【安東・実録】河回村と1000年前の決戦地|静かな韓国を歩いてみた

以前、【旅行ガイド】儒教の聖地に眠る「高麗再建」のドラマ | 安東で見つける逆転の足跡という記事で、安東の歩き方を計画していました。

そして——実際に、行ってきました!

安東は、韓国でも「儒教文化の本場」として知られる歴史都市です。

世界遺産の伝統集落、高麗の王様が書いた文字、そして「安東」という地名が生まれた、まさにその場所。さらには「あえて公園でおにぎり」という、思いがけない一人旅の醍醐味まで──盛りだくさんの一日を、時系列でお届けします。

📍この日のルート
ソウル清涼里駅(KTX 6:27発)→ 安東駅(8:30着)→ 河回村(午前)→ 映湖楼(午後)→ 太師廟(午後)→ 雄武公園(夕方)

ソウルから2時間、KTXで歴史の都へ

AD – 読み進める前のひとやすみ

朝5時、まだ薄暗いソウルのコンビニで水とパンを買って、清涼里(チョンニャンニ)駅へ。6時27分発のKTX-イウムに乗り込みます。日本の新幹線にあたる韓国の高速鉄道ですが、車内はゆったりしていて、窓の外を流れる景色を眺めているうちに、あっという間に2時間で安東駅に到着しました。

ソウルから一歩外に出ると、空気が変わります。空が広い。山が近い。「ここから先は、ガイドブックに載っていない韓国だ」──そんなワクワク感を胸に、いよいよ安東歴史巡りのスタートです。

世界遺産・河回村(ハフェマウル)|行きも帰りも、なぜか閉まってたお店たち

AD – 読み進める前のひとやすみ

安東駅からバスに揺られて約50分、河回村(ハフェマウル)の入口に到着します。ここは朝鮮王朝時代の伝統的な集落がそのまま残る世界遺産で、茅葺き屋根や瓦屋根の古い家屋が今も普通に人が暮れしている、奇跡のような場所です。

入口エリアは、まるで遊園地のゲート前

バスを降りてまず驚いたのは、村の入口エリアは、遊園地の入場ゲート前のような雰囲気

でも──ぜんぶ閉まってる

あれ?まだ朝早いから?平日だから?理由はわからないまま、「帰りには開いてるかな」と思いつつ、村の本体へ向かいます。

T-moneyをかざそうとしたら…まさかの無料バス

入場券売り場で入場料5,000ウォンを払うと、村の入口までは無料のシャトルバスが出ているとのこと 。やってきたバスが、見た目は完全に「普通の路線バス」。あちこちで活躍中の韓国の交通系ICカード「T-money(ティーマネー)」を握りしめて、習慣で運転席横のカードリーダーにかざそうとしたら──運転手さんに「いや、それ要らないよ」みたいな顔で軽く手を振られたのです。

えっ、無料なの?普通のバスなのに?

💡 地味に覚えておきたい豆知識
河回村のシャトルバスは入場料に含まれているので、別途支払いは不要。でも見た目が普通の路線バスで、カードリーダーもついてました。

時間が止まった、本当の集落

バスで5分ほど揺られて、いよいよ河回村の中心部へ。瓦屋根の両班屋敷、茅葺き屋根の庶民の家、土塀に囲まれた細い路地──そこには「観光地として整備された風景」ではなく、500年前から続く時間そのものが流れていました。

家々の間を歩いていると、洗濯物が干してあったり、犬が寝そべっていたり。「ここ、本当に人が住んでるんや…」という素朴な驚きが、じわじわ込み上げてきます。世界遺産でありながら、いやだからこそ、観光客向けの過剰な演出がないことが、かえって深い感動を呼ぶ場所でした。

川の向こうに見える絶景スポット「芙蓉台(プヨンデ)」の罠

村の中を歩いていると、川のすぐ向こうに切り立った断崖が見えてきます。これが、河回村を一望できると有名な絶景スポット「芙蓉台(プヨンデ)」です。

⚠️ 河回村と芙蓉台の間に橋はありません移動手段は「渡し船」か「タクシー」の2択

① 渡し船ルート

村の端にある松林(万松亭/マンソンジョン)前の砂浜から小さな渡し船で対岸へ渡り、そこから徒歩10分ほど登ると芙蓉台に到着します。

💡 渡し船の落とし穴
天候・川の水位・観光客の多さによって予告なく運休になります。しかも「船着き場」と言ってもただの砂浜なので、運休時は看板も貼り紙もなく、「あれ?船は?」と途方に暮れることに。

② タクシー(車)ルート

船が動いていない場合は、川をぐるっと大きく迂回して車で約15分、裏側の駐車場へ向かいます。

💡 タクシーの落とし穴
村の中にはタクシーがいません。一度シャトルバスで村の入口(チケット売り場・市場付近)まで戻ってから乗る必要があります。つまり、村の中で「船ダメだ!じゃあタクシーで」と思っても、その場では捕まらないんです。

もしこれから行かれる方は、村に入る前に、入口の観光案内所で「今日の渡し船は動いていますか?」を必ず確認することをおすすめします。もし運休なら、その場でタクシー移動に切り替える判断ができるので、貴重な時間を無駄にせずに済みます。

私は、今回はあきらめました😓

私は次の予定(午後の映湖楼・太師廟巡り)が詰まっていたこともあり、今回は芙蓉台を一望することをあきらめました。心の中で「またね」とつぶやいて、帰宅後にGoogleアースで一望(笑)

©Google

帰り道、再び「閉まったお店たち」とのご対面

シャトルバスで入口エリアへ戻ってきたのときもーーまだ、閉まってる

行きに閉まっていたお店が、帰りもまだ全部閉まってる。「えっ、なんで〜!?」と心の中でツッコミながら、結局この日のランチは安東市内へ移動してから探すことに。

後で調べたところによると、河回村の入口エリアのお店は団体ツアー客の到着時間に合わせて開くらしく、個人旅行者がふらっと立ち寄った時間帯は閉まっていることも多いとか。これも地方旅のリアル、覚えておきたい教訓です。

映湖楼(ヨンホル)で出会った、3人の巨人の文字

AD – 読み進める前のひとやすみ

河回村から安東市内へ戻り、午後は街の中心部にある映湖楼(ヨンホル)へ向かいました。安東を流れる洛東江(ナクトンガン)のほとりに立つ、伝統的な木造の楼閣(ろうかく)です。

安東のバスは「日本の感覚」だと痛い目に遭います

安東の路線バスは、日本のバス感覚で乗ろうとすると本当に痛い目に遭います。私、ばっちり経験しました。

⚠️ 地方の路線バス、2つの落とし穴

① 降りるとき:ブザーを押しても、悠長にしてたら通り過ぎる
日本のバスは、ブザーを押せば必ず次のバス停で止まってくれて、立ち上がるのもゆっくりで大丈夫。でも安東のバスは、ブザーを押しても「降りる気配がないと判断されたら、そのまま通過されることがあります。私はこれで一回、目的のバス停を通り過ぎられました…。ブザーを押したら、すぐに席を立って、降車口の近くまで移動する。

② 乗るとき:バス停にいるだけじゃ止まってくれません
日本だと、バス停に立っていればバスは必ず止まってくれます。でも安東では、「タクシーを呼び止めるくらい、しっかり手を挙げてアピール」しないと、そのまま通過されることがあります。立っているだけだと「あの人は別のバスを待ってる」と判断されるみたいです。

ソウルではそこまで気にならなかったので、完全に油断していました。地方都市のバスは、能動的に「乗ります!」「降ります!」とアピールする乗り物でした😆

坂を登って辿り着いた映湖楼、第一印象は…

そんなバスとの戦いを経験して、最寄りのバス停の一駅先のバス停から💦映湖楼へ。ここで地味に追い打ちをかけてきたのが──けっこう急な坂道でした。

ちょっとばてぎみで、息を切らしながら辿り着いた映湖楼。正直、最初の感想は──「あれ?イメージと違うなぁ、これだけ?」。実物は思ったよりこぢんまりとした楼閣。「坂を登ってきた疲れに見合うほどか…?」と、ちょっと拍子抜けしたのが本音でした。

でも──ここで起きたたった15分の出会いが、私の安東旅を、忘れられないものに変えてくれたのです。

扁額がいくつもある。でも、誰が書いたものかわからない

映湖楼の建物には、いくつもの扁額(へんがく=建物に掲げられた文字の額)が掲げられていました。

「これ、なにかな?誰が書いたんやろ…」

説明書きはあるけれど、もちろん全部ハングルと漢字。じっと見上げて首をひねっていたところに、声をかけてくれたのが──偶然居合わせた、現地の韓国人ご夫婦でした。

Google翻訳越しの、15分間の歴史ガイド

言葉は通じません。でも、ご夫婦はなにか説明してくれてるんです。そこで、スマホを取り出して、Google翻訳越しに会話がはじまりました。

ご夫婦が説明してくれた扁額──韓国史に名を残す「3人の巨人」の文字が無造作に掲げられてたんです。

巨人①|恭愍王(コンミンワン)の直筆扁額

🏛️ 恭愍王(在位 1351–1374)
韓国時代劇『シンイ-信義-』などで登場する、高麗王朝の第31代国王。モンゴル支配からの脱却を目指し、激動の時代を生きた改革派の王様。

当時、高麗は「紅巾の乱」という、中国から押し寄せた農民反乱軍の大軍に攻め込まれ、首都・開京(ケギョン)が陥落寸前という大ピンチに陥っていました。王様は命からがら都を脱出し、たどり着いたのが、この安東だったのです。

逃げてきた王様を、安東の人々は温かく迎え、食事を出し、安全な場所を提供した。やがて反乱が収まり、無事に都へ戻れることになった王様は、「この恩は一生忘れない」と、感謝の気持ちを込めて自ら筆を執り、「映湖楼」という文字を贈ったのです。

巨人②|鄭道伝(チョン・ドジョン)の詩

📜 鄭道伝(1342–1398)
韓国時代劇『六龍が飛ぶ』の主人公の一人、高麗末期〜朝鮮王朝建国期の天才政治家・思想家。朝鮮王朝の制度設計者であり、首都・漢陽(現ソウル)の都市設計を手がけた人物。

さらに彼は政治家であると同時に、現在のソウル(当時の漢陽)の都市そのものを設計した天才でもあります。景福宮の位置、城門の配置、街路の構造──私たちが今ソウルを歩くたびに目にしているあの都市の骨組みは、すべて鄭道伝の頭の中から生まれたものなのです。

鄭道伝(チョン・ドジョン)が、安東の景色を眺めながら詠んだ詩が刻まれた扁額。

巨人③|朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の直筆

🇰🇷 朴正煕(1917–1979)
韓国第5〜9代大統領。急速な経済成長を主導し、近代韓国の礎を築いた人物。

ぐっと時代が下って20世紀。近代韓国の礎を築いた朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の直筆による扁額です。

もしあの15分がなかったら、私は、高麗の王様、朝鮮王朝の建国功臣、そして現代韓国を作った大統領。650年の時を超えて、3人の「韓国を動かした人物」の文字が、一つの建物に並んでいることを知らずに「扁額がいっぱいあるなぁ」と思っただけで、映湖楼を後にしていたでしょう。──名前も知らないあのご夫婦に、心からの感謝です。

【豆知識】掲げられている扁額は、レプリカ

映湖楼に掲げられている扁額や詩板は、すべて精巧に作られたレプリカ(複製)です。

🌊 何度も洪水に流された楼閣
洛東江のすぐそばにある映湖楼は、朝鮮王朝時代から1930年の大洪水まで、何度も建物ごと流される運命をたどってきました。今ある建物は、その後高い場所(安全な場所)に再建されたもの。

📜 時代が入り混じった空間
昔の映湖楼は、王様や著名な儒学者、地域の役人たちが集まって景色を愛で、詩を詠み合う一大社交スポットでした。「〇〇先生が訪れた記念」「建物を修理した記録」など、何百年もの歴史の足跡を、再建の際にあえて一箇所にギュッと集めて掲げた──だから現代の私たちには、時代が入り混じった空間に見えるんですね。

つまり目の前にある扁額は「本物そのもの」ではないけれど──650年の時を超えて受け継がれた『記憶の集合体』。本物が大切に守られているからこそ、私たちは今、こうして当時の文字の形を、間近で見ることができるのです。

太師廟(テサミョ)|「安東」という地名が生まれた場所

AD – 読み進める前のひとやすみ

次に、向かったのは太師廟(テサミョ)。安東市内にひっそりと佇む、静かな廟(びょう=功績ある人物を祀る建物)です。

正直、観光地としては地味な場所です。観光客もまばらで、案内表示も控えめ。でもここは、安東という街の名前そのものが生まれた、まさに「原点」と言える歴史的聖地。これを知らずに帰るのは、あまりにももったいない場所でした。

1000年前、ここで天下分け目の大決戦があった

時は、今からおよそ1100年前。高麗王朝が建国される直前の、激動の時代です。

当時の朝鮮半島は、新羅(シルラ)王朝が衰え、後三国時代と呼ばれる戦国乱世のまっただ中。「高麗の王・王建(ワンゴン)」「後百済の王・甄萱(キョンフォン)」という二人の英雄が、半島の覇権をかけて激しく争っていました。

そして西暦930年、安東の古昌(コチャン)の地で、両軍が正面から激突。この戦いの行方が、その後の朝鮮半島の歴史を決めることになりました。

命がけで王様を助けた、3人の地元有力者

この決戦のとき、地元・安東の有力者だった3人の人物が、高麗の王・王建のもとへ駆けつけました。

──金宣平(キム・ソンピョン)、権幸(クォン・ヘン)、張貞弼(チャン・ジョンピル)

3人は地元の地理を熟知し、私財を投げ打って兵を集め、命がけで王建軍に協力。その結果、王建は古昌の戦いで大勝利を収め、半島統一への大きな一歩を踏み出すことになります。

もし3人がいなかったら、この戦いの結果は違っていたかもしれない。高麗王朝そのものが成立しなかった可能性すらある──それくらい、決定的な働きだったのです。

王様からの贈り物は、「街の名前」だった

大勝利を収めた王建は、命がけで助けてくれた3人の地元有力者に、最大の感謝を伝えるための特別な贈り物を考えました。金一封でも、領地でも、官職でもない。もっとずっと、永遠に残るもの

王建は、東方地域の安定に貢献した3人の豪族の功績を称え、この古昌の地に「安東(東を安んじる地)」と呼ぶようになりました。

太師廟は、安東という街が生まれた瞬間を祀る場所

そして3人の英雄は、後に「太師(テサ)」という最高位の官職を贈られ、その功績を永遠に讃えるために建てられたのが──太師廟です。そしてこの3人は、現代の韓国でも非常に大勢いる「安東金氏」「安東権氏」「安東張氏」の始祖(ご先祖さま)になりました。

太師廟は単なる古い遺跡ではなく、今でも現役のコミュニティ施設で、年に数回、全国から「安東金氏」「安東権氏」「安東張氏」の末裔たちが、この自分の名字が書かれた部屋に集まり、合同で盛大な祭祀(チェサ)を行うそうです。

太師廟は、1592年の文禄・慶長の役(壬辰倭乱)や、1950年の朝鮮戦争で激しく焼失するという受難を経験しました。 そのたびに、金氏・権氏・張氏の子孫たちが力を合わせ、資金を出し合って再建してきました。 この板には、リレーのように受け継がれてきた再建の歴史と、協力した子孫たちの名前が刻まれています。

太師廟は、単なる観光地というより、3つの一族にとっての「巨大な本家の総本山」のような場所で、韓国ではこうした「同じ始祖を持つ一族の結びつき」が、今も非常に大切にされているんですね。

「太極(テグク)」の模様が描かれた門は「結界」!?

太師廟だけでなく、こうした「太極(テグク)」の模様が描かれた門をよく見かけました。

赤と青が渦を巻くこの模様は、韓国国旗にも使われている「太極文様」相反するもの(陰陽)が調和しながら循環するという、東アジアの思想を表しています。

「悪い気を追い払い、建物の中に調和と平和をもたらす」という魔除け(守護)の意味が込められていて。「結界」のような雰囲気もあり、こうした門を見るたびに、「ここは特別な空間なんだな」と感じさせられました。

※黄色を加えた「三太極(サムテグク)」という3色の渦巻きが使われることもあります。

夕暮れの雄武公園にて|おにぎりと、一人旅の自由

AD – 読み進める前のひとやすみ

太師廟で安東の歴史にどっぷり浸かり、気がつけば夕方。「さて、今日は安東名物でも食べて締めくくろう」──そう意気込んでいた私を待っていたのは、地方の一人旅ならではの、ちょっとほろ苦い現実でした。

「おひとり様、お断り」の洗礼

安東といえば、「安東カルビ」や、甘辛い鶏の煮込み料理「安東チムタク」が有名です。 せっかくなら本場で味わいたい──そう思って店を探したのですが、ここでまさかの「おひとり様、お断り」の洗礼💧

さらに、夜のライトアップが美しい韓国最長の木造歩道橋(387m)「月映橋(ウォリョンギョ)」の近くには、安東名物「ホッチェサパプ」の人気店もあります。

「じゃあ、そっちへ行ってみよう!」

バスの壁、そして「もう、おにぎりでいっか」

……と思って調べてみたら、徒歩だと1時間以上。 しかも地方都市らしく、バスの本数が少ないく、帰りのパスがない!! だんだん面倒になってきて、

「……もう、公園でおにぎりでいっか!」と、完全に気持ちが切り替わりました(笑)

コンビニでおにぎりを買い込み、向かったのは雄武(ウンム)公園。
韓国式の縁側のような空間には自由に腰掛けることができ、心地よい夕方の風を感じながら、のんびりと夕食タイムです。

でも、これが──不思議と、悪くなかったのです。

誰にも気を遣わず、自分の体調とペースに合わせて、静かに胃を休める。 木々のあいだを抜ける風。傾きはじめた夕日。

そして、いつも“一か八か”で選ぶコンビニおにぎりの具が、まさかの大当たり(笑)

「あぁ、これはこれで最高に贅沢な時間やなぁ」そんなことを、しみじみ思いました。

豪華な名物料理ではなかったけれど、旅の終わりにこういう時間がいちばん記憶に残るのかもしれません。


安東は、「見る観光地」というより、「空気を感じる街」でした。

ソウルから早朝のKTXに飛び乗って始まった、安東の一日。振り返ってみると、計画通りにいかないことの連続でした。

河回村のお店は行きも帰りも閉まっていて、芙蓉台の絶景はあきらめ、バスでは一駅先で降りるはめになり、夕食は安東カルビどころかコンビニおにぎり。ガイドブック的な「完璧な観光」とは、正直ほど遠い一日だったかもしれません。

でも、計画通りにいかなかったからこそ、風の匂いや、夕暮れの空気、静かな時間の流れが、より深く心に残った気がします。

そんな、不思議と忘れられない安東の一日でした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
おつかれさまでした 🍵

スポンサーリンク