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平岡公主(ピョンガン)と温達(オンダル)は実話?『王女ピョンガン』の元ネタを解説

この記事の結論

  • ピョンガン(平岡公主)とオンダル(温達)は、高句麗の歴史書『三国史記』に載っている人物
  • 温達は実在の将軍と考えられているが、「バカと呼ばれた男が王女に育てられる」部分は、伝説として脚色されている可能性が高い
  • 韓国では日本の「桃太郎」くらい誰もが知る昔話
  • 2人が生きたのは、高句麗が隋・唐との大戦争に巻き込まれる直前の時代

韓国ドラマ『王女ピョンガン 月が浮かぶ川』や『マイ・オンリー・ラブソング』を見て、「これって本当にあった話?」と気になった人も多いのではないでしょうか。

この記事では、ドラマの元ネタになった「平岡公主(ピョンガンコンジュ)と温達(オンダル)」のお話を、史実と伝説に分けてやさしく解説します。

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ピョンガンと温達は実在した?

結論から言うと、2人とも歴史書に名前が残っている人物です。

出典は、12世紀に高麗で作られた歴史書『三国史記(さんごくしき)』。この本の「列伝(れつでん)」という、有名人の伝記をまとめたコーナーに「温達伝」があります。

ただし、ここが大事なポイントです。

史実の可能性が高い伝説っぽい部分
温達高句麗の将軍として戦い、戦死した「バカの温達」と呼ばれていた
ピョンガン平原王の娘だった王宮を飛び出し、貧しい温達に自ら嫁いだ
結末新羅との戦いで亡くなった棺が動かず、王女の声で動き出した

たとえるなら、実在の人物に「おとぎ話の衣装」を着せたお話。将軍・温達は本当にいた人物ですが、出会いのエピソードや最期の場面は、語り継がれるうちにドラマチックになっていったと考えられています。

研究者の中には、温達はもともと身分の低い地方の出身で、それが「バカ」という呼び名につながったのでは、と考える人もいます。

元ネタ『三国史記』温達伝のあらすじ

ドラマの元になったお話を、5つの場面で見てみましょう。

①「バカの温達に嫁にやるぞ」

6世紀の後半、高句麗の平原王(へいげんおう)には、よく泣く娘がいました。王は娘が泣くたびに「そんなに泣くと、バカの温達に嫁にやるぞ」とからかいます。

温達は、目の見えない母を養うために物乞いをしていた貧しい若者。町の人から「バカの温達」と呼ばれていました。

②王女、王宮を飛び出す

王女が数え16歳になったころ、王は名門の貴族との縁談を決めます。ところが王女は「王様は嘘をついてはいけません。私は温達に嫁ぎます」と言い張り、怒った王に追い出されてしまいます。

王女は金の腕輪を持って王宮を出て、温達の家を訪ねました。

③王女が温達を育てる

王女は腕輪を売ってお金に換え、家や田畑を整えます。

馬を買うときには「国の馬で、病気でやせて売りに出された馬を選んで」と温達に頼みました。王女はその馬を大切に育て、たくましい名馬に変えたといいます。目利きと育てる力、どちらも王女の才能だったわけです。

④温達、将軍になる

毎年春に行われる国の狩りの大会で、温達は誰よりも多くの獲物をしとめ、王の目にとまります。その後、中国の北周という国が攻めてきたときには先頭に立って活躍し、王に「私の婿だ」と認められました。

⑤棺が動かない

平原王が亡くなり、次の嬰陽王(えいようおう)の時代。温達は「新羅に奪われた土地を取り戻すまで帰りません」と誓って出陣し、阿旦城(あたんじょう)という城の近くで、矢に当たって亡くなります。

ところが、温達の棺はどうしても動きません。王女がかけつけて棺をなで、「生死はもう決まりました。さあ、帰りましょう」と語りかけると、ようやく棺が持ち上がった……という結末です。

韓国では「桃太郎」級の昔話

このお話は、韓国では日本の「桃太郎」と同じくらい有名です。

  • 子ども向けの絵本や教科書でおなじみ
  • 「바보 온달(バボ・オンダル=おバカの温達)」と言えば、誰でもピンとくる
  • 温達ゆかりの地とされる丹陽(タニャン)には「温達山城」があり、観光地になっている

日本の桃太郎が「鬼退治」で語られるように、韓国では「バカと呼ばれた男が、王女のおかげで英雄になる」話として親しまれています。

さらにおもしろいのが「平岡公主コンプレックス」という言葉。頼りない男性を、自分の手で立派に育てたいと思う女性の心理を指す言い回しで、日常会話にも登場します。昔話が、今でも生きた言葉として使われているんですね。

ちなみに韓国には、ほかにも「王女が身分や国の壁を越える恋」の昔話があります。百済の若者が歌の力で新羅の王女を手に入れる『薯童謠(ソドンヨ)』もそのひとつです。

善花公主(ソンファ姫)は実在した?『花郎』から『薯童謠』へ、新羅の姫と百済王の因縁ドラマ『薯童謠(ソドンヨ)』で、百済の王子チャンと恋に落ちる新羅の姫ソンファ。 「敵国どうしの恋なんて、本当にあったの?」と気になった方へ。 この記事では、善花…

2人が生きたのは「嵐の前」の高句麗

ピョンガンの父・平原王(在位559〜590年)の時代、中国はまだ北と南に分かれていました。高句麗は北の国々と張り合いながらも、まだまだ元気だった時代です。

ところが平原王の晩年、589年に隋(ずい)が中国を統一します。巨大な隣人が生まれたことで、高句麗の運命は大きく動き始めました。

時代高句麗のできごと
平原王(ピョンガンの父)隋が中国を統一。都を守りやすい平壌の新しい城へ移す
嬰陽王温達が戦死。このあと隋の大軍が何度も攻めてくる
その後唐との戦いが続き、668年に高句麗は滅亡

ピョンガンと温達の物語は、大戦争が始まる直前の、ひと組の夫婦の物語。そう思って読み返すと、最後の「さあ、帰りましょう」の一言が、より切なく響きます。

高句麗の王たちの流れは、こちらの記事でまとめています。

高句麗の歴代王 全28代一覧|建国から滅亡まで韓国時代劇『朱蒙』『太王四神記』を観ていて、「この王様、何代目?」「広開土王って、いつの人?」と気になったことはありませんか。 高句麗は、紀元前37年から668…

まとめ

  • ピョンガンと温達は『三国史記』に載る人物。温達は実在の将軍と考えられる
  • 「バカの温達」や「動かない棺」は、伝説として脚色された部分と考えられる
  • 韓国では桃太郎級の有名な昔話で、「平岡公主コンプレックス」という言葉まである
  • 2人が生きたのは、高句麗が隋・唐との大戦争に向かう直前の時代

ドラマを見たあとに元ネタを知ると、同じ場面がまた違って見えてきます。ぜひもう一度、2人の物語を楽しんでみてください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍵