🕓 更新日:2025年5月17日
個人的な備忘録として、学びながら書いているブログです
書き足し、修正、アップデートを重ねています
- 目次
年代
約3000~1750年前(紀元前10~紀元3世紀後半頃)
弥生時代のはじまり
縄文時代の狩猟採集生活を続ける人々も多い中で、地域ごとに徐々に広まった
🌟稲作は数百年かけて徐々に広がり、一気に広まったわけではない
- 📌 約3000年前
北九州で渡来人が稲作を開始(縄文人は基本的に狩猟採集生活)
縄文人も稲作を一部取り入れはじめるが、まだ地域差は大きい - 📌 約2500年前
西日本に広がりを見せる - 📌 約2300年前
全国的(東日本にも徐々に)に広がり、弥生文化へ移行
弥生時代の区分
早期(約3000~2500年前) | 北九州を中心に稲作開始 |
前期 (約2500~2200年前) | 稲作が西日本一帯に広がり、環濠集落や弥生土器の特徴が明確化 |
中期 (約2200~1900年前) | 西日本全域で一般化 争いが激化・集落の大規模化 |
後期 (約1900~1750年前) | 中国の史書に倭国(邪馬台国など)の記録が登場 🌟 歴史時代(文字記録のある時代)へ |
弥生時代のおわり
3世紀中頃~ 西日本を中心に首長層の大規模な墓(古墳)が登場
*東日本では地域によって、古墳文化の広がりに数十年~百年以上の遅れが見られる
北海道と沖縄
北海道は「縄文 → 弥生 →古墳」に相当する期間「縄文文化」を継続 |
沖縄は「縄文 → 弥生 → 古墳」に相当する期間「貝塚文化」を継続 |
日本と世界の対比
👑📌 歴代天皇の即位の西暦年は、日本書紀の在位年数をもとに逆算したもので信憑性はありません
早期(約3000~2500年前/紀元前10~5世紀頃)
日本 |
農耕社会の成立 ✅朝鮮半島から北九州へ稲作が伝来し始める 📌 紀元前8~5世紀頃 → 水田農耕がはじまる → 弥生土器が出現し、煮炊きや貯蔵が効率化 → 身分の違いが徐々に生まれ、争いが増えていった →📌 紀元前5世紀以降、防御を目的とした環濠集落が本格化 👑📌(伝説)紀元前660年:神武天皇が即位 👑📌(伝説)紀元前581年:第2代綏靖天皇が即位 👑📌(伝説)紀元前549年:第3代安寧天皇が即位 👑📌(伝説)紀元前475年:第4代懿徳天皇が即位 |
中国 |
📌 紀元前11~3世紀(周王朝の統治) → 📌 紀元前11世紀頃:周王朝が成立(西周時代) → 封建制度を用いた統治(諸侯に土地を分け与え、支配を任せる) → 📌 紀元前8世紀頃:周王朝が衰え、首都を東に移す(東周時代) → 📌 紀元前770年:東周(春秋時代)が始まる 📌 紀元前8~3世紀(春秋戦国時代) →📌 紀元前770年~紀元前5世紀頃(春秋時代) → 周王朝の力が弱まり、諸侯が独立して争う → 孔子(儒教)など、多くの思想家が登場 → 📌 紀元前5世紀~紀元前221年(戦国時代) → 有力な諸国が統一を目指して激しく争う → 政治・軍事・経済が発展し、各国で改革が進む |
朝鮮半島 |
(神話)📌 紀元前2333年には✅檀君が朝鮮を建国 📌 紀元前10~8世紀頃 → 青銅器文化が発展し、農耕が定着し始めた |
インド |
📌 紀元前10世紀~6世紀(ヴェーダ時代とカースト制度の成立) →📌 紀元前10世紀頃:ガンジス川流域に小国が分立 →📌 紀元前1500年頃~:アーリヤ人がインド北西部から進出し、農耕社会を形成 →📌 紀元前1000年頃~:「ヴェーダ」と呼ばれる宗教文献が編纂される →📌 紀元前6世紀頃:都市国家が形成され、カースト制度が確立 📌 紀元前5世紀(仏教・ジャイナ教の誕生) → 📌 紀元前5世紀頃:ゴータマ・シッダールタ(釈迦)が仏教を開く → 同時期:ヴァルダマーナがジャイナ教を開く |
オリエント |
📌 紀元前10世紀~紀元前7世紀(オリエントの統一と分裂) →📌 紀元前10世紀頃:オリエントの各地に王国が分立 →📌 紀元前9~7世紀:アッシリア帝国が勢力を拡大し、オリエントを初めて統一 →📌 紀元前612年:アッシリアが滅亡し、新バビロニア(カルデア)がメソポタミアを支配 →📌 紀元前586年:ユダ王国が新バビロニアに滅ぼされ、ユダヤ人がバビロンへ強制移住(バビロン捕囚) 📌 紀元前6世紀(アケメネス朝ペルシャの台頭) →📌 紀元前550年:アケメネス朝ペルシャが成立(キュロス2世) →📌 紀元前539年:新バビロニアを滅ぼし、オリエントを統一 →📌 異民族支配に寛容な統治を行い、各地の文化を尊重 → ユダヤ人を解放し、エルサレム帰還を許可 → ユダヤ教の経典(旧約聖書)が整備され、民族宗教として確立 |
ヨーロッパ |
——ヨーロッパ古代の発展—— 📌 紀元前10~8世紀(ギリシャ文明の発展) →📌 紀元前10~9世紀:ギリシャ世界に小規模な王国が分立(暗黒時代) →📌 紀元前8世紀:都市国家(ポリス)が形成され、ギリシャ文明が発展 → アテネ(民主政治の発展)、スパルタ(軍事国家)などが登場 📌 紀元前5世紀(ギリシャの黄金時代) →📌 紀元前499年~449年:ペルシャ戦争(ペルシャ帝国 vs ギリシャ都市国家) → ギリシャ側の勝利 →📌 紀元前5世紀中頃:アテネが最盛期を迎え、民主政治が発展(ペリクレス時代) → パルテノン神殿の建設、ギリシャ文化の発展(彫刻・哲学・演劇) →📌 紀元前431年~404年:ペロポネソス戦争(アテネ vs スパルタ) → スパルタの勝利、ギリシャの衰退 ——ローマの誕生—— 📌 紀元前8世紀(ローマの建国) →📌 紀元前753年:ローマ建国(王政時代)※伝説ではロムルスが建国 →📌 紀元前6世紀末:ローマが王を追放し、共和制に移行(ローマ共和国の誕生) 📌 紀元前5世紀(ローマの発展) → ローマがイタリア半島の勢力を拡大 → 貴族と平民の対立がありながらも、法律の整備が進む(十二表法など) |
✅日本の稲作は朝鮮半島南部を経由して伝来したと考えられているが、
稲そのものの祖先は中国南部(長江下流域)が起源🤔
✅檀君は古朝鮮の伝説上の王
古朝鮮(檀君朝鮮・箕子朝鮮・衛氏朝鮮)について
📌 約4300~3000年前 → 檀君朝鮮(伝説:檀君(天孫)が建国)
📌 約3000年~1800年前 → 箕子朝鮮(伝説:殷王朝の貴族 「箕子」 が建国)
📌 紀元前195年~紀元前108年 → 衛氏朝鮮(実在:燕の亡命者である 「衛満」 が建国)
前期(約2500~2200年前/紀元前5~3世紀頃)
日本 |
農耕社会の拡大 → 稲作が西日本一帯に広がる → 青銅器・鉄器の使用が進む(中国・朝鮮半島経由) → 環濠集落が発展し、防御を意識した集落が増加 👑📌(伝説)紀元前400年:第5代孝昭天皇が即位 👑📌(伝説)紀元前392年:第6代孝安天皇が即位 👑📌(伝説)紀元前290年:第7代孝霊天皇が即位 👑📌(伝説)紀元前214年:第8代孝元天皇が即位 |
中国 |
📌 紀元前770年~403年(春秋時代) → 周王朝の権威が低下し、諸侯が台頭(群雄割拠の時代) → 各地で戦乱が続き、春秋五覇(斉・晋・楚・秦・宋)が強勢を誇る → 長江流域では呉・越が台頭し、激しく争う → 📌 紀元前473年、越が呉を滅ぼす(✅呉人の一部は日本列島へ❓) 📌 紀元前403年~紀元前221年(戦国時代) → 周王朝の権威が完全に失われ、諸侯が争う → 戦国七雄(秦・楚・斉・燕・韓・魏・趙)が覇権を争う → 📌 紀元前306年、楚が越を滅ぼし、越人が南方へ拡散(✅越人の一部は日本列島へ❓) 📌 紀元前3世紀(秦の統一) → 📌 紀元前256年:周王朝が滅亡(名目上の終焉) → 📌 紀元前221年:秦王・政(のちの始皇帝)が中国を統一し、秦が誕生 → 📌 中央集権国家を確立(貨幣・文字・度量衡の統一) → 万里の長城を建設し、匈奴の侵入を防ぐ |
朝鮮半島 |
📌 紀元前4~3世紀頃 → 鉄器が導入され、農具・武器として広まり始める |
インド |
📌 紀元前4世紀(アレクサンドロス大王の遠征) → 📌 紀元前4世紀後半:アレクサンドロス大王がインダス川まで進出 → しかし、インドには長くとどまらず、すぐに帰る 📌 紀元前3世紀(マウリヤ朝の誕生) → 📌 紀元前317年:チャンドラグプタがインド初の大帝国「マウリヤ朝」を作る → 📌 紀元前268年~232年:アショーカ王が仏教を広める → 戦争をやめ、仏教の教えで国を治める → インドだけでなく、スリランカや東南アジアにも仏教を伝える |
オリエント |
📌 紀元前550年~紀元前330年(アケメネス朝ペルシャの統一) → 📌 紀元前550年:アケメネス朝ペルシャが誕生 → 📌 紀元前539年:キュロス2世が新バビロニアを滅ぼし、オリエントを統一 → 📌 紀元前499年~449年:ペルシャ戦争(ギリシャ遠征)→ ギリシャに敗北 📌 紀元前356年~紀元前323年(アレクサンドロス大王の東方遠征) → 📌 紀元前336年:アレクサンドロス大王が即位 → 📌 紀元前334年~323年:ペルシャを滅ぼし、大帝国を築く(ギリシャ・エジプト・オリエント・インド北西部) → ✅ヘレニズム文化誕生 → 📌 紀元前323年:遠征中に病死 → 帝国が分裂 →▲プトレマイオス朝(エジプト) →▲セレウコス朝(オリエント・西アジア) →▲アンティゴノス朝(マケドニア・ギリシャ) 📌 紀元前247年~紀元224年(パルティアの台頭) → 📌 紀元前247年:パルティアがセレウコス朝から独立 → 騎馬戦術(パルティア騎兵)を駆使し、ローマと戦う → シルクロードの要所を支配し、漢(中国)とローマをつなぐ貿易国家として繁栄 → 📌 紀元224年:ササン朝ペルシャに滅ぼされる |
ヨーロッパ |
📌 紀元前5~4世紀(ギリシャ世界の変化) →📌 紀元前431年~404年:ペロポネソス戦争(アテネ vs スパルタ) → スパルタが勝利し、ギリシャが衰退 →📌 紀元前4世紀:テーベが一時的にギリシャの主導権を握るが、長続きせず混乱が続く 📌 紀元前338年~323年(マケドニアの支配とアレクサンドロス大王) →📌 紀元前338年:カイロネイアの戦い → マケドニア(アレクサンドロス大王の父)がギリシャを征服 →📌 紀元前336年:アレクサンドロス大王が即位 →📌 紀元前334年~323年:東方遠征 → ペルシャ帝国を滅ぼし、大帝国を築く →📌 紀元前323年:アレクサンドロス大王が病死 → 帝国は分裂 📌 紀元前3世紀(ローマの台頭) →📌 紀元前272年:ローマがイタリア半島を統一 →📌 紀元前264年~241年:第一回ポエニ戦争 → ローマがシチリアを獲得 →📌 紀元前218年~201年:第二回ポエニ戦争 → ハンニバルがローマに侵攻(カンナエの戦い) →📌 紀元前149年~146年:第三回ポエニ戦争 → ローマがカルタゴを滅ぼす 📌 紀元前27年(ローマ帝国の誕生) → アウグストゥスが初代皇帝になり、帝政ローマが始まる 📌 紀元前470年~(西洋哲学の発展) → ソクラテス(問答法)→プラトン(イデア論)→アリストテレス(論理学・自然哲学) |
✅ 弥生人は「長江流域の人々が海を渡ってきた直接の子孫」という説について
・・・黄河流域:漢民族の中心地(麦・粟の乾燥農耕文化、古代王朝発祥地)
・・・長江流域:百越文化圏(稲作文化、呉・越など南方系の民族)
→ 百越文化は弥生文化と文化的類似点(高床倉庫・入れ墨文化・神話など)を多数持つ
→ しかし最新の理解(ゲノム解析の観点から)
💡弥生人の主流は、縄文人+朝鮮半島経由の「東アジア北部系渡来人」の混合
・・・「東アジア北部系渡来人」:黄河中流の漢民族ではなく、主に中国東北部や朝鮮半島南部から来た人々
→ サンプル数の不足や南方ルートの検証不足もあるため、ごく少数の「百越系(南方系)」が来ていた可能性までは完全には否定されていない
✅ヘレニズム文化はアレクサンドロス大王がギリシャ文化を東方へ広め、オリエント文化と融合して誕生
📌 紀元前3~2世紀→ ガンダーラ地方(インド・パキスタン)にギリシャ美術が伝わる → これがガンダーラ美術へ発展 → 仏像の誕生!(それまで仏像はなかった)
・・・飛鳥時代(6~7世紀)にガンダーラ美術の影響を受けた仏像・寺院がが日本に伝わる
中期(約2200~1900年前/紀元前3世紀~紀元1世紀頃)
日本 |
農耕社会の発展・クニの形成 → 稲作が西日本全域で一般化し、農耕社会が定着 → 鉄器の使用が広がり、農具・武器が発展(青銅器は祭祀用が中心) → 環濠集落が増加し、クニ(小規模な国)の形成が始まる → 東日本にも稲作が広がる → クニ同士の争いが激化 📌 紀元前後(約2000年前) →❗️南海トラフ巨大地震が発生したことが研究結果から強く示唆される → 土佐湾では巨大津波、四国東岸では大きな堆積環境の変化が見られる → 地盤や水域の環境を変えるほどの大規模な災害 📖 漢書地理志より →📌 紀元前108年~紀元57年(楽浪郡が成立した後の話であることからの推測) → 倭は百以上の小国に分かれており、定期的に朝貢していた 👑📌(伝説)紀元前158年:第9代開化天皇が即位 👑📌(伝説)紀元前97年:第10代崇神天皇が即位 👑📌(伝説)紀元前29年:第11代垂仁天皇が即位 |
中国 |
📌 紀元前3世紀(秦の統一と滅亡) →📌 紀元前221年:始皇帝が中国を統一し、秦が誕生 →📌 紀元前210年:始皇帝が死去 → 内部混乱 →📌 紀元前206年:農民反乱(陳勝・呉広の乱)などが起こり、秦が滅亡 📌 紀元前202年~(漢王朝の成立) →📌 紀元前202年:劉邦が楚の項羽を破り、前漢(漢王朝)を建国 → 中央集権体制を強化し、郡県制と封建制を併用 → ✅匈奴との戦いが続く →📌 紀元前141年~87年(武帝の治世と漢の最盛期) →📌 紀元前141年~87年:武帝が即位し、領土を大きく拡大 →📌 紀元前139年:張騫を西域に派遣(大月氏との同盟を模索するも失敗) → シルクロードの開拓が始まる → 儒教を国家の基本思想として採用(官吏登用試験の始まり) → 南越(ベトナム北部)や朝鮮半島に勢力を広げる →📌 紀元前1世紀(漢の安定と対外関係) →📌 紀元前108年:衛氏朝鮮(朝鮮半島)を滅ぼし、漢の直轄地「楽浪郡」など四郡を設置 → シルクロードを通じて、西方との交流が活発になる |
朝鮮半島 |
⬆️ 北部(高句麗の成立と中国の影響)⬆️ →📌 紀元前3世紀後半:燕(中国)の勢力が朝鮮半島北部に影響を及ぼす →📌 紀元前195年:中国(燕)出身の衛満が亡命し、衛氏朝鮮を建国 📌 紀元前108年(漢による衛氏朝鮮の滅亡) → 漢の武帝が遠征し、衛氏朝鮮を滅ぼす → 楽浪郡など「四郡」を設置 → 中国の直接統治が始まる 📌 紀元前1世紀(高句麗の台頭) →📌 紀元前37年:朱蒙が高句麗を建国したとされる → 楽浪郡と対立しながら成長(中国の影響を受けつつ独立勢力に) ⬇️ 南部(独自の文化が発展)⬇️ →📌 紀元前3世紀(小国の分立) → 朝鮮半島南部では、小規模な部族社会が形成 📌 紀元前2世紀~1世紀(三韓の形成) → 三韓(馬韓、弁韓、辰韓)が成立 →▲馬韓:西部(後の百済の基盤) →▲弁韓:南部(後の伽耶の基盤) →▲辰韓:東部(後の新羅の基盤) → 三韓はまだ国家ではなく、小国が連合する部族社会 → 鉄の生産が進み、海上交易が活発になる |
インド |
→ アショーカ王の死後、マウリヤ朝はだんだん弱くなる →📌 紀元前180年ごろ、マウリヤ朝が滅びる 📌 紀元前2世紀(インド北西部に異民族が進出) → ギリシャ系の王国(インド・グリーク朝)ができる → バクトリア(今のアフガニスタン)がインドへ進出 |
オリエント |
📌 紀元前3世紀(アレクサンドロス大王の後) →📌 紀元前305年:アレクサンドロス大王の死後 → オリエントはセレウコス朝(西アジア)とプトレマイオス朝(エジプト)に分かれる →▲セレウコス朝:広い領土を持つが、内部の争いや外部の攻撃で弱くなる →▲プトレマイオス朝(エジプト):ギリシャ文化が栄えるが、ローマの影響を受け始める 📌 紀元前2世紀~1世紀(新しい勢力の登場) →📌 紀元前247年:イランの遊牧民がパルティアを作り、オリエント東部を支配 →📌 紀元前168年:ローマがギリシャのマケドニアを征服し、オリエントにも影響を広げる →📌 紀元前141年:パルティアがメソポタミアを征服し、オリエント東部の王国となる → シルクロードを支配し、中国(漢)と交易をする 📌 紀元前30年(ローマがエジプトを征服) → ローマがエジプトのプトレマイオス朝を滅ぼし、エジプトを自分たちの国にする → オリエントは「西側はローマ、東側はパルティア」という時代になる |
ヨーロッパ |
📌 紀元前3世紀(ローマがイタリア半島を統一) →📌 紀元前272年:ローマがイタリア半島を統一する 📌 紀元前2世紀(ローマが地中海を支配) →📌 紀元前264年~241年:第一回ポエニ戦争(ローマ vs カルタゴ) → ローマがシチリア島を手に入れる →📌 紀元前218年~201年:第二回ポエニ戦争 → カルタゴの将軍ハンニバルがローマに攻め込むが、最終的にローマが勝つ →📌 紀元前146年:第三回ポエニ戦争 → ローマがカルタゴを完全に滅ぼし、地中海西部を支配 → ギリシャ(マケドニア)もローマに征服される 📌 紀元前1世紀(ローマがエジプトを征服し、帝国へ) →📌 紀元前49年:カエサルがローマの内戦に勝利し、独裁者になる →📌 紀元前44年:カエサルが暗殺される →📌 紀元前30年:ローマがエジプトを征服し、地中海全体を支配 →📌 紀元前27年:オクタヴィアヌスが初代皇帝アウグストゥスとなり、ローマ帝国が始まる 📌 紀元前146年 → 共和政ローマがカルタゴを滅ぼし(ポエニ戦争終結) → 地中海西部を完全支配し、強大な勢力へ → ギリシャも征服し、ヘレニズム文化を吸収 📌 紀元前27年~ → ローマ帝国の成立(共和政から帝政へ) →「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」により地中海交易が活発化 → ローマとパルティアがアルメニアを巡り対立 →📌 1世紀以降、対立が激化するも、シルクロード交易は継続 → 陸路の不安定化により、海のシルクロードが発展 → 📌 2世紀、ローマと中国(後漢)の間接交易が活発化し、ローマの使者が後漢に到達 |
✅匈奴・鮮卑(騎馬遊牧民族)と東アジアの変動
📌 紀元前3世紀~1世紀 → 匈奴が最盛期を迎え、中国北方を脅かす
📌 1世紀(後漢時代)→ 匈奴が南北に分裂し、代わって鮮卑が台頭を始める
📌 2~3世紀(魏・晋時代)→ 鮮卑がモンゴル高原を支配し、中国北部へ勢力を拡大
📌 4世紀(五胡十六国時代)→ 鮮卑が華北を支配し、北魏を建国(386年)
💡東アジアへの影響
▲匈奴・鮮卑の南下圧力により、漢民族や北方の諸民族(扶余、高句麗など)が南下
→ 朝鮮半島南部や日本列島への渡来が活発化する
▲匈奴・鮮卑を起源とする騎馬文化が、満州~朝鮮半島を経由して日本へと伝わる
→日本列島では古墳時代中期(4世紀後半~5世紀前半)から馬具や馬の骨が出土し始める
後期(約1900~1750年前/紀元1~3世紀後半頃)
日本 |
弥生時代後期 → 九州北部を中心に強いクニが形成される → 首長層社会が形成 → 中国(後漢)・朝鮮半島との交流が活発化 →「倭国」の記述が中国の史書に登場 → 各地のクニがまとまり、強力な王権の誕生につながる 📌 2世紀末 纏向遺跡(奈良県)が発展し始める → 計画都市的な構造 → のちのヤマト王権の初期の拠点 📖 後漢書東夷伝より →📌 57年 → 倭奴国王が後漢に朝貢 → 光武帝(後漢の皇帝)から金印「漢委奴国王」を授かる(福岡県志賀島で発見) →📌 107年 → 倭国の王(帥升)が後漢に使者を送る? 📖 魏志倭人伝より →📌 177年~187年頃(後漢書東夷伝では146~189年の間の話として) → 倭国で戦乱が続き、互いに攻め合う状態が何年も続いた(倭国大乱) → 卑弥呼は「鬼道」を使い、宗教的な権威を持って統治し、戦乱が収まり、倭国が統一された →📌 239年 → 邪馬台国の女王・卑弥呼が魏の明帝(曹叡)に使者を送り、朝貢 →「親魏倭王」の称号と「銅鏡100枚」を得る → 243年・247年にも朝貢の記録がある →📌 ✅247年頃 (卑弥呼が最後に魏へ朝貢した記録から推測) → 卑弥呼が死去→倭国で再び内乱が発生 →📌 248年頃(248年に魏への使者の記録から推測) → 台与(トヨ)が女王となり、再び安定した 📖 晋書四夷伝より →📌 266年頃 → 倭の使者が西晋(武帝)に朝貢した記録がある 👑📌(伝説)71年:第12代景行天皇が即位 👑📌(伝説)131年:第13代成務天皇が即位 👑📌(伝説)192年:第14代仲哀天皇が即位 👑📌(伝説)200年:神功皇后(摂政)が即位 👑📌(伝説or実在)270年 → ✅応神天皇が即位 |
中国 |
📌 紀元1世紀(後漢の成立と安定) →📌 紀元8年:王莽が漢を倒し、新を建国(短命に終わる) →📌 紀元25年:劉秀が漢を復興し、後漢を建国(都:洛陽) → 儒教を重視し、中央集権を強化 → シルクロードを通じた西方との交易が活発になる 📌 紀元2世紀(後漢の衰退) 宦官や外戚の権力争いで政治が乱れる →📌 184年:黄巾の乱:太平道(道教の一派)の指導で農民反乱が起こる → 地方の軍閥(曹操・孫権・劉備など)が力を持ち、内乱が激化 📌 紀元3世紀(後漢の滅亡と三国時代の展開) 📌 220年(後漢の滅亡と魏の成立) → 後漢の最後の皇帝・献帝が、曹丕(曹操の子)に帝位を譲る → 曹丕が「魏」を建国し、後漢が正式に滅亡 → 三国時代へ突入(魏・呉・蜀の対立) →▲魏(曹操の子・曹丕が建国) →▲蜀(劉備が建国) →▲呉(孫権が建国) 📌 ✅238年(魏の朝鮮半島支配強化) → 魏(司馬懿)が遼東を支配していた公孫氏を討伐 → 朝鮮半島の楽浪郡・帯方郡を魏の直轄領とし、支配を強化 →📌 ✅239年(卑弥呼の魏への朝貢) → 邪馬台国の女王・卑弥呼が魏の明帝(曹叡)に使者を送り、朝貢 → 魏志倭人伝に記録が残る 📌 220年~280年(三国時代の展開) → 魏:最大勢力として北方を支配 → 呉:南方(江南)を支配し、南方へ進出(交趾・ベトナム支配) → 蜀:西方(四川省)を中心に独立王朝を築く → シルクロードの統制が困難になり、海上交易(✅海のシルクロード)が重要に 📌 265年~280年(西晋の建国と三国時代の終焉) →📌 265年:司馬炎(司馬懿の孫)が魏の皇帝から禅譲を受け、「西晋」を建国 →📌 280年:西晋が呉を滅ぼし、中国を統一 → 三国時代の終焉 📌 280年~316年(西晋の混乱と滅亡) → 国内で皇族同士の争い(八王の乱)が発生し、国力が低下 → その隙に異民族(五胡)が華北へ侵入し、晋は北方を失う(永嘉の乱) →📌 316年、西晋滅亡 → 華北は「五胡十六国時代」へ |
朝鮮半島 |
⬆️ 北部 (後漢→公孫氏→魏の支配下→高句麗の台頭)⬆️ 📌 1世紀頃 (高句麗の台頭) → 高句麗が満州南部・朝鮮半島北部で勢力を拡大 → 楽浪郡(中国の直轄地)に圧力をかけ始める 📌 2世紀初頭(公孫氏の支配) → 公孫氏(遼東の軍閥)が朝鮮半島北部を実質支配 → 楽浪郡の南部を分割し、新たに「帯方郡」を設置 → 楽浪郡と帯方郡は、公孫氏の勢力下に入る 📌 238年(魏の支配) → 魏(司馬懿)が公孫氏(遼東を支配中)を討伐 → 楽浪郡・帯方郡は魏の直轄領へ 📌 313年(楽浪郡の滅亡) → 魏の滅亡後、晋(西晋)の支配が弱まる → 高句麗が楽浪郡を滅ぼし、北部朝鮮の支配を確立 ⬇️ 南部 (高句麗・百済・新羅の三国時代へ移行する過渡期)⬇️ 📌 紀元1世紀(馬韓・弁韓・辰韓の発展) → 世紀頃:朝鮮半島南部では、馬韓・弁韓・辰韓が成長し、小国が集まる連合社会が形成 → 鉄の生産が盛んになり、日本(倭)や中国との交易が活発化 📌 紀元2世紀(伽耶の成長) → 弁韓を基盤に、鉄の交易を通じて✅伽耶が発展 → 倭(日本)との関係が深まり、鉄資源を提供 📌 紀元3世紀(百済・新羅の前身の登場) →📌 3世紀頃:馬韓から百済の前身 となる国が成長 →📌 3世紀後半:辰韓から新羅の前身 となる国が形成 📌 4世紀初頭 → 朝鮮半島の三国時代(高句麗・百済・新羅)へ |
インド |
📌 紀元1世紀(クシャーナ朝の繁栄) →📌 1世紀ごろ、中央アジアの遊牧民族の一派(大月氏)がインド北西部に進出 → クシャーナ朝を建国 →📌 2世紀前半カニシカ王が仏教を広め、ガンダーラ美術が発展 → シルクロードを通じて、中国(漢)やローマと貿易が活発に 📌 紀元3世紀(クシャーナ朝の衰退とグプタ朝の始まり) → クシャーナ朝が弱くなり、インド北部は小さな国に分かれる →📌 3世紀後半、グプタ朝(インド人の王朝)が勢力を強める → インドの文化(ヒンドゥー教・サンスクリット文学)が発展し始める |
オリエント |
📌 紀元1世紀(ローマとパルティアの対立) → ローマ帝国とパルティア(イランの王国)がオリエントの支配をめぐって争う → シルクロードを通じて、オリエントは中国(漢)やローマと交易をする 📌 紀元2世紀(ローマが最大の力を持つ) → ローマ帝国がオリエント西部を完全に支配 → パルティアはオリエント東部を支配し、ローマと戦い続ける → オリエントの都市(ペルセポリスやパルミラなど)が交易で栄える 📌 紀元3世紀(パルティアの滅亡とササン朝ペルシャの登場) →📌 224年:パルティアが滅び、ササン朝ペルシャ(新しいイランの王国)が誕生 → ササン朝はローマと戦いながら、オリエント東部を支配する →📌 3世紀後半:ササン朝ペルシャとローマ帝国が激しく戦争!(戦象も登場🐘⚔️) →📌 260年、ローマ皇帝ウァレリアヌスを捕虜に!😱(史上初の皇帝捕虜事件) → 戦争の長期化で陸のシルクロードが不安定に… 📌 3世紀後半(オリエントの変化) → ローマは西でゲルマン人、東でササン朝ペルシャと戦い、国が弱くなる → オリエントのシルクロード交易は続くが、戦争が増えて不安定になる → 海のシルクロード(インド → 東南アジア → 中国ルート)が活発化 |
ヨーロッパ |
📌 紀元1世紀(ローマ帝国の最盛期) →📌 紀元1年:ローマ帝国が地中海全体を支配し、平和な時代(パクス・ロマーナ)が始まる →📌 紀元43年:ローマがブリタニア(今のイギリス)を征服 →📌 紀元79年:ヴェスヴィオ火山が噴火し、ポンペイの街が埋もれる →📌 紀元96年~180年:五賢帝の時代(ローマ帝国が最も安定していた時期) 📌 紀元2世紀(ローマの黄金時代) →📌 紀元117年:ローマ帝国の領土が最大になる(トラヤヌス帝の時代) → ローマの文化が広まり、円形闘技場(コロッセオ)や水道橋が建設される 📌 紀元3世紀(ローマ帝国の危機) →📌 紀元235年~284年:「軍人皇帝時代」 → 皇帝が次々と殺され、ローマが不安定になる →📌 紀元250年頃~:ゲルマン人やペルシャ(ササン朝)がローマに攻めてくる →📌 紀元260年:ササン朝の王シャープール1世がローマ皇帝を捕らえる(ローマの大ピンチ!) →📌 紀元284年:ディオクレティアヌス帝が皇帝になり、ローマを立て直し始める → キリスト教徒が増加し、都市部で勢力を拡大(ただし迫害も続く) |
✅238年公孫氏が滅亡 → 239年倭国が魏に朝貢
→ タイミングが偶然とは考えにくいのでは❓
→ 公孫氏が滅亡するまで、魏と直接外交ができなかった❓
→ または、滅亡する前は、公孫氏が倭からの朝貢を受けていた❓
→『新撰姓氏録』 には、公孫氏(公孫淵)の末裔が「常世連」という氏族として日本に渡ったと記されている❗️
👑✅応神天皇以降で、史料の密度が上がる
→ かりに実在したとしても、4世紀末〜5世紀初頭の人物である可能性が高い
✅卑弥呼が死去したと思われる、247年に皆既日食😱
→ 卑弥呼の死後の内乱に影響を与えた可能性も…❓
🔍 西暦158年7月13日 → 奈良盆地などで部分日食を観測できた可能性がある
🔍 西暦247年3月24日 → 九州や出雲地方で「日没直前の皆既日食」 が発生
🔍 西暦248年9月5日 → 皆既日食ではないが、影響があった可能性
✅弁韓(後の伽耶)は製鉄と航海技術に優れた地域
→ 伽耶は「日本書紀では任那」という名称が使われている
→ 楽浪郡や帯方郡と九州をつなぐ交易の拠点
→ 金海市(伽耶の中心地)にある三千加尼島遺跡は日本の環濠集落と類似、弥生式土器と類似した土器も出土
✅海のシルクロードの起源(紀元前1000年~)
📌 紀元前1000年~600年
→ 南インドとスリランカの島民が、東南アジアとの貿易ネットワークを形成
→ インドから東南アジアに広がる
📌 紀元前500年頃
→ 南シナ海で交易が活発化!
→ オーストロネシア語族(海洋民族)がこのルートを支配
→ 弥生時代早期(稲作開始)とタイミングが一致
→「漂流 → 日本上陸 → そのまま住む」 ってこともあったかも😅❓
弥生時代の特徴
👉 人口の爆発的な増加(※ 数字は研究者によって若干の異説あり)
農耕の普及は比較的ゆっくり、人口は爆発的に増加
→ 稲作に伴う出生率向上だけでは説明できないのでは?
→ 弥生前期に渡来人が大量に移住した可能性は🤔❓
縄文時代後期(紀元前1000年頃) | 約8万人 |
弥生時代前期(紀元前10世紀頃) | 約60万人 |
弥生時代中期(紀元前5世紀頃) | 約100万人 |
弥生時代後期(紀元1世紀頃) | 約150~200万人 |
👉 渡来人(朝鮮半島や中国からの移民)がもたらした代表的な技術
稲作(水田農耕) | 長江流域(中国南部) → 朝鮮半島 → 九州北部 から徐々に広がった *菜畑遺跡・板付遺跡 |
✅環濠集落 | 環濠集落は、稲作とともに伝来! 周囲に堀を巡らせた集落 敵の侵入を防ぐ!水を確保する! 弥生時代の終わりには次第に消滅 |
金属器(✅青銅器・✅鉄器) | 鉄器は、実用品(農具・武器) 青銅器は、祭祀用として普及 |
紡織技術 | すでに麻織物は存在 地機(地面に座って使う手織機)の技術が渡来 *絹糸(蚕糸)は5世紀頃 |
👉 高床倉庫
📌縄文時代中期の遺跡からもすでに高床建築の痕跡が発見されている
→青森県三内丸山遺跡(縄文時代中期:紀元前3000年~2000年)で高床建物の遺構が発見
→富山県桜町遺跡(縄文時代中期末:紀元前2000年頃)で高床建物の建築部材が出土
弥生時代に入ると、湿気やネズミの被害を防ぐための穀物を蓄える倉庫として高床建物が普及
👉 土器のちがい
縄文時代の土器 | 弥生時代の土器 | 古墳時代の土器 |
縄文土器 | 弥生土器 | 土師器・須恵器 |
野焼き(600〜700℃) | 野焼きまたは覆い焼き(600〜800℃) | 土師器(600〜900℃) ✅須恵器(1000〜1200℃) |
✅須恵器は、5世紀頃に朝鮮半島から渡来した陶工によってもたらされ、高級品として普及
大型建物群の出現と環濠集落の消滅
環濠集落の代表例:吉野ヶ里遺跡(佐賀県)
→ 弥生時代前期(約2400年前)の早い段階からすでに形成され、徐々に拡大
→ 居住区・祭祀場・墓地などが区画化(階層社会の形成)
→ 激しい戦闘の痕跡も確認
→ 吉野ヶ里の中期集落では、青銅器鋳造のための坩堝や鞴、鋳型破片、銅滓が多数出土
・・・これらは半島由来とされる早期の金属加工技術で、渡来人技術者が生産を担ったと考えられる
環濠集落は、北部九州・瀬戸内海沿岸・近畿地方で特に多く確認されている
吉野ヶ里遺跡などで人骨に矢じりが刺さった痕跡や刀剣による切創痕が見つかる例はありますが、「何百体、何千体もの戦死者が集団埋葬されている」ような大量出土事例はほとんどありません
むしろ、各地で小競り合いや局地的な紛争が頻発し、それに備えて武器や防御施設を整える動きが広がっていた🤔❓
倭国大乱も、一つの大きな戦争というより、こうした地域ごとの争いが連鎖的に続いたものだったのかも🤔❓
大型建物群の代表例:纏向遺跡(奈良県)
→ 3世紀ごろの大規模な計画都市跡
→ 計画的な都市構造、大型建物群、道路、水路が整備
→ より組織化された統治が行われた
→ 各地の土器が出土(有力クニの統合拠点だった?)
→ 箸墓古墳(纏向遺跡内にある)が最古の前方後円墳の可能性が高い
・・・第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓とされている
弥生時代後期に有力な首長層がいた可能性が高いとされる推測される代表的な地域
▲九州北部(福岡・佐賀周辺)
▲畿内地方(奈良・大阪・京都周辺)
▲吉備地方(岡山県南部~広島県東部)
▲出雲地方(島根県東部)
▲尾張地域(名古屋周辺)
👉 大型建物群の出現と環濠集落の消滅(社会の変化)
- 稲作が広がり、集落が発展
→ 各地に「クニ(小国家)」が形成される - 資源や領地をめぐる争いが増加
→ 武器や防御施設として✅環濠集落が発展 - 地域ごとに強力なクニが誕生
→ ✅大型建物群の出現
→ 邪馬台国(卑弥呼)が登場するが、まだ統一国家とは言えず、「広域連合」的な支配状態 - 纏向遺跡(奈良県)の発展
→「邪馬台国=纏向遺跡」説もあるが未確定
→ 近畿地方を中心に、有力な首長層との連合政権を形成
→ 纏向遺跡(奈良県)がヤマト王権の初期の拠点
→ 計画都市的な構造 - 4世紀頃「クニ」から「国家」へ(古墳時代へ)
→「ヤマト王権」成立
→「大王(おおきみ)」が登場し、連合政権を形成
→ 統治形態が変化し、環濠集落は次第に消滅
→ 防御の必要性が低下し、より開かれた都市型の集落が発展
→ ✅前方後円墳の出現により、古墳時代の幕開け
青銅器
青銅器は主に銅鐸・銅剣・銅矛・銅鏡の4種類
→ 弥生時代の初期は、中国・朝鮮半島から輸入
→ 中期以降、日本独自のデザインのものを国内で生産
🗾 銅鏡 → 広範囲に分布(特に九州・近畿・東海地方)
🗾 銅剣 → 西日本(特に瀬戸内沿岸地域)が多い
🗾 銅矛 → 九州北部が多い
🗾 銅鐸 → 近畿地方が多い
💡銅剣・銅矛・銅鏡
→副葬品として墓に納められることが多い(個人の祭祀・権威の象徴)
💡銅鐸は謎が多い
1. 日本独自の青銅器 ▲中国・朝鮮半島には類似するものがほぼない(銅剣・銅矛・銅鏡とは違う) ルーツは日本の土製の鈴や祭祀道具に、青銅器技術が加わった? |
2. 形と用途の変化 ▲最初は「鳴らす道具(楽器)」だったが、大型化し「見るもの」に変化 初期は音を鳴らして使われたが、後期になると装飾が施され、儀礼的な意味が強まった? |
3. 扱い方の違い ▲副葬品にならず、集落から離れた人目につかない場所に埋められることが多い →「村の共有財産」だった? |
4. 突然の消滅 ▲弥生時代の後期になると、銅鐸は埋められたり、壊されたりして使われなくなる → 祭祀の形が変わった?何かの理由で意図的に廃棄? |
鉄器
弥生時代から古墳時代への移行期において、鉄はクニの形成と国家の成立に不可欠な要素
東日本(特に関東地方)は、西日本よりも鉄器の普及が遅れた
→ 弥生時代前期は日本国内では生産されていなかった
→ 中期以降、鉄素材を朝鮮半島などから輸入して加工をしている
→ 鉄の加工は、西日本が先行していたが、後期には関東地方でも痕跡がみられる
鍛冶作業の跡の遺跡例
→ ▲福岡県(赤井手遺跡)
→ ▲長崎県壱岐島(原の辻遺跡・カラカミ遺跡)*壱岐島は「一支国」と呼ばれた島
→ ▲鳥取県(妻木晩田遺跡)
→ ▲岡山県(新市谷遺跡・窪木薬師遺跡)
→ ▲徳島県(加茂宮ノ前遺跡)
→ ▲淡路島(五斗長垣内遺跡・舟木遺跡)
→ ▲愛知県(新谷赤田遺跡)
→ ▲神奈川県(倉見才戸遺跡)
弥生時代中期(紀元前3〜2世紀ごろ)から、本格的に鉄が入ってきた
・・・中国東北地方で作られた「二条突帯斧」という鋳造鉄斧が、朝鮮半島南部を通じて北部九州へ
→ 北部九州は受け入れ口(玄関口)
・・・吉野ヶ里遺跡などでは大量の鉄器が出土、鉄素材を使って自前で鉄器を作り始めた痕跡
→ 日本海ルートが存在した
・・・韓半島南部 → 北部九州 → 山口(響灘)→ 出雲・伯耆・丹後 → 北陸という日本海沿岸を通るルートが、近年の研究で明確に指摘されている
→ 鉄素材は北部九州だけでなく、日本海側からも流入した可能性が高い
・・・北陸地方や山陰地方の遺跡でも、弥生中期以降に大陸系文化の痕跡が確認されている
・・・八日市地方遺跡(石川県小松市)
・・・四隅突出型墳丘墓(出雲地方)
→ 玉の流通ネットワークが、鉄の流通とも重なっていた可能性も
・・・北陸の翡翠の勾玉作りと交易(玉の道)
・・・鉄製工具はその玉づくりにも使われていた
👉 翡翠の勾玉
→ 縄文時代から糸魚川産の翡翠(硬玉)を加工
→ 弥生時代には形が洗練され、勾玉(C字形の装飾品)として定着
→ 日本で産出されるのは「硬玉」のみで、糸魚川(新潟県)が唯一の産地
→ 弥生時代~古墳時代にかけて稀少な素材である翡翠は交易・信仰・権力の象徴
弥生時代の終わりに近づくと、各地でクニ(小国家)が発展し、争いも激しくなった
次第に、より強い勢力が他のクニをまとめ、強大な連合国家へと成長していく
やがて、王や地域を支配する首長層が権力を示すために巨大な墓(前方後円墳)を築くようになり、古墳文化へと移り変わっていった
弥生末期(大型方形周溝墓)→ 古墳前期(初期前方後円墳)