奈良時代は、710年の平城京遷都から始まる約80年間です。
大仏、正倉院、万葉集。文化の話は華やかなのに、政治の話になると急に「藤原なんとか」がたくさん出てきて、誰が誰だかわからなくなる。そんな時代でもあります。
でも、奈良時代の政治には、実はひとつの「リズム」があります。
それさえつかめば、ごちゃごちゃした80年が、すっきり一本の流れになります。
この記事では、天皇の系図と政治の主導権の「振り子」の2つを軸に、奈良時代をまるごと整理します。
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奈良時代はいつからいつまで?
| 始まり | 710年 平城京に都が移る |
|---|
| 終わり | 784年 長岡京に都が移る(794年の平安京遷都までとする数え方もあります) |
| 長さ | 約75〜85年 |
| 都 | 平城京(いまの奈良市) |
始まりは、元明天皇が藤原京から平城京へ都を移したとき。
終わりは、桓武天皇が平城京を離れたときです。
つまり奈良時代は、「奈良に都があった時代」。
そして、その奈良を捨てた桓武天皇が、奈良時代を終わらせた人です。
奈良時代の天皇を系図で見る
奈良時代には、8回の即位がありました。
ただし天皇になった人は7人です。ひとりだけ、2回即位した女性がいるからです。
| 即位の順 | 天皇 | 在位 | どんな人? | 血筋 |
|---|
| 1 | 元明天皇(女性) | 707〜715 | 文武天皇の母。平城京へ遷都 | 天智の娘(天武系をつなぐ) |
| 2 | 元正天皇(女性) | 715〜724 | 元明天皇の娘。文武天皇の姉 | 天武系 |
| 3 | 聖武天皇 | 724〜749 | 文武天皇の息子。大仏をつくる | 天武系 |
| 4 | 孝謙天皇(女性) | 749〜758 | 聖武天皇の娘 | 天武系 |
| 5 | 淳仁天皇 | 758〜764 | 天武天皇の孫。藤原仲麻呂が立てた | 天武系 |
| 6 | 称徳天皇(女性) | 764〜770 | 孝謙天皇が2度目の即位 | 天武系 |
| 7 | 光仁天皇 | 770〜781 | 天智天皇の孫 | 天智系 |
| 8 | 桓武天皇 | 781〜806 | 光仁天皇の息子。都を移す | 天智系 |
この表で注目してほしいのは、いちばん右の列です。
6番目までずっと「天武系」だったのが、7番目で「天智系」に入れかわります。
これが奈良時代の最大の転換点です(あとの章でくわしく説明します)。
もうひとつ、8回のうち4回が女性の天皇です。
これは「女性が強かった」というより、跡を継ぐべき男子が幼かったり、いなかったりしたためのつなぎ役という面が大きい、と考えられています。
ひとことで言うと
奈良時代の天皇は、「天武天皇の血筋をどうやって続けるか」に苦労し続けた80年でした。
主導権は「振り子」だった──藤原氏と、藤原氏以外
奈良時代の政治を動かしたのは、天皇だけではありません。
天皇のそばで実権をにぎった人たちがいました。
その顔ぶれを順番に並べると、おもしろいことがわかります。
| 時期 | 実権をにぎった人 | 藤原氏? | どう終わった? |
|---|
| 710〜720 | 藤原不比等 | ○ | 病死 |
| 720〜729 | 長屋王(天武天皇の孫) | × | 長屋王の変で自害 |
| 729〜737 | 藤原四兄弟 | ○ | 天然痘で全員死去 |
| 737〜757 | 橘諸兄(+玄昉・吉備真備) | × | 藤原仲麻呂に押しのけられる |
| 757〜764 | 藤原仲麻呂(恵美押勝) | ○ | 反乱を起こして敗死 |
| 764〜770 | 道鏡(僧) | × | 称徳天皇の死で失脚 |
| 770〜 | 藤原百川ら → 桓武天皇 | ○ | 平安京へ |
○×○×○×○。
藤原氏と、藤原氏以外が、きれいに交互になっています。
まるで振り子です。
藤原氏に振れると、反発が起きて逆に振れる。そちらが倒れると、また藤原氏に戻ってくる。
しかも、振り子が戻るきっかけは、たいてい誰かの死です。
病死、自害、疫病、敗死。奈良時代の政治がドラマのように見えるのは、このせいかもしれません。
4つの場面で流れをつかむ
80年を4つの場面に分けると、振り子の動きと天皇の交代が重なって見えてきます。
場面1 国の形をつくる時代(710〜729年ごろ)
天皇:元明・元正・聖武(前半)
主役:藤原不比等 → 長屋王
平城京に都が移り、国の「設計図」が仕上がった時代です。
| 年 | できごと |
|---|
| 710 | 平城京に遷都 |
| 712 | 『古事記』ができる |
| 718 | 養老律令ができる(施行はずっと後) |
| 720 | 『日本書紀』ができる。藤原不比等が亡くなる |
| 723 | 三世一身法(開墾した土地を3代まで持てる) |
中心にいたのは藤原不比等。律令(法律)づくりを主導し、娘の宮子を文武天皇に、光明子を聖武天皇に嫁がせました。藤原氏が天皇家と結びついていく出発点です。
不比等が亡くなると、振り子は皇族の長屋王(天武天皇の孫)に振れます。
場面2 揺れる時代(729〜749年ごろ)
天皇:聖武
主役:藤原四兄弟 → 橘諸兄
奈良時代でいちばん激しく揺れた20年。そのまんなかにいたのが聖武天皇です。
| 年 | できごと |
|---|
| 729 | 長屋王の変。光明子が皇后に |
| 737 | 天然痘が大流行。藤原四兄弟が全員死去 |
| 740 | 藤原広嗣の乱。聖武天皇が平城京を離れる |
| 741 | 国分寺を建てる命令 |
| 743 | 大仏をつくる命令。墾田永年私財法 |
| 745 | 5年ぶりに平城京へ戻る |
政変、疫病、反乱。そのなかで聖武天皇は、仏の力で国をまとめる道を選びます。
それが国分寺と大仏でした。
同じ743年に出た墾田永年私財法は、「開墾した土地はずっと自分のものにしてよい」という法律です。のちの荘園のはじまりで、大仏と並ぶ大きな転換点でもあります。
場面3 女帝と僧の時代(749〜770年)
天皇:孝謙・淳仁・称徳
主役:藤原仲麻呂 → 道鏡
聖武天皇のあとを継いだのは、娘の孝謙天皇。
日本の歴史でただひとり、皇太子を経て即位した女性天皇です。
| 年 | できごと |
|---|
| 752 | 大仏開眼 |
| 754 | 鑑真が平城京に来る |
| 756 | 聖武天皇が亡くなる。宝物が大仏に納められる(正倉院のはじまり) |
| 757 | 橘奈良麻呂の変。藤原仲麻呂が実権をにぎる |
| 764 | 恵美押勝(仲麻呂)の乱。孝謙が称徳天皇として再び即位 |
| 769 | 宇佐八幡宮神託事件 |
| 770 | 称徳天皇が亡くなる。道鏡が失脚 |
孝謙天皇はいったん淳仁天皇に位をゆずりますが、淳仁天皇を立てた仲麻呂と対立し、位を取り戻します。そして称徳天皇として再び即位しました。
このとき深く信頼したのが、僧の道鏡です。
769年には「道鏡を天皇にすれば国は平和になる」という神のお告げが届き、大騒ぎになります。これを確かめに行った和気清麻呂が「そんなお告げはない」と報告し、道鏡の即位は止められました。
場面4 血筋が入れかわる時代(770〜794年)
天皇:光仁・桓武
主役:藤原百川ら → 桓武天皇
ここが奈良時代の最大のポイントです。
称徳天皇は結婚しておらず、子どもがいませんでした。
天武天皇から続いてきた血筋を継ぐ人が、ここでいなくなってしまったのです。
たとえるなら、本家に跡取りがいなくなり、遠い親戚の家から当主を迎えるようなもの。
選ばれたのは、天智天皇の孫にあたる白壁王。即位したときには数え62歳でした。これが光仁天皇です。
光仁天皇の妻は、聖武天皇の娘・井上内親王。天武系の血をつなぐための、ぎりぎりの選択でした。
ところがその井上内親王と息子は、やがて皇后・皇太子の地位を追われます。
代わりに皇太子となり、天皇になったのが、別の母から生まれた桓武天皇でした。
| 年 | できごと |
|---|
| 770 | 光仁天皇が即位(天智系へ) |
| 781 | 桓武天皇が即位 |
| 784 | 長岡京に遷都(奈良時代の終わり) |
| 794 | 平安京に遷都 |
奈良時代はなぜ終わったのか
桓武天皇が平城京を捨てた理由は、ひとつではありません。
ひとつは、新しい血筋の天皇として出直すため。平城京は天武系の天皇たちの都でした。
もうひとつは、奈良の大きなお寺から距離をとるため。道鏡の事件のように、仏教の力が政治に入りこみすぎていました。
こうして、天武系の都・平城京の時代は幕を下ろします。
桓武天皇の母は、百済王の子孫だった
最後に、ひとつおまけの話を。
桓武天皇の母・高野新笠(たかののにいがさ)は、百済系の渡来人の家の出身です。
奈良時代の歴史書『続日本紀』には、その家の祖先は百済の武寧王の子だと書かれています。
武寧王は、日本の加唐島で生まれたと伝わる百済の王です。
その子孫の女性が、奈良時代を終わらせ、平安京をつくった天皇の母になった。
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