同じ観音さまなのに、お寺によって顔つきがまるで違う。
きつい顔、ふっくらした顔、生きている人のような顔。並べて見ると、本当に別人です。
これは時代の流行……という説明をよく見かけますが、それだけではありません。もっと直接的な理由があります。
作り方が変わったからです。
木の使い方が変わり、新しい素材が入り、新しい仕掛けが発明された。そのたびに、彫れる形が変わった。仏像の顔つきは、その時代の技術がそのまま出たものなんです。
まず、この表だけ
| 時代 | 作り方 | 顔つき・雰囲気 | 代表 |
|---|---|---|---|
| 飛鳥前期(7世紀前半) | 金銅・木彫 | 左右対称、ほほえみ、目がアーモンド形 | 法隆寺 釈迦三尊像 |
| 飛鳥後期・白鳳(7世紀後半) | 金銅 | 子どものような丸顔 | 興福寺 仏頭 |
| 奈良・天平(8世紀) | 粘土・漆と麻布 | 写実的、人間くさい | 興福寺 阿修羅像 |
| 平安前期(9世紀) | 一本の木から彫る | 重厚、厳しい、量感がある | 室生寺 釈迦如来 |
| 平安後期(10〜12世紀) | パーツを組み立てる | 穏やか、優美、浅い彫り | 平等院 阿弥陀如来 |
| 鎌倉(12〜14世紀) | 組み立て+目に水晶 | 力強い、動きがある、生々しい | 東大寺 金剛力士像 |
「作り方」の列が、そのまま「顔つき」の列を決めています。ここが今回の肝です。
その前に——「白鳳」「天平」って、何時代のこと?
表を見て「あれ?」と思われたかもしれません。学校で習った「飛鳥・奈良・平安」に混ざって、聞き慣れない言葉が出てきます。
これは、物差しが2本あるからです。
| 使う物差し | 区切り方 | |
|---|---|---|
| 政治の歴史 | 飛鳥 → 奈良 → 平安 | 都がどこにあったか |
| 美術の歴史 | 飛鳥 → 白鳳 → 天平 → 弘仁貞観 → 藤原 | 作風がどう変わったか |
対応させると、こうなります。
| 西暦 | 政治史 | 美術史 |
|---|---|---|
| 〜645年ごろ | 飛鳥時代 | 飛鳥 |
| 645〜710年 | 飛鳥時代(後半) | 白鳳 |
| 710〜794年 | 奈良時代 | 天平 |
| 794〜900年代 | 平安時代(前期) | 弘仁・貞観 |
| 900年代〜1185年 | 平安時代(後期) | 藤原 |
※厳密には、「天平」は本来729〜749年だけの元号です。「白鳳」にいたっては正式な元号ですらなく、美術史で便宜的に使われている呼び名です。ただ実用上は、上の対応で困ることはありません。専門書では「飛鳥前期」ではなく「飛鳥様式」と書かれることがあります。同じものを指しています。
いちばん簡単な手がかりは「目」です
時代を当てる手がかりの中で、ずば抜けてわかりやすいのがこれです。
目が、水晶を入れて光っているか。
これを玉眼(ぎょくがん)といいます。木の顔を内側からくり抜いて、裏から水晶の板をあて、瞳を描いて固定する技法です。要するに、義眼を入れるという発想です。
効果は絶大でした。薄暗いお堂の中で、ろうそくの光を受けて目だけが濡れたように光る。生きているように見えるんです。
この玉眼が登場するのが平安時代の終わりごろで、鎌倉時代に一般化します。
つまり——
目が光っていたら、平安末より新しい。
目が木のまま彫られていたら、それより古い。
これだけで、時代がざっくり二分できます。お寺で最初に見るべきは、顔でも手でもなく目です。
① 飛鳥前期——左右対称で、ほほえんでいる
日本に仏像が入ってきたばかりのころです。作り手も、大陸から渡ってきた技術者やその子孫でした。
特徴は3つ。
- 左右対称——正面から見られることを前提にした、きっちりした造り
- アーモンド形の目——切れ長で、細く鋭い
- 口元のほほえみ——「アルカイックスマイル」と呼ばれる、謎めいた微笑
素材は金銅(銅を鋳造して金メッキ)や、クスノキの木彫。
法隆寺の釈迦三尊像が代表です。硬く、静かで、こちらを見ているようで見ていない。まだ「人間らしさ」を追いかけていない時代の顔です。
続く飛鳥後期、いわゆる白鳳(7世紀後半)になると、急にやわらかくなります。丸顔で、子どものような愛らしさ。興福寺の仏頭がその代表で、これは実物を見ると本当に印象が変わります。
② 奈良時代(天平)——粘土と漆で、細かい表現が可能になった
ここで大きな技術革新が起きます。木を彫る以外の作り方が入ってきました。
- 塑造(そぞう)——木の芯に粘土を盛りつけて形をつくる
- 乾漆造(かんしつぞう)——麻布を漆で貼り重ねてつくる。張り子に近い発想
どちらも、盛る・貼るという作り方です。彫るのは削るだけの一方通行ですが、盛る方式なら足したり直したりできる。
結果、細かい表情がつくれるようになりました。
天平の仏像が写実的で人間くさいのは、この技術のおかげです。興福寺の阿修羅像の、あの繊細な眉と憂いのある表情。あれは乾漆でなければ出せません。
唐招提寺の鑑真和上像も乾漆で、こちらは完全に一人の老人の肖像です。
奈良時代は、仏像がいちばん「人間」に近づいた時代でした。
③ 平安前期——一本の木から、どっしりと
ところが平安時代に入ると、粘土と漆はすたれます。
理由のひとつは、密教の伝来です。空海と最澄が新しい仏教を持ち帰り、山深い場所に寺が建てられるようになりました。山に大量の粘土や漆を運ぶのは大変です。
そこで主流になったのが、一木造(いちぼくづくり)。
一本の木から、まるごと彫り出すやり方です。カヤやケヤキといった硬い木を使います。
木の太さがそのまま像の限界になるので、必然的にずんぐりと肉厚になります。これが平安前期のあの重量感の正体です。
顔つきも変わります。ふっくらしていながら、どこか厳しい。近寄りがたい。天平の親しみやすさとは正反対です。
もうひとつ、この時代だけの目印があります。
翻波式衣文(ほんぱしきえもん)——衣のひだが、大きな波と小さな波を交互に繰り返す彫り方です。ザクザクと深く、リズムがあります。
衣のひだが深くて波打っていたら、平安前期を疑ってください。
④ 平安後期——パーツを組み立てる発明
そして、仏像史上でおそらく最大の技術革新が来ます。
寄木造(よせぎづくり)です。
一本の木から彫るのではなく、複数の木材をパーツごとに彫って、あとから組み立てる。頭は頭、胴は胴、腕は腕。
これがもたらしたものは、想像以上でした。
- 大きな像がつくれる——木の太さの制限がなくなった
- 軽くなる——中が空洞になるので運べる
- 割れにくい——木の収縮による亀裂が起きにくい
- 分業できる——複数の職人が同時に作業できる
つまり、工房で大量生産ができるようになったのです。
当時、貴族たちは競って阿弥陀堂を建て、仏像を注文していました。その需要に応えるための、いわば量産技術でした。
完成させたのは定朝(じょうちょう)という仏師です。彼のつくる仏像は、穏やかで、優美で、まったく威圧感がありません。彫りも浅く、あっさりしています。
平等院鳳凰堂の阿弥陀如来が、定朝の作として確実に残る唯一の像です。
この「定朝様」が大流行し、以後100年以上、みんなこれを真似しました。おかげで平安後期の仏像は、どれも似た顔をしています。
⑤ 鎌倉時代——写実の復活と、目の水晶
平安後期の優美さが行き着くところまで行くと、次は反動が来ます。
武士の時代です。求められたのは、穏やかさではなく力強さでした。
ここで登場するのが運慶と快慶、そして彼らの一門である慶派です。
- 筋肉と血管が浮き出る
- 体がねじれ、動きがある
- 表情が生々しい
- そして玉眼で目が光る
東大寺南大門の金剛力士像は、運慶・快慶らが1203年に手がけたもので、高さ8メートルを超えます。しかも制作期間はわずか2か月ほど。寄木造という技術があったからこそ実現した、驚異的な仕事です。
興福寺の無著・世親像にいたっては、もはや彫刻というより、実在した人物の記録です。
天平で一度「人間」に近づき、平安で「理想の仏さま」に振れ、鎌倉でもう一度「人間」へ戻ってくる。振り子のように行き来しているのがおもしろいところです。
⑥ 室町以降
正直に言うと、この先は新しい様式があまり生まれません。鎌倉までに完成した技法を受け継いでいく時代です。
江戸時代になると、装飾がにぎやかで、色や金がよく使われるようになります。前回出てきた弘法大師坐像(金剛峯寺、江戸時代)などがそうで、きらびやかで整った印象です。
現場で使える、判定の手順
お寺や博物館で立ち止まったら、この順に見てください。
1. 目を見る
水晶が入って光っている → 平安末より新しい(鎌倉が濃厚)
2. 顔つきを見る
左右対称でほほえんでいる → 飛鳥前期
人間くさく写実的 → 奈良か鎌倉
ふっくらして厳しい → 平安前期
穏やかで優しい → 平安後期
3. 衣のひだを見る
大波・小波が交互に深く → 平安前期
浅くてあっさり → 平安後期
4. 素材の説明書きを読む
乾漆・塑造 → 奈良時代
一木造 → 平安前期
寄木造 → 平安後期以降
キャプションに書いてある「一木造」「寄木造」という言葉は、時代のヒントそのものです。
奈良は、時代旅行ができる街です
奈良のいいところは、飛鳥から鎌倉まで、実物で一気にたどれることです。
| 時代 | 会える場所 |
|---|---|
| 飛鳥前期 | 飛鳥寺(飛鳥大仏)/法隆寺(釈迦三尊像) |
| 飛鳥後期・白鳳 | 興福寺 国宝館(仏頭)/薬師寺(聖観音) |
| 奈良・天平 | 東大寺 法華堂/興福寺(阿修羅像)/唐招提寺(鑑真和上像) |
| 平安前期 | 室生寺 |
| 鎌倉 | 東大寺 南大門(金剛力士像)/興福寺(無著・世親像) |
東大寺の南大門をくぐって法華堂まで歩くと、鎌倉 → 天平と、400年をさかのぼることになります。
平安後期の定朝様だけは、奈良では手薄です。あれは京都(平等院)へ行くことになります。
まとめ
- 顔つきが違うのは、作り方が違うから
- 目が光っていたら鎌倉(玉眼)——いちばん簡単な手がかり
- 粘土と漆なら奈良時代、一本の木なら平安前期、組み立てなら平安後期以降
- 写実 → 理想化 → 写実、と振り子のように行き来している
