめは、唐や新羅に挟まれた渤海が、背後から新羅をけん制するために日本と手を組もうとしたものでした。

使いは日本海を渡り、能登や出羽などに着きました。のちには菅原道真が、渤海の大使と漢詩をやりとりしたことでも知られています。

『海神』:海を支配した張保皐と、新羅のきしみ

どんなドラマ?
作家チェ・イノの小説をもとに、身分の低い生まれから海の王へとのぼりつめた張保皐(チャン・ボゴ)の生涯を描きます。

史実のポイント
張保皐は唐で軍人として出世したあと新羅に戻り、828年、半島の南西の島に清海鎮(せいかいちん)という海の基地を築きます。海賊を取り締まり、唐・新羅・日本を結ぶ貿易を一手に握りました。

やがて張保皐は、兵の力で王位争いにも関わり、王を即位させるほどの力を持ちます。ところが、娘を王の妃にしようとしたところ、「身分の低い者の娘を妃にはできない」と貴族たちに反対され、最後は暗殺されてしまいました。

ここが大事なポイント
王でも貴族でもない地方の人が、王を動かすほどの力を持った。それでも、生まれの身分の壁は越えられなかった。張保皐の一生には、このあと新羅を滅ぼす2つの力、「地方の力」と「身分制度のひずみ」が、両方とも表れています。

日本との接点
日本の僧・円仁(えんにん)は、唐で修行していたとき、張保皐が建てた寺・赤山法花院に身を寄せています。847年に日本へ帰るときも、新羅の商人の船に乗せてもらいました。張保皐はもう亡くなっていましたが、彼が築いた新羅人の海のネットワークが、日本の僧の帰り道を支えていたのです。

新羅はなぜ滅亡した?3つの理由

ここからが、この記事の本題です。

理由①:生まれで出世が決まる「骨品制」

新羅には、骨品制(こっぴんせい)という厳しい身分制度がありました。

身分どこまで出世できる?
聖骨(せいこつ)王になれる(善徳女王の次の真徳女王の代で途絶える)
真骨(しんこつ)王族。武烈王以降は真骨から王が出る
六頭品(ろくとうひん)優秀でも、17段階の官位のうち6番目までしか上がれない
五頭品以下さらに低い位まで

たとえるなら、入社した時点で「部長になれる人」と「課長止まりの人」が生まれで決まっている会社です。

その代表が、六頭品の出身だった学者・崔致遠(さいちえん)です。12歳で唐へ留学し、唐の役人の試験に合格するほどの秀才でした。新羅に戻って国を立て直す提案をしましたが、身分の壁に阻まれて受け入れられず、最後は山にこもってしまいます。

優秀な人ほど、国のために働く道をふさがれていく。これが、新羅の力を内側から削っていきました。

理由②:約150年で20人。王の座をめぐる争い

780年、恵恭王が反乱のなかで殺されます。ここから新羅の最後の時代(下代)が始まり、935年の滅亡までの約155年で20人の王が入れ替わりました。

1人あたり平均8年足らず。王位を狙う真骨の貴族どうしの争いが続き、殺されたり、追い落とされたりする王が相次ぎました。

中央の貴族が争っているあいだ、地方を治める力は、どんどん弱まっていきます。

理由③:地方の豪族の台頭と、889年の農民反乱

中央の目が届かなくなった地方では、豪族(ごうぞく)と呼ばれる有力者たちが、城主や将軍を名乗って自分の土地を治めはじめます。張保皐も、そうした地方の力の先がけでした。

そして決定打になったのが、889年の農民反乱です。国の蔵が空になり、真聖女王の政府が地方に税を厳しく取り立てたことで、農民たちの怒りが爆発しました。反乱は全国に広がり、各地の豪族がそれぞれに勢力を固めていきます。

3つの理由は、ばらばらではありません。
身分制度で人材が詰まる → 貴族が王位争いに明け暮れる → 地方が放っておかれ、豪族と反乱が広がる。 ひとつの流れとしてつながっています。

後三国時代:新羅・後百済・後高句麗

9世紀の終わり、地方の豪族のなかから、新羅に代わる国を建てる者が現れます。朝鮮半島は、ふたたび3つに分かれました。これを後三国時代と呼びます。

後百済(ごひゃくさい)後高句麗(ごこうくり)新羅
建てた人甄萱(けんけん)弓裔(きゅうえい)―
もとは新羅の軍人新羅の王族とされる僧―
建国900年(892年に挙兵)901年―
本拠地全州(半島の南西)松岳(開城)→鉄原慶州のまわりだけ
名乗ったのは滅びた百済の復活滅びた高句麗の復活―
その後936年、高麗に滅ぼされる918年、王建に倒される935年、高麗に降伏

新羅に滅ぼされた百済と高句麗が、約240年ぶりに「名前だけ」復活したのです。新羅への反発が、それだけ根強く残っていたことがわかります。

『太祖王建』:新羅の最期と、高麗の統一

どんなドラマ?
後三国時代を舞台に、弓裔の部下だった王建(ワン・ゴン)が、甄萱と覇権を争い、高麗を建てて半島を統一するまでを描く、全200話の超大作です。

史実のポイント

年出来事
918暴君となった弓裔を倒し、王建が高麗を建国
927後百済の甄萱が新羅の都・慶州を襲い、景哀王を死に追いやる。甄萱は敬順王を新しい王に立てる
935甄萱が息子に王位を追われ、王建のもとへ逃げ込む
935新羅の敬順王が、高麗に降伏
936高麗が後百済を滅ぼし、朝鮮半島を再統一

927年の事件は、新羅にとって決定的でした。王を守ることさえできない国だと、誰の目にも明らかになったからです。一方の王建は、新羅に援軍を送って礼を尽くし、新羅の人々の心をつかんでいきました。

ドラマの見どころは記録にもある
ドラマで印象的な、弓裔が「人の心が読める」と言って部下を次々と処罰する場面。これは創作ではなく、『三国史記』にも、弓裔が自分を弥勒仏と名乗り、心を読む術を使うと称して人々を罰したことが記されています。

新羅の最後の王・敬順王はどうなった?

935年、敬順王は「罪のない民をこれ以上苦しめられない」と、群臣を率いて高麗の都へ向かい、国を譲りました。

王建は敬順王を手厚く迎えます。自分の娘を妻として与え、高い地位を授け、故郷の慶州を治める役目も任せました。敬順王は高麗で長く暮らし、978年に亡くなっています。

ただ、国を譲ることに最後まで反対した人もいました。王の息子は、涙ながらに父のもとを去って金剛山に入り、麻の衣をまとって生涯を終えたと伝えられます。この王子は、麻衣太子(まいたいし)と呼ばれています。

新羅は、戦いで焼き尽くされて滅んだのではありません。最後の王が、自分から国を譲った。1000年続いた国の、静かな終わり方でした。

いつの時代?そのころ日本は

年朝鮮半島日本
647金春秋が日本へ大化の改新のころ
663―白村江の戦いで大敗
676新羅が半島を統一天武天皇の時代
698大祚榮が渤海を建てる―
710―平城京に都を移す
727―渤海の使いが初めて来る
752―東大寺の大仏開眼。新羅から大使節団が来る
780恵恭王が殺され、新羅の下代が始まる―
794―平安京に都を移す
828張保皐が清海鎮を築く―
847―円仁が新羅の商人の船で帰国
889新羅で農民反乱が全国に広がる―
894―遣唐使の派遣を停止
900〜901後百済・後高句麗が建国(後三国時代)―
918王建が高麗を建国―
926渤海が契丹に滅ぼされる―
935新羅が高麗に降伏平将門の争いが始まる
936高麗が半島を再統一―

新羅が滅んだ935年ごろ、日本では平将門が関東で争いを起こし、武士の時代の足音が聞こえはじめていました。

次の時代へ:高麗王朝のドラマへ

王建が建てた高麗は、ここから約450年続きます。

王建の死後、息子たちのあいだで起きた王位争いを描いたのが、ドラマ『麗〜花萌ゆる8人の皇子たち〜』です。新羅の終わりを見届けたら、次は高麗の時代へ進みましょう。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍵