【慶州・実録】新羅1000年の王道ルートを本当に歩いてみた

以前、【旅行ガイド】『花郎』『善徳女王』の舞台を歩く、慶州聖地巡礼という記事で、慶州の歩き方を計画していました。

そして——実際に、行ってきました!

新羅(シルラ)の古都・慶州(キョンジュ)。日本の京都や奈良にたとえられる、千年王朝の都です。

街を歩いていると、こんな景色に出会います。 韓屋造りのスターバックスです。京都の町家風スタバを知っている日本人なら、思わずニヤッとしてしまう一枚です☺️

慶州の市街地は、古代の王陵がそのまま街と共存するという、世界でもなかなか珍しい場所。Google Earthで上から見てみると、緑のこんもりした古墳が市街地の真ん中に点在しているのがよくわかります。

©Google

この日に歩いたコースはこちら👇

  1. 皇南パン本店+瞻星台(チョムソンデ)——東洋最古の天文台を眺めながら朝食
  2. 校洞村・崔氏古宅——400年続いた「まっとうな大富豪」の屋敷
  3. 月精橋(ウォルチョンギョ)——統一新羅時代の橋
  4. 国立慶州博物館——新羅の黄金文化を浴びる
  5. 大陵園・天馬塚(チョンマチョン)——金氏王朝の聖地、古墳内部に潜入
  6. 五陵(オリュン)——朴氏始祖・赫居世の眠る場所
  7. 東宮と月池(アナプチ)——夜のライトアップで締めくくり

朝の慶州、皇南パンと瞻星台

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慶州4日目の朝は、安東(アンドン)からKTXでスタート。7:34発→8:17着、駅からバスで30分、新羅の古都に到着です。

慶州駅でコンビニ補給を済ませ、まず検索したのは慶州中央市場。地元の朝ごはんを食べたい!と意気込んでいたのですが——まさかの定休日(毎月1日、15日が定休日だそうです)😱しばし呆然。

気を取り直して向かったのが、慶州名物・皇南パン(ファンナムパン)の本店「結果オーライ」とは、まさにこのことでした。

創業1939年、慶州を代表する伝統菓子

皇南パンは、1939年創業、80年以上の歴史を持つ慶州の名物菓子。薄い皮の中に上品なあんこがぎっしり詰まった、素朴で美しいお饅頭です。本店は、観光の中心地・皇南洞にあります。

本店ではバラ売りもしていて、1個1,000ウォン(約100円)。ガッツリ箱で買う必要がなく、「ちょっと味見」感覚で買えるのが嬉しい!ということで、2個だけ購入。袋に入れてもらって、向かったのは——

瞻星台が見えるベンチで、贅沢な朝食

広場のベンチに腰掛けて、瞻星台を眺めながら皇南パンを頬張る。甘すぎず、素材の味がしっかり感じられます。これは美味しい!朝の空気と、千年前の天文台と、伝統の味——なんという贅沢な朝食でしょうか☺️

瞻星台(チョムソンデ)とは

高さ約9.17メートル、362個の石を積み上げて造られた東洋最古の天文台。新羅第27代善徳女王(ソンドクヨワン、在位632-647)の時代に建てられたと伝わります。1年の日数(365日)になぞらえた石の数や、12カ月を表す段数など、暦と深く結びついた象徴的な構造が随所に。1400年前、ここから新羅の人々が星を見上げていたと思うと、ちょっと感動します。

善徳女王といえば、韓国時代劇『善徳女王』(2009年)でもおなじみの、新羅初の女王。彼女が見ていた星空と、私が今眺めている朝の空が繋がっている——歴史好きにはたまらないシチュエーションです。

皇南パンを食べ終え、お腹も気持ちも満たされたところで、次のスポット校洞韓屋村へ向かいます!


校洞韓屋村と崔氏古宅——400年続いた「まっとうな大富豪」の精神

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瞻星台の広場から徒歩で11分、校洞村(マウル)へ。

韓屋を改装したカフェや飲食店が並ぶエリアで、慶州版・小さな北村韓屋村ってところでしょうか(そもそも北村韓屋村に行ったことないんですが😅)!?。


慶州崔氏古宅(チェシコテク)——400年続いた大富豪の屋敷

韓屋村に佇む「慶州崔氏古宅」は、韓国屈指の大富豪であり続けた両班(ヤンバン)のお屋敷です。広大な敷地に母屋や蔵が並ぶ姿は圧巻ですが、この崔家の本当の凄さは、建物ではなくその「精神」にあります。

慶州崔氏に伝わる有名な家訓(一部)
●「周囲100里(約40km)のなかに、飢えて死ぬ人がいないようにせよ」
●「科挙の合格は進士まで(=権力闘争に巻き込まれる高位の官職は目指すな)」
●「嫁いできた嫁は3年間、木綿の服を着よ(=贅沢は敵)」

私利私欲に走らず、凶作の年には蔵を開いて民を救う――。この尊い「分かち合いの哲学」を12代・400年間も守り通した一族がいたことに、歩きながら背筋が伸びる思いがします。

ちなみに、韓国時代劇『名家』(2010年)は、17世紀の李氏朝鮮時代に実在した慶州崔氏の名士・崔國璿(チェ・グクソン)の生涯を描いた本格ヒューマン時代劇です。 そして、崔氏一家が実際に暮らしていたお屋敷が、ここになります。


月精橋(ウォルチョンギョ)——よみがえった統一新羅の橋

崔氏古宅を出て、韓屋村を抜けた先にあるのが月精橋(ウォルチョンギョ)。南川(ナムチョン)に架かる、優雅な木造の橋です。

この橋、見た目はピカピカの新しい橋なのですが——実は統一新羅時代(西暦760年)に建てられた橋を、近年復元したもの。1300年前の橋脚が川底に残っていて、その上に当時の姿を再現したのだそうです。「復元モノ」と聞くとちょっと萎えるタイプの私ですが、これだけ堂々としていると、もう文句なし☺️

新羅の王族や貴族が、この橋を渡って月城宮へ向かった——そう思うと、橋を渡るだけで時代劇のワンシーンに入り込んだような気分になります。

さて、ここからはバスで国立慶州博物館へ向かいます。新羅の黄金文化を、まずは博物館でじっくり予習です!


国立慶州博物館——新羅の黄金文化を浴びる

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月精橋から国立慶州博物館は、徒歩23分の距離、すでに日差しが強くなってきたので、迷うことなくバスで移動☺️

新羅の眩い黄金文化や天馬塚の本物の遺物が一堂に会する、見応え抜群の博物館。国宝級の展示が多すぎて「もっと時間をかけてじっくり見学したかった…!」と後ろ髪を引かれる、慶州マストのスポットです。

博物館で「予習」、午後は古墳で「答え合わせ」

博物館で見た金冠は、もともとどこから出土したのか。新羅の王族たちは、どんな場所に眠っているのか。ガラスケース越しに見た「モノ」を、午後は「場所」として体感する——この「博物館→現地」の順番、本当におすすめです☺️

博物館のレポートはこちら👇

【国立慶州博物館】1000年続いた新羅王国 5泊6日の韓国歴史ロマン旅、4日目は新羅の古都・慶州(キョンジュ)へ。午前中に訪れたのが 国立慶州博物館 です。入場無料、滞在の目安は2〜3時間。私は時間に追わ…

博物館を堪能したら、いよいよ午後の本命大陵園(テルウォン)へ。金氏の王朝が眠る、巨大な古墳の森です!

新羅初期は、朴(パク)氏・昔(ソク)氏・金(キム)氏の3つの王族が、交代しながら王位を継いでいたとされています。
やがて味鄒王の登場以降、次第に金氏王統が新羅王位の中心となっていきました。

大陵園——金氏始祖の聖地、天馬塚に潜入

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博物館を出てバスで移動、慶州の中心街に戻ってきました。本日のメインスポット、大陵園(テルウォン)へ向かいます。

「朝からずっと見えてた、あれは何!?」の正体

実は朝、慶州駅から皇南パン本店に向かう途中から、ずーっと気になっていたものがありました。市街地のど真ん中に、緑のこんもりした小山がいくつも見えるのです。「あれ、何!?」と思いながらも、まずは予定通り朝食と韓屋村へ。


その正体が、今から向かう大陵園でした。慶州の街は、新羅王族の古墳群と完全に共存している——市街地に古代の王陵がポンポン点在しているという、世界でも珍しい都市風景です。

門は工事中、でもテンションは下がらず☺️

大陵園の正門に到着——したら、まさかの工事中門に足場が組まれていて、ちょっと残念な見た目。でも、こういう「旅のリアル」も含めてレポートです😅

園内に入ってまず立ちはだかったのが、案内図が韓国語という壁💦

絶対に外せないのはどこ?を知るために、お馴染みのGemini Liveを起動。
「天馬塚と味鄒王陵が必見!」というアドバイスを受けて、迷わずその2つに向かいます。

大陵園エリアを上から俯瞰してみると

実際の場所を上から見るとこんな感じです👇

©Google

そして、博物館編で詳しく触れた新羅金冠の出土地は赤枠のところがです

博物館で「現在確認されている新羅金冠の完全な出土例は6点しかなく、そのすべてが慶州で発見されています。」というパネルを見て鳥肌が立ったのですが、こうして俯瞰でみると——その6点の出土地のうち5つが、この画像の中に収まっているのです!


天馬塚(チョンマチョン)——内部に潜入できる古墳

大陵園のハイライトが、この天馬塚5〜6世紀の新羅王(または王族)の墓と推定される、直径47m・高さ12.7mの巨大古墳です。——入場料3,000ウォン(約300円)で内部に潜入できるのです!

「天馬塚」という名前の由来は、1973年の発掘で出土した白樺(しらかば)の樹皮に描かれた「天馬図」。空を駆ける白馬の姿が描かれた、新羅絵画の傑作です。

ちなみに、天馬塚内部に展示されている金冠や副葬品は精巧なレプリカ。本物は、午前中に訪れた国立慶州博物館に収蔵されているのですが、「天馬図」は極めて限定的なタイミングでしか一般公開されていないそうです。

古墳の内部構造がそのまま再現された空間が広がっていました。木槨(もくかく)に納められた王の棺、副葬品の配置、覆いかぶさる無数の小石——古代の埋葬の様子が、目の前に立ち上がります。

新羅古墳の「積石木槨墳(せきせきもっかくふん)」

高句麗や百済とは異なる、新羅独特の古墳形式です。
天馬塚のような新羅の王陵は、地下に木で作った埋葬施設(木槨)を設け、その上に大量の小石を積み、さらに土を盛って築かれています。盗掘が極めて困難な作りで、おかげで金冠など華麗な副葬品が手付かずで残ったのです。

沖縄の貝が、はるばる慶州の王の副葬品に……

夜光貝で作られた柄杓(ひしゃく)です

「沖縄産の夜光貝で作られた、古代新羅と日本の海洋交流を示す代表的な遺物」とのこと。5世紀頃、沖縄→日本本土→新羅という海のルートで運ばれてきたのでしょうか?!。

🇰🇷 韓国語パネル

天馬塚から出土した夜光貝のスプーン(貝匙)は、古代新羅と日本との海上交流を示す代表的な遺物である。 もともと夜光貝は、日本の沖縄や列島南部に生息する貝類で、日本では新石器時代から様々な容器として使用され、5世紀頃には集中的に製作されていた。 形態は、柄の部分が楕円形にくぼんだスプーン状で、平たい持ち手を持ち、大型のサラ(皿)状の夜光貝の殻を削って作られた。 用途については、採取が難しい希少品であることから、日常用のスプーンではなく、むしろ支配層の祭祀儀礼に使われたものと推定される。

「あれ、これ藤ノ木古墳で見たやつ!?」

そして、もう一つ私が思わず「あ!」と声を上げたのが、こちらの馬具(金銅製の鞍金具)。

これ、奈良の藤ノ木古墳のと、そっくりじゃない!?

この馬具を見た瞬間、思い出したのが奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳から出土した有名な金銅製の鞍金具に雰囲気がそっくりなんです。

帰国してから調べてみたら、なんと奈良県の公式サイトに「藤ノ木古墳の鞍金具は、新羅の天馬塚古墳などの金銅製透彫り鞍金具と深いつながりが考えられる」と明記されていました!現地で感じた「似てる!」は気のせいではなく、ちゃんと学術的に繋がっているのです。古代の日本と新羅、本当に深く繋がっていたんですね……感動。


味鄒王陵(ミチュワンヌン)——金氏初代王の眠る場所

天馬塚を堪能したあと、Gemini Liveに案内してもらって味鄒王陵へ。新羅で初めて「金」姓の王座に就いた、第13代・味鄒王のお墓です。

🇰🇷 韓国語パネル

この墓は、新羅第13代味鄒王(在位262〜284)を祀った場所として知られている。味鄒王は慶州金氏の始祖・金閼智(キム・アルチ)の子孫にあたり、第12代沾解尼師今(チョメイサグム:昔氏の王)が嫡子なく亡くなった際、金氏として初めて王位に就いた人物である。

在位中、彼は百済の度重なる攻撃を防ぎ、民に農耕を奨励した。次代の儒礼尼師今(ユリイサグム)の時代、伊西国(イソグク:慶州のすぐ西側にある小国)が金城を攻撃して大変な状況に陥った時、耳に竹の葉をつけた兵士たちが忽然と現れて国を救い、戦が終わると竹林の中へ消えていったが、味鄒王の墓の前に竹の葉が積もっていたという。このことから味鄒王の墓は「竹現陵(チュッコンヌン)」とも呼ばれる。

この陵は慶州盆地の真ん中にある「大陵苑(テヌンウォン)」の内部にある。陵の南側には崇恵殿(スンヘジョン)があり、毎年ここで祭祀が執り行われている。外形は丸い封土墳(土を盛ったお墓)であり、発掘調査は行われていないが、周辺の他の古い墓と同様に「積石木槨墓(つみいしもっかくぼ)」である可能性が高い。

味鄒王の墓の前に大量の竹の葉が積もっていた……。人々は「亡くなった王様が、墓から軍勢を率いて国を救ってくれたのだ」と涙したと伝わります。この「竹葉軍」の伝説から、味鄒王陵は「竹現陵(チュッコンヌン)」とも呼ばれ、死してなお国を守る王のお墓——そんな伝承が残る、特別な場所です。

陵そのものは、緑の芝生に覆われた美しい円墳1700年以上前の王にしばし手を合わせます☺️

※味鄒王は3世紀後半の人物で、積石木槨墓の流行から5世紀〜6世紀頃と考古学的には『時代が合わない』。つまり、「本当に味鄒王の墓なのか」は現在も議論が続いています。

ちょっと衝撃の小ネタ:金閼智を見つけたのは「倭人」だった!?

金氏の始祖・金閼智の登場シーンには、もう一人重要な人物が出てきます。それは瓠公(ホゴン)という人物——『三国史記』によれば、彼は倭人(日本から来た人)と明記されています。さらに、その時の新羅王だった第4代・脱解尼師今(タレイサグム)も、「倭国の東北1000里にある多婆那国の王妃の子」と書かれており、こちらも倭人説が有力です。

つまり——倭人の脱解王が、倭人の瓠公に命じて、金閼智を見つけさせたのです。慶州金氏のルーツの「発見シーン」、実は日韓の古代史が深く絡み合った驚きの物語だったんですね……。

ちなみに、味鄒王の前や後の新羅では、倭との軍事衝突が普通に記録されてるんです。この話、深掘りするととんでもなく長くなりそうですね☺️


さて、金氏始祖にお参りを済ませたら、次は、始祖:朴(パク)氏のお墓へ向かいます。同じ一日で新羅の二大ルーツを両方訪ねるという、贅沢な歴史散歩の続きです!

五陵(オリュン)——朴氏の始祖・赫居世の眠る聖地

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大陵園を出て、次は五陵(オリュン)へ。同じ慶州市内ですが、大陵園からは南へ約2.5km離れているので、バスで移動です。

バスを降りて五陵に到着した時の第一印象は、「あ、ここ静かだ……」でした。大陵園が観光客でそれなりに賑わっていたのに対して、こちらは人がぐっと少なく。ひっそりとした空間です。

新羅すべての始まり——朴赫居世(パク・ヒョッコセ)の眠る場所

この五陵こそ、新羅という国の「始まりの場所」です。眠っているのは、新羅の初代王・朴赫居世(パク・ヒョッコセ)とその王妃閼英(アルヨン)、そして2代・3代・5代の王たち。あわせて5基の墓が並んでいるから「五陵」と呼ばれます。

園内の漫画パネルで、建国神話がわかりやすく描かれていました☺️

  1. 6人の村長の会議:昔々、慶州の6つの村長が集まり「国に素晴らしい王を立てよう」と話し合っていました。
  2. 不思議な光:その時、近くの「蘿井(ナジョン)」という井戸から、天に向かって怪しい光が輝きます。
  3. 白馬のいななき:向かうと1頭の白馬がお辞儀をしており、激しくいななきながら天へと飛び去りました。
  4. 卵からの誕生:馬のいた跡には「紫の大きな卵」があり、割ると光り輝く男の子(赫居世)が生まれたのです。
  5. 鶏龍の出現:同じ日、別の井戸に「龍の体を持つ美しい鶏」が現れ、女の子の赤ちゃんを産み落としました。
  6. くちばしの呪い:その子はとても可愛かったのですが、口元だけが「鶏のくちばし」のようになっていました。
  7. 王妃の誕生:しかし、近くの川で優しく体を洗うとくちばしが取れ、誰もが羨む美しい少女(閼英)になりました。
  8. 13歳での建国:健やかに育った2人は、赫居世が13歳になった年に新羅の初代王と王妃に即位しました。
  9. 和白制度の誕生:この時、重臣たちが集まり「満場一致」で国の重要事項を決める先進的な政治ルールが作られます。
  10. 天へ還った王:国を治めて61年目、赫居世王が亡くなると、遺体が5つにバラバラになって地上に降ってきました
  11. 大蛇の妨害:家臣たちが遺体を一つに集めようとすると、巨大な大蛇が現れて激しく埋葬を邪魔したのです。
  12. 五陵の始まり:仕方がなく、バラバラの5つの部位をそのまま別々に埋葬したのが、現在の「五陵」の始まりです。

金海の首露王が「金の卵」から生まれ、新羅の赫居世が「赤い卵」から生まれる——ちなみに高句麗の始祖・朱蒙(チュモン)も卵から生まれたとされていて、古代朝鮮半島の建国神話は、なぜか「卵」が大好きです☺️


五陵の別名——「蛇陵(サヌン)」

実は五陵には、「蛇陵(サヌン)」というもう一つの呼び名があります。「蛇の陵」——なんともゾクッとする名前、さきほどの漫画パネルの『三国遺事』に記された蛇陵の伝説がもとネタです。

地上に降ってきた赫居世の遺体を埋葬した五陵を「蛇が陵を守っている」ことから、蛇陵(サヌン)とも呼ばれるようになったと伝わります。

5基の古墳すべてがカメラに収まる場所を探して、なんとか撮影してみましたがどうでしょうか?


五陵を歩いていると、まるで雪のように白い綿毛が目の前を舞い散る光景に出会いました。これは、この時期の韓国名物(?)であるポプラやヤナギの綿毛なんだそう。アレルギー発動の恐怖と戦いながらのドキドキの見学でした

蘿井(ナジョン)、撃沈……「もう無理」と心が折れる

実は当初の計画では、五陵の南にある蘿井(ナジョン)まで足を伸ばすつもりでした。蘿井は——さっきの神話で出てきた、赫居世が赤い卵で見つかったあの井戸です。

五陵から蘿井(ナジョン)は1kmほどの距離——5月とはいえ慶州の日差しはガッツリ夏、しかも芝生の古墳エリアは木陰がほとんどありません💦

「……いや、絶対倒れる」と判断。断念決定です😅

さて、暑さに完全敗北した私は、いったんホテルへ撤退。シャワーを浴びて、夕方の東宮と月池(アナプチ)へ向けて充電です!


夜の東宮と月池(アナプチ)——大混雑の中で見た新羅の宮跡

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慶州のシメは、東宮と月池(トングンとウォルチ)。かつて雁鴨池(アナプチ)と呼ばれていた、新羅王朝の離宮跡です。夜のライトアップが慶州観光のハイライトとして大人気で、夜景写真がよくSNSで流れてくる場所です。

新羅王朝の「迎賓館」だった離宮

東宮と月池は、新羅第30代・文武王(ムンムワン、在位661-681)が674年に造営した離宮。三国統一を成し遂げた文武王が、外国の使節をもてなしたり、王族の宴会を開いたりするための施設でした。新羅版の「迎賓館」といったところでしょうか。

月池は人工の池で、池の中には3つの島。その周囲に、優雅な楼閣が配置されています。1975年からの発掘調査で、池の底から3万点を超える遺物が出土し、当時の華やかな宮廷文化が一気に蘇りました。

想像を超える大混雑……夜景になる前に撤退

夕方、入場料3,000ウォンを払って中へ。……ところが、これがすごい人!😱 平日でしたが、慶州の夜景スポットNo.1だけあって、観光客がぎっしり。韓国の学生さんの団体、家族連れ、外国人観光客——あらゆる層が、ライトアップ目当てに集結してきました。

「ライトアップ全開の夜景も見たいけど、人混みも限界……帰りのバスの混雑も心配……」と葛藤しつつ夕暮れが完全に夜に変わる直前にサッと写真を撮って早めに撤退しました。


朝の瞻星台から始まり、韓屋村を抜け、博物館で予習し、大陵園で金氏王朝に挨拶し、五陵で朴氏始祖と対面し、そして夜の月池で文武王の華やかな宮廷世界に触れる——。

教科書では数行しか触れられない新羅という国、千年王朝をたった一日でなぞった日でした☺️

【終章】二つの「金」が出会った場所、慶州

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新羅の「金」の始まりは、金閼智(キム・アルチ)の神話です。『三国史記』によれば、西暦65年、脱解王が鶏林で金色の箱を見つけると、中には男の子がいました。王はその子に「金」の姓を与え、これが後の慶州金氏(キョンジュキムシ)の始まりになったといいます。

韓国にはもう一つ有名な「金」の系統があります。金海(キメ)。そこに伝わるのは、天から降った黄金の卵から首露王(スロワン)が生まれたという、伽耶の神話。こちらは金海金氏(キメキムシ)のルーツです。

つまり韓国の「金さん」には、

  • 慶州の金(新羅)
  • 金海の金(伽耶)

という、別々の始まりがあったんですね。

この二つの「金」が交わったのが、西暦532年。伽耶最後の王・仇衡王が新羅へ降伏し、一族とともに慶州へ移り住みました。そして、その子孫から生まれたのが——金庾信(キム・ユシン)。金海の血を引きながら、新羅の英雄となった人物です。

滅ぼされた国の血が、滅ぼした国を支え、やがて統一新羅へつながっていく。そんな歴史の重なりを感じます。

ちなみに、現代の韓国で最多の苗字は「金(キム)」、人口の約20%です。その内訳は、金海金氏が約440万人(韓国最大の本貫)、慶州金氏が約180万人

ちなみにちなみに、日本の苗字トップ1は「佐藤」さん、約180万人。実はこれ、藤原氏の分家のひとつなんですよ。慶州金氏の人口と、ほぼ同じ規模です。

……と、どうでもいいお話で「新羅1000年の王道ルート」の旅をしめくくります😅

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
おつかれさまでした 🍵

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