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朝鮮王朝実録とは?王でも見られない記録の仕組みと史官の役割をわかりやすく

韓国時代劇を観ていると、王さまのそばで、黙々と筆を走らせている人がいませんか?

あの人たちは「史官(しかん)」。王の言葉も、ふるまいも、ぜんぶ書き留める記録係です。そして、その記録は、王さま本人でさえ見ることができませんでした。

この記事では、その記録『朝鮮王朝実録』がどんな仕組みで作られ、なぜ今まで残ったのかを、ドラマ好きの目線でまとめます。

ひと目でわかる『朝鮮王朝実録』

  • 朝鮮王朝の初代・太祖から25代・哲宗まで、約470年分の記録
  • 王が亡くなるたびに、その王の時代を1年ずつ、日付順にまとめたもの
  • 書いたのは、王のそばに控える「史官」
  • 王は、自分の記録を見ることができない決まりだった
  • ユネスコの「世界の記憶」に登録されている
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朝鮮王朝実録ってなに?

ひとことで言うと、国が作った「王さまの業務日誌」の総まとめです。

王が亡くなると、次の王の時代に専門の役所が作られ、前の王の在位中の出来事を、日付順に1冊にまとめます。政治の会議、外国からの使者、天気や災害、事件まで、ありとあらゆることが書かれています。

これを初代から25代まで積み重ねたのが『朝鮮王朝実録』です。

ドラマで「実録によると…」というナレーションが入ったり、「この場面は実録に残っている話」と紹介されたりするのは、この記録のことなんですね。

王のそばには、いつも史官がいた

実録のもとになるのは、史官がその場で書いた記録です。

史官は、ふだん8人ほどの若い役人。王と臣下の会議には、必ず同席して書き留めました。

たとえるなら、王さま専属の、口出しできない書記係。

王が何を言ったか、臣下がどう答えたか。王にとって都合のいいことも、悪いことも、そのまま書きます。

史官たちは「もっといろんな場に立ち会わせてほしい」と、何度も王に求めていました。記録に残らない場所で、大事なことが決まってしまうのを防ぐためです。

王が記録を見られない仕組み

史官の記録が、王の手で書き換えられないように、こんな流れになっていました。

  1. 書く:史官が、会議の場で書き留める(この下書きを「史草(しそう)」といいます)
  2. しまう:史草は、史官が自分の家で保管する。王には見せない
  3. まとめる:王が亡くなってから、次の代に史草を集めて実録を作る
  4. 消す:実録ができたら、史草は川の水で洗って文字を消す(これを「洗草(せそう/セチョ)」といいます)

ポイントは、実録ができるのは「王が亡くなったあと」ということ。王は、生きているあいだに自分の記録を目にすることがありません。

そして4の「洗って消す」は、誰がどんなことを書いたかがわからないようにするため。書いた史官が、あとで仕返しされないように守る工夫でした。

ルールを守った王、破った王

「史官に知らせるな」も書かれた太宗

3代目の王・太宗が、狩りの最中に馬から落ちてしまったことがありました。

太宗はとっさに、「史官に知らせるな」と言ったそうです。

ところが実録には、落馬したことも、「史官に知らせるな」という言葉まで、しっかり書かれています。

見たくても、あきらめた世宗

ハングルを作った名君・世宗は、父・太宗の実録を見たいと言ったことがあります。

でも臣下たちは「王が実録を見れば、のちの王も見るようになり、史官は本当のことを書けなくなります」と止めました。世宗は、これを受け入れてあきらめています。

記録に手を出した燕山君

いっぽう、10代目の燕山君は、ルールを破ってしまった王です。

前の王・成宗の実録を作っている最中、ある史官の下書きに、王家を批判していると読める文章が見つかりました。燕山君はこれをきっかけに、その史官や仲間の学者たちを厳しく処罰します。1498年の「戊午士禍(ぼごしか)」です。

「王が記録の中身を知ると、何が起きるか」。燕山君の事件は、なぜ王に見せてはいけないのかを、皮肉にも証明してしまいました。

ちなみに、燕山君の時代の記録は「実録」ではなく「燕山君日記」と呼ばれています。王の座を追われた王は、実録を名乗れなかったんですね。

番外編:父の記録を消してもらった正祖

正祖は王になる直前、父・思悼世子の事件の記録を『承政院日記』から洗い流してもらっています。ただ、それでも実録には、その事件がしっかり残りました。

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高麗にも実録はあった?

実は、朝鮮王朝のひとつ前の高麗にも、実録がありました。

ところが、11世紀のはじめ、北の契丹が攻めてきて都が落ち、それまでの記録が焼けてしまいます。8代目の王・顕宗は、残った資料や人の記憶をたよりに、太祖からの記録を作り直させました。

顕宗と契丹の戦いは、ドラマ『君臣~不屈の誓い~』で描かれています。

君臣~不屈の誓い~(高麗契丹戦争)は実話?史実との違いと実在人物を解説『君臣~不屈の誓い~』を見終わって、「この人って本当にいたの?」「どこまでが史実?」と気になっていませんか? 実はこのドラマ、『麗~花萌ゆる8人の皇子たち~』の…

それでも高麗の実録は、のちの戦乱でぜんぶ失われてしまいます。

だから今、高麗の歴史を知るには、朝鮮王朝の時代にまとめられた『高麗史』という本にたよるしかありません。

実録が今まで残った理由

高麗の実録は消えたのに、朝鮮の実録はなぜ残ったのでしょうか。

答えは、同じものを何冊も作って、別々の場所にしまったからです。

朝鮮王朝は、実録を何部も作り、都と地方の「史庫(しこ)」と呼ばれる書庫に分けて保管しました。

それでも、1592年に始まった豊臣秀吉の朝鮮出兵(壬辰倭乱)で、ほとんどの史庫が焼けてしまいます。焼け残ったのは、全州(チョンジュ)の史庫の1部だけ。地元の学者たちが、自分たちのお金を使って、実録を山の中へ運び出して守ったのです。

戦いが終わると、朝鮮はこの1部をもとに写しを作り直し、今度は攻められにくい山の中に書庫を作って分けて保管しました。

たとえるなら、大事な写真のバックアップを、何か所にも分けて取っておいたようなもの。1か所が燃えても、どこかが残る。高麗との違いは、ここにありました。

ドラマで「実録」と「史官」を楽しむ

王さまの後ろで筆を走らせている人を見かけたら、「この人の書いたことは、王さまでも見られへんのやな」と思い出してみてください。きっと、その場面の緊張感が変わって見えますよ😊

作品見どころ
史官は論ずる1話完結。若い史官と、父の記録を消そうとする王世孫(のちの正祖)の対決。
新米史官ク・ヘリョン史官が主人公。王のそばで記録する仕事ぶりが描かれる(女性の史官はドラマの創作)

最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍵