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【知識ゼロからの仏像③】仏像の時代はどう見分ける?——顔が違うのは、作り方が違うから

同じ観音さまなのに、お寺によって顔つきがまるで違う。

きつい顔、ふっくらした顔、生きている人のような顔。並べて見ると、本当に別人です。

これは時代の流行……という説明をよく見かけますが、それだけではありません。もっと直接的な理由があります。

作り方が変わったからです。

木の使い方が変わり、新しい素材が入り、新しい仕掛けが発明された。そのたびに、彫れる形が変わった。仏像の顔つきは、その時代の技術がそのまま出たものなんです。

まず、この表だけ

時代作り方顔つき・雰囲気代表
飛鳥前期(7世紀前半)金銅・木彫左右対称、ほほえみ、目がアーモンド形法隆寺 釈迦三尊像
飛鳥後期・白鳳(7世紀後半)金銅子どものような丸顔興福寺 仏頭
奈良・天平(8世紀)粘土・漆と麻布写実的、人間くさい興福寺 阿修羅像
平安前期(9世紀)一本の木から彫る重厚、厳しい、量感がある室生寺 釈迦如来
平安後期(10〜12世紀)パーツを組み立てる穏やか、優美、浅い彫り平等院 阿弥陀如来
鎌倉(12〜14世紀)組み立て+目に水晶力強い、動きがある、生々しい東大寺 金剛力士像

「作り方」の列が、そのまま「顔つき」の列を決めています。ここが今回の肝です。

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その前に——「白鳳」「天平」って、何時代のこと?

表を見て「あれ?」と思われたかもしれません。学校で習った「飛鳥・奈良・平安」に混ざって、聞き慣れない言葉が出てきます。

これは、物差しが2本あるからです。

使う物差し区切り方
政治の歴史飛鳥 → 奈良 → 平安都がどこにあったか
美術の歴史飛鳥 → 白鳳 → 天平 → 弘仁貞観 → 藤原作風がどう変わったか

対応させると、こうなります。

西暦政治史美術史
〜645年ごろ飛鳥時代飛鳥
645〜710年飛鳥時代(後半)白鳳
710〜794年奈良時代天平
794〜900年代平安時代(前期)弘仁・貞観
900年代〜1185年平安時代(後期)藤原

※厳密には、「天平」は本来729〜749年だけの元号です。「白鳳」にいたっては正式な元号ですらなく、美術史で便宜的に使われている呼び名です。ただ実用上は、上の対応で困ることはありません。専門書では「飛鳥前期」ではなく「飛鳥様式」と書かれることがあります。同じものを指しています。

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いちばん簡単な手がかりは「目」です

時代を当てる手がかりの中で、ずば抜けてわかりやすいのがこれです。

目が、水晶を入れて光っているか。

これを玉眼(ぎょくがん)といいます。木の顔を内側からくり抜いて、裏から水晶の板をあて、瞳を描いて固定する技法です。要するに、義眼を入れるという発想です。

効果は絶大でした。薄暗いお堂の中で、ろうそくの光を受けて目だけが濡れたように光る。生きているように見えるんです。

この玉眼が登場するのが平安時代の終わりごろで、鎌倉時代に一般化します。

つまり——

目が光っていたら、平安末より新しい。
目が木のまま彫られていたら、それより古い。

これだけで、時代がざっくり二分できます。お寺で最初に見るべきは、顔でも手でもなくです。

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① 飛鳥前期——左右対称で、ほほえんでいる

日本に仏像が入ってきたばかりのころです。作り手も、大陸から渡ってきた技術者やその子孫でした。

特徴は3つ。

  • 左右対称——正面から見られることを前提にした、きっちりした造り
  • アーモンド形の目——切れ長で、細く鋭い
  • 口元のほほえみ——「アルカイックスマイル」と呼ばれる、謎めいた微笑

素材は金銅(銅を鋳造して金メッキ)や、クスノキの木彫。

法隆寺の釈迦三尊像が代表です。硬く、静かで、こちらを見ているようで見ていない。まだ「人間らしさ」を追いかけていない時代の顔です。

続く飛鳥後期、いわゆる白鳳(7世紀後半)になると、急にやわらかくなります。丸顔で、子どものような愛らしさ。興福寺の仏頭がその代表で、これは実物を見ると本当に印象が変わります。

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② 奈良時代(天平)——粘土と漆で、細かい表現が可能になった

ここで大きな技術革新が起きます。木を彫る以外の作り方が入ってきました。

  • 塑造(そぞう)——木の芯に粘土を盛りつけて形をつくる
  • 乾漆造(かんしつぞう)——麻布を漆で貼り重ねてつくる。張り子に近い発想

どちらも、盛る・貼るという作り方です。彫るのは削るだけの一方通行ですが、盛る方式なら足したり直したりできる。

結果、細かい表情がつくれるようになりました

天平の仏像が写実的で人間くさいのは、この技術のおかげです。興福寺の阿修羅像の、あの繊細な眉と憂いのある表情。あれは乾漆でなければ出せません。

唐招提寺の鑑真和上像も乾漆で、こちらは完全に一人の老人の肖像です。

奈良時代は、仏像がいちばん「人間」に近づいた時代でした。

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③ 平安前期——一本の木から、どっしりと

ところが平安時代に入ると、粘土と漆はすたれます。

理由のひとつは、密教の伝来です。空海と最澄が新しい仏教を持ち帰り、山深い場所に寺が建てられるようになりました。山に大量の粘土や漆を運ぶのは大変です。

そこで主流になったのが、一木造(いちぼくづくり)。

一本の木から、まるごと彫り出すやり方です。カヤやケヤキといった硬い木を使います。

木の太さがそのまま像の限界になるので、必然的にずんぐりと肉厚になります。これが平安前期のあの重量感の正体です。

顔つきも変わります。ふっくらしていながら、どこか厳しい。近寄りがたい。天平の親しみやすさとは正反対です。

もうひとつ、この時代だけの目印があります。

翻波式衣文(ほんぱしきえもん)——衣のひだが、大きな波と小さな波を交互に繰り返す彫り方です。ザクザクと深く、リズムがあります。

衣のひだが深くて波打っていたら、平安前期を疑ってください。

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④ 平安後期——パーツを組み立てる発明

そして、仏像史上でおそらく最大の技術革新が来ます。

寄木造(よせぎづくり)です。

一本の木から彫るのではなく、複数の木材をパーツごとに彫って、あとから組み立てる。頭は頭、胴は胴、腕は腕。

これがもたらしたものは、想像以上でした。

  • 大きな像がつくれる——木の太さの制限がなくなった
  • 軽くなる——中が空洞になるので運べる
  • 割れにくい——木の収縮による亀裂が起きにくい
  • 分業できる——複数の職人が同時に作業できる

つまり、工房で大量生産ができるようになったのです。

当時、貴族たちは競って阿弥陀堂を建て、仏像を注文していました。その需要に応えるための、いわば量産技術でした。

完成させたのは定朝(じょうちょう)という仏師です。彼のつくる仏像は、穏やかで、優美で、まったく威圧感がありません。彫りも浅く、あっさりしています。

平等院鳳凰堂の阿弥陀如来が、定朝の作として確実に残る唯一の像です。

この「定朝様」が大流行し、以後100年以上、みんなこれを真似しました。おかげで平安後期の仏像は、どれも似た顔をしています。

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⑤ 鎌倉時代——写実の復活と、目の水晶

平安後期の優美さが行き着くところまで行くと、次は反動が来ます。

武士の時代です。求められたのは、穏やかさではなく力強さでした。

ここで登場するのが運慶快慶、そして彼らの一門である慶派です。

  • 筋肉と血管が浮き出る
  • 体がねじれ、動きがある
  • 表情が生々しい
  • そして玉眼で目が光る

東大寺南大門の金剛力士像は、運慶・快慶らが1203年に手がけたもので、高さ8メートルを超えます。しかも制作期間はわずか2か月ほど。寄木造という技術があったからこそ実現した、驚異的な仕事です。

興福寺の無著・世親像にいたっては、もはや彫刻というより、実在した人物の記録です。

天平で一度「人間」に近づき、平安で「理想の仏さま」に振れ、鎌倉でもう一度「人間」へ戻ってくる。振り子のように行き来しているのがおもしろいところです。

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⑥ 室町以降

正直に言うと、この先は新しい様式があまり生まれません。鎌倉までに完成した技法を受け継いでいく時代です。

江戸時代になると、装飾がにぎやかで、色や金がよく使われるようになります。前回出てきた弘法大師坐像(金剛峯寺、江戸時代)などがそうで、きらびやかで整った印象です。

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現場で使える、判定の手順

お寺や博物館で立ち止まったら、この順に見てください。

1. 目を見る
水晶が入って光っている → 平安末より新しい(鎌倉が濃厚)

2. 顔つきを見る
左右対称でほほえんでいる → 飛鳥前期
人間くさく写実的 → 奈良か鎌倉
ふっくらして厳しい → 平安前期
穏やかで優しい → 平安後期

3. 衣のひだを見る
大波・小波が交互に深く → 平安前期
浅くてあっさり → 平安後期

4. 素材の説明書きを読む
乾漆・塑造 → 奈良時代
一木造 → 平安前期
寄木造 → 平安後期以降

キャプションに書いてある「一木造」「寄木造」という言葉は、時代のヒントそのものです。

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奈良は、時代旅行ができる街です

奈良のいいところは、飛鳥から鎌倉まで、実物で一気にたどれることです。

時代会える場所
飛鳥前期飛鳥寺(飛鳥大仏)/法隆寺(釈迦三尊像)
飛鳥後期・白鳳興福寺 国宝館(仏頭)/薬師寺(聖観音)
奈良・天平東大寺 法華堂/興福寺(阿修羅像)/唐招提寺(鑑真和上像)
平安前期室生寺
鎌倉東大寺 南大門(金剛力士像)/興福寺(無著・世親像)

東大寺の南大門をくぐって法華堂まで歩くと、鎌倉 → 天平と、400年をさかのぼることになります。

平安後期の定朝様だけは、奈良では手薄です。あれは京都(平等院)へ行くことになります。

まとめ

  • 顔つきが違うのは、作り方が違うから
  • 目が光っていたら鎌倉(玉眼)——いちばん簡単な手がかり
  • 粘土と漆なら奈良時代、一本の木なら平安前期、組み立てなら平安後期以降
  • 写実 → 理想化 → 写実、と振り子のように行き来している
最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍵