この記事の結論
- 七支刀(しちしとう)は、左右に枝が3本ずつ出た、不思議な形の鉄の刀
- 4世紀に朝鮮半島の百済(くだら)で作られ、倭(日本)の王に贈られた
- 奈良県天理市の石上神宮(いそのかみじんぐう)に伝わる国宝
- 刀に刻まれた文字の読み方で、「百済が日本に献上した」のか「日本に与えた」のか、今も意見が分かれている
- 実物はふだん非公開
教科書で名前を見たことはあっても、「結局どんな刀なの?」「なぜ日本にあるの?」と聞かれると答えにくいのが七支刀。
この記事では、七支刀の形・作られた時代・刻まれた文字の謎を、できるだけやさしく解説します。
枝が6本で「七」支刀?形のひみつ
七支刀は、長さ約75cmの鉄の刀です。いちばんの特徴は、なんといってもその形。
まっすぐな刀身から、左右に3本ずつ、交互に枝が飛び出しています。
数えてみると、
- 左の枝:3本
- 右の枝:3本
- 刀身の先:1本
合計7つの先端があるので「七支刀」というわけです。
形は、葉を落とした冬の木や、魚の骨を思い浮かべるとイメージしやすいかもしれません。
ただし、この刀は戦いには使えません。枝の部分は細いところで数ミリしかなく、振り回せばすぐ折れてしまいます。最初から「見せるため」「贈るため」に作られた、儀式用の特別な刀だったと考えられています。
同じ形の刀は世界に1本だけ
七支刀とまったく同じ形の刀は、朝鮮半島でも日本でも見つかっていません。刻まれた文字にも「昔からこのような刀はなかった」とあり、作った側も特別な一点ものとして作ったことがわかります。
新羅や伽耶の古墳からは、刀身にトゲのついた「有刺利器(ゆうしりき)」という鉄器が出土していて、「枝のある鉄の道具」という点では七支刀の遠い親せきのような存在です。
また、韓国・扶余(プヨ)の百済文化団地には、古代の製鉄方法で復元された七支刀が展示されています。
いつ・誰が作った?
刀身には、金で文字が埋め込まれています(金象嵌=きんぞうがん)。その文字から、作られた時代と作った国がわかります。
| 内容 | |
|---|---|
| 作られた年 | 369年ごろ(408年とする説もある) |
| 作った国 | 百済(くだら)。朝鮮半島の南西部にあった国 |
| 贈った相手 | 倭王(日本の王) |
369年ごろの百済は、近肖古王(きんしょうこおう)のもとで勢いに乗っていた時代。北の高句麗とも戦えるほど力をつけていました。
その百済が、海の向こうの倭と手を結ぶために贈ったのが七支刀だと考えられています。いわば、国どうしの「同盟のしるし」です。
日本の歴史書『日本書紀』にも、百済から「七枝刀(ななつさやのたち)」が贈られたという記事があります。これが石上神宮の七支刀のことだと考えられています。
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刻まれた文字には何と書いてある?
七支刀には、表と裏をあわせて60文字ほどが刻まれています。(■はさびで読めない文字です)
表
泰■四年十一月十六日丙午正陽造百練鋼七支刀出辟百兵宜供供侯王■■■■作
裏
先世以来未有此刀百済王世子奇生聖音故為倭王旨造伝示後世
※ ■の読めない文字は、主に「年号」と「作った人の名前」の部分。
漢字ばかりで難しく見えますが、ざっくり現代語にするとこんな内容です。
| ざっくり現代語訳 | |
|---|---|
| 表 | 泰■4年11月16日、縁起のよい日の正午に、何度も鍛えた鉄でこの七支刀を作った。この刀はあらゆる敵や災いを退ける。侯王(こうおう)に持たせるのにふさわしい刀である |
| 裏 | 昔からこのような刀はなかった。百済の王と王子が、倭王のために作らせた。後の世まで伝えるように |
表は「この刀はすごいぞ」というおめでたい決まり文句、裏は「誰が・誰のために作ったか」という贈り物のメッセージカードのような役割です。
意見が分かれる3つの言葉
| 言葉 | 読み方① | 読み方② |
|---|---|---|
| 泰■(年号) | 中国・東晋の年号「太和」→ 369年 | 百済独自の年号 → 408年など |
| 侯王 | おめでたい決まり文句で、深い意味はない | 倭王を「百済より格下の王」として扱っている |
| 倭王旨 | 「旨(し)」は倭王の名前 | 「倭王の旨(むね)=希望」を受けて作った |
特に「侯王」と「倭王旨」の読み方は、次に紹介する「献上か下賜か」の議論に直結します。たった1〜2文字の読み方で、国どうしの関係がひっくり返ってしまうんですね。
銘文の謎:「献上」か「下賜」か
実は「献上か下賜か」の議論は、読めない字ではなく、ちゃんと読める字をどう解釈するかで分かれています。
七支刀がこれほど有名なのは、刻まれた文字(銘文)の読み方をめぐって、100年以上も議論が続いているからです。
| 説 | 中身 | イメージ |
|---|---|---|
| 献上説 | 百済が倭に差し上げた | 百済が下、倭が上 |
| 下賜説 | 百済が倭に与えてやった | 百済が上、倭が下 |
| 対等説 | 友好のしるしとして贈った | 同じ立場 |
たとえるなら、同じプレゼントでも「上司への贈り物」なのか「部下へのごほうび」なのか「友だちへのお土産」なのかで、2人の関係がまったく違って見えるようなもの。
古くは日本では献上説、韓国では下賜説が唱えられることが多く、「どちらの国が上だったか」という話に結びつきやすかったのがこの刀の難しいところです。現在は、どちらかに決めつけず、友好のしるしとして贈られたとする見方も広がっています。
ちなみに、この銘文が見つかったのは明治時代のこと。石上神宮の宮司だった菅政友(かんまさとも)がさびを落としたところ、金の文字が現れました。それまでは、ただの珍しい形の武器だと思われていたそうです。
石上神宮で見られる?
七支刀は国宝で、とても古くもろいため、ふだんは一般公開されていません。 石上神宮に行っても、実物を見ることはできないので注意してください。
それでも、石上神宮には訪れる価値があります。
- 古代の有力な一族・物部氏(もののべし)とゆかりが深く、武器を納める「神の武器庫」のような役割をもっていた神社
- 『日本書紀』にも登場する、日本でも指折りの古い神社
- 境内には放し飼いのニワトリがいて、のんびりした雰囲気
七支刀が1600年以上もこの神社で守られてきたことを思いながら歩くと、また違った景色に見えてきます。
アクセス:JR・近鉄「天理駅」から徒歩30分ほど
まとめ
- 七支刀は、左右に3本ずつ枝が出た、合計7つの先端をもつ儀式用の刀
- 369年ごろ(408年説もあり)、百済で作られ、倭王に贈られた
- 同じ形の刀は世界に1本だけ
- 銘文の読み方で「献上」「下賜」「対等な贈り物」と解釈が分かれている
- 奈良県天理市の石上神宮に伝わる国宝で、実物はふだん非公開
4世紀の東アジアで、百済と倭がどんな関係だったのか。小さな刀に刻まれた数十文字が、その謎を今に伝えています。
このあたりが気になった方へ
七支刀には、まだまだ深い話があります。気になったテーマから読んでみてください。
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